表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第二章:犬と後輩
15/105

犬と後輩ー6

「まーでも」

 彼女は、自身が頼んだカプチーノに口をつける。

 ごくりと喉が動いた。

 冴香は唇についた泡をぺろりと舐めとり、続ける。

「私は、そういうところも含めて、彼の長所かなと思いますよ。一生懸命なのが分かるからこそ、今日みたいなことが起こっても、笑い話にできるじゃないですか。もし今日の一件が、凄く態度の悪い新人が起こしたものだったら……どうだったでしょうね?」

「それは――」

 反射的に反論しかけて。

「いや、そうかもな」

 反論の言葉が見当たらず、黙る。

 今日、駿介が起こした騒動は、結果的にお咎めなしで終わったけれど、細かく見れば、彼にも不注意だった部分はある。

 美智子さんがどういう態度だったにしろ、頑として引き下がらず、毅然とした態度でいればどうだっただろうか。

 犬が動くことを想定し、スマホの扱いをもっと慎重にしていればどうだっただろうか。

 地理に疎いことだって、最初から自分で把握できていただろう。道に迷うことも、住民の方に迷惑をかけることもなかったはずだ。

 そういった、駿介の落ち度は、


 彼が、普段から一生懸命で、悪気がなかったと断言できるから、流された。


 それはある意味、長所なのだろう。

「でもなー」

「なんですか?」

「いや……なんというか……」

 浩司は言葉を濁した。

 冴香の言うことは正しい。

 駿介の性格をプラスに捉えて、明るく接することができれば、お互いにとって良いことなのだろう。

 そうは思うのだが……。

 割り切れない部分もあった。

 どんなに言葉を重ねてプラスに捉えても、騒動を起こしたのは事実だ。今日だって、あんなことがなければもっとスムーズに業務が終わっていた。

 もやもやとした感情が渦巻いてしまう。

「……」

 黙ってしまった浩司がどう見えたのか。

 冴香はテーブルの上に置いてあったスティックシュガーを一つ取り――

「おい、ちょっと待て」

 突然、浩司の飲んでいたコーヒーに入れようとしてきた。

「いやー、たまには甘い飲み物もどうかなと思って?」

「俺が甘い飲み物嫌いなの知ってるだろ」

「知ってますよ?」

「おい」

 睨みつける。

 が、冴香は意に介さない。

 それどころか、浩司の手を避けて、なおも砂糖を突き出してくる。

「お前な」

「あはは」

「あははじゃねーよ。なにがしたいんだよ」

 冴香はそんな、ふざけたやり取りをしながら。



「彩峰さん、相変わらず、真面目ですね」



 そんなことを言う。

「は? どこが?」

 冴香の砂糖攻撃を阻止しながら問いかける。

「どこがって……。自覚してないんですか?」

「してない。どちらかと言えば、不真面目な方だと思ってるが?」

「あらま。そうですか」

「そうだよ」

 答えると、冴香はようやく砂糖攻撃をやめる。

 そして大袈裟なほど、やれやれと肩をすくめてみせる。

「どういうことだよ?」

 いい加減、訳の分からない言動に腹が立ってくる。

 説明を求める。

 と、冴香はけろりとした表情で言う。


「今年度で辞めると言っている人の態度に見えないだけですよ」


「はあ?」

「いやいや。はあ? ではなくてですね」

 コホン、と咳払いを一つ。

 冴香はくりっとした目をこちらに向けて来る。

「もし、本当に辞めるつもりでいるのなら、後進育成を任されたとしても、必要最低限のことだけを教えて、あとは放って置けばいいじゃないですか。来年には、自分と関係のなくなることですし」

 冴香はなんのためらいもなく、そんなことを口にする。

 浩司はすぐさま反論する。

「それは無責任だろ。将来、自分と関係がなくなるとしても、それとこれとは話が違う。特に、指導を受ける新人にとっては、どんな指導を受けるかによって、人生が左右されるだろ? そんなことはできな――」


「だから、それですよ」


 浩司の言葉を遮り、冴香は指摘する。

 ふわふわのカプチーノに口をつけ、ごくりと一口。

 満足そうに息を吐き、冴香は言う。


「護人さんの熱血な感じも大概ですけど。彩峰さんも、もう少し、肩の力を抜いて良いと思いますよ」


 冴香はさらにもう一度、カプチーノを口へ運んだ。

「……」

 つられるように、浩司も自身のコーヒーに一口飲む。

 なにか、言い返そうとしたけれど、上手い言葉が見つからなかった。

 コーヒーの独特の酸味が、口の中いっぱいに広がった。


 ――肩の力を抜く、か。


 冴香の言葉を反芻する。

 彼女の言いたいことは、理解できる。


 冴香は、意外とテキトーなのだ。


 場の空気を読むことに長けており、誰とでも仲良くなれる彼女は、そうであるが故に、責任から逃れる術も身に付けている。

 要は、世渡り上手なのだ。

 そんな彼女からすれば、今の浩司は不器用に映るのだろう。

 今年度で辞めると言いながら、本気で後進育成に取り組み、後輩へ愚痴をこぼしているのだ。

 浩司からすれば、経緯はどうあれ、引き受けた以上はきちんと仕事をこなすべき、と思うのだが……きっと、彼女が言いたいことは、そういう意味ではないはずだ。

 無責任になれ、ということではなく。

 言葉通り、肩の力を抜け、ということなのだろう。

「それと、一つ確認したかったんですけど」

「ん?」


「彩峰さんが辞める予定でいるコト、まだ護人さんには伝えてないですよね?」


「……ああ」

 歯切れの悪い返答に、冴香は苦笑しながら「分かりました」と頷く。

 彼女にしてみれば、こういうところも、不器用に映るのだろう。

「遅くならないうちに、伝えておいた方が良いと思いますよ」

「それは分かってる」

「私からこっそり伝えても良いですけど?」

「……気持ちだけ、ありがたくもらっておくよ」

 その申し出は、やんわりと断っておく。

 駿介の指導に就いてから、それをいつ言うべきか、ずっと悩んでいる。

 自分の指導担当が辞めると聞けば、誰だって『何故?』と思うだろう。

 その時、なんと答えれば良いのか、浩司には分からなかった。

 はぐらかすべきか、それとも、素直に給与面と答えるべきか。

 介護に夢見る駿介が相手だからこそ、慎重に考えたかった。

「ごちそうさまでした」

 冴香がカプチーノを飲み干す。

 浩司も自身のコーヒーを飲み込んで。

「じゃ、お開きにするか」

「はい」

 そろって席を立つ。

 特段、決めているわけではなかったが、どちらかのカップが空になったら解散、という流れが出来ている。

 あくまで『良き先輩後輩』の仲であると、互いに意識するための線引きのようなものだった。


 少なくとも、浩司はそう思っている。


「お疲れ様でした」

「はい。また明日から、頑張りましょう」

「おう」


 会計を済ませて、二人は分かれる。



 その頃には、浩司の頭の中は、明日からのことでいっぱいになっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ