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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第二章:犬と後輩
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犬と後輩ー4

「……」

 無茶苦茶だった。

 横暴過ぎる。

「え、どうしてこうなった?」

 あの様子では、もう一度出てきてもらったとしても、こちらの言葉など聞いてもらえないだろう。

「どうしよう?」

 途方に暮れる。

 大人しく、散歩をするしかないのだろうか。

「て、おい!」

 整理がつかないうちに、お犬様は歩き始めようとする。

 鼻息荒く、尻尾を振りまくっている。

「ハナ子、だったか? ちょっと待て」

 駿介はぐいっとリードを引き、無理やり動きを止める。

 首元が締め付けられる形になり、ハナ子は露骨に嫌そうな顔をしたが、仕方ない。


『なにか困ったことがあったら、先輩に指示を仰げ』


 浩司に何度も言われてきた言葉を思い出す。

 木澤さんの家を離れる前に、まず、連絡をしなければならない。

 美智子さんの言う通り、一時間散歩をするとしても、そのことを事業所へ報告する必要がある。

 必要以上に時間がかかれば、先輩方に迷惑がかかってしまう。

「えっと」

 ポケットからスマホを取り出す。

 送迎や訪問時、緊急の要件が発生した場合に備えて貸与される、事業所のものだ。

「ふれあい西家は……っと」

 自分のものでないが故に、操作に時間がかかる。

 登録されているのは、和田管理者の個人携帯と、事業所の番号。それから、法人上層部へも連絡できるようになっていた。

 駿介は片手でリードを、片手でスマホを持ち、発信ボタンを――


「っとお!?」


 発信ボタンを、押そうとしたところで。

 ハナ子がまた、急に動き出した。

 とてとてと可愛らしい動作ながら、力強い。

 次の瞬間、


 手からスマホが滑り落ちた。


「あっ!」

 しまったと思った時にはもう遅かった。

 途中で食い止めようと手足をばたつかせるが、触れることはかなわなかった。

 長身の駿介だったからか、それとも単に不運なだけか。

 スマホはコンクリートの地面に叩きつけられ、


 バン!


 そんな音が響いた。

 鮮やか、と言っても良かった。

 体操選手が空中で何回転もするように、スマホはくるくると舞い――思い切り、画面側から落下した。

「………………」

 これほど、スマホの画面を見たくないと思ったことはない。

 駿介は呆然とその場に佇む。

 目線の端で、ハナ子がこちらを見ていた。

 動かなくなった駿介を見て、「どうかした?」とでも言うように、つぶらな瞳を向けてきていた。


「お前な」


 犬に怒ってもしょうがない。

 しっかりと持っていなかった自分も悪い。

 それは分かるのだが、恨めしい気持ちが勝ってしまう。

 じろりとハナ子を睨みつけ、駿介はようやく、しゃがみ込む。

 どうか割れていませんようにと願いながら、スマホを手に取り、画面側を見て――。


「あああああああああああ~~~~~~~~~」


 落胆の声が漏れる。

 画面にひびが入っていた。

 いや、ひびが入っていた、などという生易しいものではない。

 バキバキである。

「……」

 何度か画面をタップしてみるが、全く反応がない。

 完全に、壊れてしまっていた。

「どうしよう?」

 駿介は泣きそうになりながらポケットにスマホをしまう。

 とにかく、なんとかして事業所に連絡を入れなければ、と思うが、連絡手段がない。

 まさか、御利用者の家に上がり込んで、電話を貸してくださいと頼むわけにもいかない。

「――あっ、っと! おい、ハナ子!!」

 考えている間にも、ハナ子は身勝手に歩き出す。

 リードをぐいぐいと引っ張り、道路へ飛び出そうとする。

 犬とはいえ、御利用者の大事な家族である。

 手荒に扱うこともできない。

「……散歩、行くか?」

 こんな状態では、まともに考えをまとめることもできない。

 とりあえず一時間、その辺を回ってくれば、任務は達成するのだ。

 事業所の先輩方には心配をかけてしまうけれど、事故があったわけでもなければ、誰かが怪我をしたわけでもない。

 十中八九、怒られるだろうが、もはやどうしようもない。


 ――なるべく早く終わらせよう……。


 真っ白になった頭でそれだけを考え、ハナ子の隣に並ぶ。

 がっくりとうな垂れる駿介とは対照的に、ハナ子はぶんぶんと尻尾を振る。

「ほら、行くぞ」

 もうどうにでもなれ、と駿介はリードを引いた。




 ……この辺りの道に詳しくないことを思い出したのは、路地裏に迷い込んでからだった。



     ◆◇◆



〈――ということです。ちなみに今は、通りかかった住民の方からスマホを借りています〉

「……」

 経緯を聞き終えた浩司は、額をおさえ黙り込む。

 なんと言ってみようもない、微妙な気持ちになった。

 隣で話を聞いていた冴香は、口元をおさえ、必死に笑いを堪えていた。

 川瀬主任も苦笑いで「ある意味、才能だな」とか呟いている。


 きちんと分析するならば。


 まず、木澤さんの娘さん――美智子さんに非がある。

 介護職員は雑用係じゃない。

 犬の散歩を頼む時点で間違っている。

 しかも、駿介が了承していないのに、無理やりリードを押し付けたというのだから、間違っているどころか、非常識と言って良い。

 受け取ってしまった駿介も駿介だが、状況を聞いている限り、美智子さんの方に非があるのは明らかだ。


 まあ、その後の、スマホを落としたとか道に迷ったとか、そのあたりの件に関しては、なんと言ってみようもないけれど。


「えーっと」

 浩司は額をおさえたまま、電話の向こうにいる男へ、言葉を投げかける。


「あれだな。うん。……ドンマイ」


 ぶふぅっと、隣にいた冴香が盛大に吹き出した。

 他に、なんと声をかければ良いのか、分からなかった。

「コージ、とりあえず、和田さんに報告してくるよ。護人君には、その場を動かないよう、指示しておいてくれ。あと、近くにある建物とか……もし、そのスマホを貸してくださってる方が、住所とか分かるようなら、聞いておいてくれ」

「分かりました」

 頷き、駿介へ指示を出す。

 何事もなくて良かったと思うべきか、それとも、何をしているのかと咎めるべきか。


 浩司は、電話を終えてからも、額に置いた手をなかなか離せなかった。

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