介護士にできることー9
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幸いにも、行うべき業務はほとんど終了していた。
リーダーである浩司がフロアを回し、送迎や訪問といった業務は川瀬主任が行っていた。入浴担当の冴香も、滞りなく業務を進めていた。
やることがないわけではなかったが、どうしても駿介が行わなければならないことは残っていなかった。
駿介は御利用者の情報がまとめられているファイルを開き、桐谷さんの息子――明良さんの携帯番号を探し出す。
「コージさん、かけますね」
お目当ての番号を見つけ、浩司へ声をかける。
「ん? はいよ~」
浩司は、ノートパソコンを移動させ、テーブル席で椎川さんと話しながら、なにやら作業に勤しんでいた。
興味があるのかないのか分からない、のんびりとした声が返ってきた。
「……よし」
駿介は念入りに、と言っても良いくらい、何度も気合いを入れて受話器を取る。
一つ一つ、間違いのないよう番号を押し、受話器を耳に当てた。
――怖い人じゃないと良いけど……。
呼び出し音が鳴っている最中、そんなことを考える。
桐谷さんの家族と直接話すのは、駿介にとってはこれが初めてとなる。
浩司や冴香から何度も話を聞いているため、はっきり言って、印象は良くない。
話しの通じる人だと良いのだが……。
〈はい、もしもし、桐谷です〉
呼び出し音が途切れ、代わりに声がする。
男性にしてはやや高めの声音だった。
「お忙しいところすみません。私、ふれあい西家で介護職員をしております、護人駿介と申します」
〈ああ、はい、お世話になっています〉
「今、お時間大丈夫でしょうか?」
〈はい、大丈夫ですが?〉
手短に前置きをして。
駿介は本題へ移る。
「桐谷スミさんの、夏祭り参加の件で連絡させていただきました」
〈え? はい、なんでしょうか?〉
夏祭りと聞いたからなのか、やや戸惑いの声に変わる。
明良さんからすれば、もうその件は終わったものだと思っているだろう。
今更、何の用事だと不審がられても仕方がない。
〈母は、そちらの夏祭り前に入所が決まっているはずですが……?〉
「あ、はい。それは承知しております」
〈では、なんの用ですか?〉
明良さんの声に、異物が混じった。
電話に出た当初より、面倒くさそうな――硬い声へと変わる。
駿介は声を張る。
ここからが、電話をかけた目的だ。
「桐谷スミさんが、夏祭りへ参加される予定だったことは御存じかと思いますが――」
〈ええ、知っていますよ? ですが、入所が決まったのですから、不参加になりますよね?〉
「あ、はい。そうなのですが――」
〈じゃあ用件はなんですか?〉
「……」
取り付く島もない。
駿介が言い終える前に言葉を繰り出してくる。
予定していた『桐谷さんが本当に不参加で良いのか?』という問いに対する答えも、尋ねる前に明良さんが回答してきた。
夏祭り参加を促すことなど、とてもできそうにない。
――やっぱり、厳しいのか……。
ため息が漏れそうになる。
気の良い家族でないことは承知していたけれど、こんなにもあっさり否定されると、どうしてみようもない。
〈もしもし? その確認の電話ですか? 他になにかありますか?〉
駿介が詰まってしまうと、明良さんの声は、怒り口調へ変わっていく。
「……」
駿介はぎゅーっと目を閉じる。
このまま電話を切ったのでは、なんのために電話をしたのか分からない。
決定権を持つ明良さんが、夏祭りなど関係なく、早急な入所を希望していることはもう分かった。
けれど、まだ退けない。
それは明良さんの考えであって、桐谷さん本人の希望ではない。
何も変わらないかもしれないが、せめて、自分にできる最低限のことはやろうと、勇気を振り絞った。




