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結―ユウー  作者: 初雪奏葉
第二章:犬と後輩
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犬と後輩-1

 明日からゴールデンウイークである。

 今年のゴールデンウイークは最大で十日間もあり、ここ数年では最も長い連休となる。

 毎日のように各地のイベント情報が報道され、ゴールデンウイークに入る前から、浮かれた雰囲気が漂っていた。

 そんな中、介護施設は、というと……。

「排泄入ってきますね」

「了解。お願いします」

 普段と全く変わらない空気が流れていた。

 ゴールデンウイークだからと言って、御利用者がいなくなるわけではない。むしろ、旅行に行ったり親戚が来たりと、普段とは違う意味で忙しくなる家庭が多く、利用者が増えるくらいである。

「コージ、俺は?」

「あ、主任は食事の準備をお願いしてもいいですか?」

「分かった。フロア頼むな」

「はい」

 職員同士で声を掛け合い、仕事を進めていく。

 本日、浩司の役割は『フロアリーダー』だ。

 その日の責任者、と言えば分かりやすいか。

 介護現場は夜勤ありのシフト制であるため、毎日、自分よりも上役がいるとは限らない。主任がいない日も多くあるのだ。

 三年以上の勤務経験がある中堅職員から、毎日一人ずつ、月に四、五回のペースで回って来る。

 今日は浩司の番だった。

「彩峰さん、排泄終わりました。次はなにをすれば良いですか?」

 オムツ交換やトイレ誘導といった、排泄業務をほんの十数分で終わらせ、フロアに戻ってきた彼女、すずり冴香さえかは、浩司の一つ下の後輩である。

「え、もう終わったの?」

「え、終わらせない方が良かったですか?」

 彼女は小首を傾げる。

「いや、そういう意味じゃないよ。早いなと思っただけだよ」

「……褒められてます?」

「……褒めてない」

 ぶっきらぼうに返すと、冴香はクスっと笑う。

 後頭部にある尻尾が揺れた。

 硯冴香という人物を、一言で表すなら、『犬』だ。

 基本的には優しく従順で、組織の和を乱すようなことはしない。職員の誰とでも仲良く話すことができ、それでいて、外部の人に対してはピシッとした姿勢で対応できる。

 気を許した相手にお茶目な言動を見せるところも、飼い主にいたずらする犬っぽさがある。

 くりっとした目とミドルショートのポニーテールは、そのまま、犬の目と尻尾を連想させる。

「特にすることがなければ、主任の手伝いに入りますよ」

「そうだな。頼む」

「はーい」

 間延びした返事をして、冴香はキッチンへと向かう。

 浩司と冴香の会話は、くだけた雰囲気がありつつも、簡素で明快。

 二人は年の差一つということもあり、互いのことを近しい存在として認識していた。

 浩司にとっては、最も話しやすい相手だ。

「彩峰さん、休憩はどうしますか?」

 冴香がキッチンから顔を覗かせ、尋ねて来る。

 その間も、食器を出したりお茶を汲んだりと、手を動かすスピードは落ちない。

 浩司も、記録物を整理する手は止めずに答える。

「とりあえず、駿介が帰って来てからだな」

「分かりました」

 頷き、冴香は再びキッチンへ引っ込む。

「……ふむ」

 冴香とのやり取りを終えて。

 浩司はふと、思う。


 ――やっぱ、やりやすい、な。


 最近、駿介と一緒にいることが多く、他の職員との関わりが以前より減っていた。

 指示を出すにしても出されるにしても、常に駿介が隣にいるため、どうしても、注意はそちらに向いてしまう。周囲の視線も同様だ。

 こんな風に、慣れた職員同士で連携を取り合う安定感が、一ヶ月ほど、なくなっていた。

 まだ入って一ヶ月の新人と、四、五年も一緒に過ごしてきた仲間では、比較対象にならないことは分かっている。けれど、分かった上でも、なんとなく、やりやすいな、と感じてしまう。

「コージ」

「はい?」

 今度は、キッチンからもしゃもしゃ頭が顔を覗かせる

「護人君が帰って来てから、ていうのは良いけど、その彼は、いつになったら帰って来るんだ?」

「木澤さんの家に行っているだけですから、そろそろ戻って来ると思いますよ」

「分かった」

 川瀬主任は頷き、キッチンへと姿を消す。

「言われてみれば……?」

 浩司は、フロアの畳場側にある特大テレビへと目を向ける。

 壁に掛けられたテレビには、可愛い犬猫が映し出されていた。自慢のペットを紹介する番組のようだった。

 そう言えば、冴香が犬を飼っていたな、なんて思い出すが、そんなことのためにテレビに視線を向けたのではない。

 画面の左上、表示されている時刻を確認する。

 十一時二十分。

 あと三十分少々で十二時、お昼の時間になる。

「遅いな」

 眉をひそめる。

 駿介は今、送迎業務のため、外へ出ている。

 御利用者の一人である木澤さんを迎えに行くためだ。

 木澤さんの家までは、車で十五分ほどの距離だ。

 十時半には事業所を出発していたはずなので、行き来するのに三十分。今が十一時二十分ということは、今すぐ戻ってきたとしても――二十分近く、どこかで時間をロスしている計算となる。


 ――木澤さんが渋っているのか……?


 浩司は不思議に思いつつ、そんな想像をする。

 送迎時、御利用者当人が嫌がる場合があるのだ。

 ご家族が本人に話していなかったり、話していても忘れてしまっていたり、その理由は様々だが、送迎が遅れるパターンの一つとして、『来所拒否』は十分考えられた。

「ま、いいか」

 浩司は深く考えず、自身の仕事へ戻る。

 木澤さんの家庭は、いつもご家族が待っていてくれる。

 もし、なにかあったのなら、ご家族から電話がかかって来るだろう。

 なにより、駿介に対しても、滝野さんの一件以降、幾度となく「困ったら先輩に聞け」と指導してきた。困ったことが起こっているのなら、電話の一本くらいかけて来るだろう。

 気にならないわけではないが、気にし過ぎでも仕方がない。

「主任、硯さん、あとなにが残ってますか? 盛り付けは?」

 浩司は書類整理を終えると、自身もキッチンへと向かう。

 こっちはこっちで仕事があるのだ。

「テーブルの消毒お願いしていいですか?」

「はいよ」

 浩司は消毒液と台ふきを受け取り、昼食準備を開始した。

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