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幕外 信仰開化


 ――寛永十八年。肥前の国、島原。

 

 

「初、お初や」

 私が背中に去年生まれたばかりの弟の文市を背負い、土間で縄を結っていると、村の長老であるじいさまが庭の向こうから私を呼んだ。縄を一度その場に置き、じいさまの元へと走る。

「ちと出掛ける。文市を置いてついておいで」

「はい、じいさま」

 言われるままに背を向け、村の外へ足を向けるじいさまの後を追う。

「じいさま、どこへ行くのじゃ?」

「村の外では静かにおし。お侍に見つかってはやっかいじゃからの」

 じいさまは山道をただ黙々と登っていく。私も置いて行かれないようそれに黙って従うしかなかった。

 矢のような日差しが木と木の間から差し込み、むしむしと体と粘ついた汗が包むのが気持ち悪かった。

 木々が鬱蒼と茂る獣道を歩いていたのだけれど、なんとなく道に見覚えがあった。

(じいさま、礼拝堂に行くのじゃろうか……?)

 私たちの村は、太閣様の時代からのキリシタンの村だった。昔はお殿様も立派なキリシタンだったそうで、誰もが堂々とイエス様にお祈りできたそうだ。

 しかし時代が太閣様の時代となり、やがて江戸の将軍様に変わってからは、弾圧が徐々に激しくなった。

 やがて初めの将軍様の孫が将軍になった時、百姓もお殿様もキリシタンであれば殺されるようになった。

 だから、村のみんなもお侍さんに隠れてお祈りするようになった。それが、この山に密かに設けられた礼拝堂の始まりだそうだ。

 だけど、ここ何年かの間にキリシタンの長であった四郎様は戦に負け、武器を持たないキリシタンまでもが大勢殺されてからはみんな自然とそこに寄りつかないようになっていた。

 そうしてる内に、じいさまの行く先にぽっかりと岩肌に空いた洞穴が見えてきた。

「ええか、お初。これから見たことは誰にも言うちゃいかん。誰にも見られちゃいかん。ええか、じいとの約束じゃ」

「うん、分かった。誰にも言わん。約束じゃ」

「よぉし、お初はよい子じゃ。さぁ行こうか」

 私はじいさまに手を引かれて、薄暗い洞穴の中へと踏み行っていった。

 夏の陽気は鳴りを静め、ぞくりとした寒気が袖からはみ出た足首に触れた。

 底知れぬ暗闇に歯と歯がかちかちと音を立て、思わずじいさまの腕をぎゅ、と掴む。そこにあるじいさまの肌の温もりだけがこの暗闇の中での命綱だった。

 それから半刻ほど歩いただろうか、暗闇の向こう側で仄かに灯りが揺らめくのが見えた。

「じいさま、奥に誰かおるよ」

「大丈夫じゃ、悪い人じゃないからの」

 じいさまは優しい声で私に囁き、私の頭をそっと撫でた。

 すると向こう側でもこちらの声に気付いたのだろうか、灯の光がこちらへと向けられた。

「やぁ、長老。今日はずいぶん可愛らしい子を連れているね」

 少しだけ金属質な、女性らしい高い声が薄明かりの影の向こうから聞こえた。

 私はじいさまの腕に隠れるようにじいさまにすり寄った。そんな私にお構いなしにじいさまは陽気にその声に応じる。

「わしの孫娘なんですよ、神父様」

「そうなんですか、それはよい。ささ、もっとこちらへお寄りなさい」

 促されるまま、私とじいさまはさらに奥へと踏み行る。すると、だんだん灯りのお陰で辺りがはっきりと見えるようになった。

 十字架とマリア様の像を供えた教壇は昔と変わらずそこにあったが、その前に一人の女性が座っていた。

 稲穂のような金色の髪に、二つの蒼い瞳、私たちとの茶けた肌色とは違う真っ白な肌。遥か遠い海の向こう、南蛮から来た美しい異人の女性。

 しかし、私の目にしたその姿はまるで――

 

 

「……天使様だ」

 

 

「私が……天使様?」

 目の前の女性は、私の呆然とした呟きに一瞬面食らったようにきょとん、としていたが、やがて愉快そうに忍び笑いを漏らした。そして流暢な言葉遣いでじいさまに話しかける。

「長老、この子はおもしろいね。私を異人だ、鬼だと言うものはあっても、天使だなんて言ってくれたのはこの子が初めてだよ」

「はは、村の外を知らない小娘ですからの。十にもなって未だ夢ばかり見とるのでしょう」

「いや、こういう稚けき心こそ我々が信仰の上で最も大切にしなければならない清いものだ。君、名前を何という?」

 蒼く優しい瞳が私の顔を捉える。私は先ほどまでの恐怖心など彼方に消えて、今は張り裂けんばかりに胸が早鐘を打っていた。

「……初です。お初と言います」

「お初か。私はニコラウス。もっともこれは洗礼名だから、本名じゃないんだが……本名は祖国を出るときに親の元に置いてきた。だから、好きなように呼んでいい」

「はい……」

 私は返事をするのがやっとであった。

 そんな様子をじいさまは愉快に感じたのか、私の両肩に手を置くと、改めて彼女の方へ向き直った。

「これからはこの子が司祭様のお世話を致します、なんなりと申しつけてやってくだされ」

 まったくの初耳だったが、嫌な気はしなかった。むしろこれからもこの方に会えると思うと充足感が胸を掬った。

「それはいい」

 にこりと微笑むと、彼女は手を私の頭の上に翳し、十字を切った。

 私は自然と目を瞑って、手を胸の前で組んでいた。

「――汝に神の祝福があらんことを……よろしく頼むよ、お初」

 頬を一筋の涙が滑り落ちる。だが、心はどこまでも晴れ渡っていた。

 

 

 

 ――それが私の信仰開化。私が十歳の時のことだった。

 

 

 



日本史的におかしなところがありましたので、修正しました;;

しかし、相変わらず宣教師の細かい事情は分かりませんので、なぜ宣教師なのに女性なのか、などの点は読み飛ばしていただけると幸いです;;

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