21:クロの事情、ヘカテの想い
少しだけシリアス入ります。
呆然としているヘカテと、一体何があったのかと興味津々なお客さんたち。
この場で動くのは私たち三人だけだ。
もう料理も運び終わっちゃったし、そろそろヘカテの相手をしましょうかね。
「お客様、一名様ですか? あちらのお席に――」
「……クロウド、様」
「もしもーし、ヘカテ? カウンターのほうへ行っていいから、入り口で呆けるのはちょっと」
そうしてグイグイと厨房前の席へ案内する。
クロに睨まれたけど……だって入り口を塞がれると迷惑なんだもの。
誤魔化すなら上手くやってよね!
とはいっても、クロを見つめるヘカテに客の注目は集まったまま。
追加注文がなければ、私の仕事もないわけで。
「よし、特等席げっと」
「おう嬢ちゃん。あの二人はどういう関係だ?」
「クロは知りませんが、ヘカテはどこかのお嬢様らしいですよ。何でもクロの知り合いとか」
「どうりで高貴なお方なわけだ。あのクロってやつもタダモンじゃねえな」
ほぉー、と感心するおじさんだけど、貴方のすぐ横にもお嬢様はいますよ?
ま、今はお客に交じって観戦モードですが。
「クロウド様、こっちを見てくださいませ! ずっとずっと、貴方様のことを……」
「それはもしや、俺のことか?」
「はい。クロ、と名乗られているようですが、そのお姿。クロウド様に間違いありませんもの。ああっ、まさかこのような場所にいらしていたとは……」
ヘカテは顔を伏せているけど、時々嗚咽が聞こえてくる。
その白い雪のような頬には、今頃雫が伝っていることだろう。
そんな彼女を見守る私たちだけど、気になるのはクロの対応だ。
さ、男を見せてくれるのか? と皆が視線で問う。
「残念だが……人違いだ」
「いいえ! 私が間違えるはずありません! 例え貴方様が覚えていなかったとしても、この私の中にある想い出は本物です! だってクロウド様は、あのとき私を庇って――」
それ以降、ヘカテの言葉は続かなかった。
まるで演劇のワンシーンみたいに情熱的に詰め寄る姿に、思わず手を差し伸べたくなったけど。
でも……ヘカテの想いに答えてあげるにしても、クロは正体を明かすわけにはいかない。
ここで認めてもすぐに黒猫へ逆戻りだからだ。
どうしてここに東の魔女がいないのよ!
彼女なら代償と引き換えにクロを……いや、まだ無理だったかも。
クロは視線を彷徨わせていたけど、ようやくヘカテを真っ直ぐ見据えた。
「あの、な」
「お前さん、それくらいにしておき」
クロが何かを決心したタイミングで、師匠からストップがかかった。
察しの良い師匠のことだ。おそらくクロが言おうとしたことを前もって止めたのだろう。
「アンタがいうクロウドって奴は知らないけどね。ここにいるのはクロだ。こいつは自分の意思でここにいるんだ。そこは理解しておくれ」
その言葉をどう受け止めたのか。
ヘカテはしばらく目を閉じ、瞳から静かに涙をこぼしていた。
「そう、ですよね……すみません、クロさん。貴方にも事情があるのですね」
「……っ! ああ。その、クロウド――とやらに、会えるといいな」
ヘカテは笑顔をつくって「――はいっ!」と力強い返事を返していたけど。
カウンターにいる私たちからは、いまだ溢れ出る涙がまる見えだった。
◇◇◇
「さて、事情を聞かせてもらおうじゃないか」
閉店後、師匠と私はクーちゃんを囲っていた。
ただ、黒猫の言葉は私にはわからない。
「あの、師匠」
「安心しな、五分だけコイツを元に戻してやる。もっとも、五分で話をまとめてもらう必要があるがね」
クーちゃんはビクッと震えたもの、何やら真剣に悩んでいるようだ。
私たちが知りたいのは、今日来たヘカテという人物との関係性。
彼女がまた来店するようなら、対応も考えないといけない。
「じゃ、いくよ。ほいっさ」
ポン!
まるでポップコーンが弾けるような音がすると、一瞬のうちにクーちゃんがクロに変身する。
ああ……クーちゃん、カムバック……。
「さ、コイツはほっといて、今日のアレはお前さんの婚約者なのかい?」
「ああ。ヘカテとは八年前からの許嫁だ。あと二年後には婚約を結ぶことに……なっていた」
クロの話では、魔法学園を卒業すると同時に婚約することが決定していたとか。
じゃあなんでヒロインと? と疑問に思ったのだけど、その答えは今の状況にあったらしい。
「この間、南の魔女が領地まで来てな。最初は警戒して屋敷にも入れなかったが、また何日か後にやってきた。目的はよくわからなかったのだが……」
両親が対応したので、クロは会わなかったらしい。
しかし、ちょうどヘカテと二人で外出していたときに事件は起きた。
「フレ……先輩は聞いたと思うが、ヘカテは親を魔女に殺されている。だから黒猫にも拒絶反応が出るのだが……運悪く、な」
「つまり、アイツが変身した黒猫にやらかして、南の魔女の怒りを買った。そういうことかね?」
「ああ……そうだ」
魔女は黒猫などの動物に化けられる。
そうして、ヘカテたちの前に現れたのだ……黒猫が。
錯乱したヘカテは黒猫に石を投げてしまったのだけど、それが運悪く命中。怒り狂った魔女は「お前も黒猫にしてやろうか!」と襲いかかってきたらしい。
「黒猫が話したことにも驚いたが、そのまま飛びかかってきてな。咄嗟にヘカテを庇ったのだが、俺は噛まれた後に気絶してしまったらしい。気づいたらあのザマだ」
「噛み付くと黒猫にされるの? もしかして師匠も……」
「やれないことはないが、どうすんのさね。アイツはそうやって黒猫の楽園を作っているみたいだが、趣味が悪いとしか思えないよ」
うん、師匠は師匠で安心した。
でも黒猫を増やすなんて、まるで吸血鬼のようだ。
メリットなんて……メリット、ねえ。
「あの、師匠。もし戦争で黒猫が斥候から暗殺まで活躍するって言ったら……どうします?」
「アンタ、それは――」
師匠はしばらく悩んでいたみたいだけど、またポン! と聞こえた音によって思考は中断された。
お帰りクーちゃん、事情はわかったわ。
「ま、戦争が起きないのが一番ですよね? 私はまだ無力なので、そこらへんは師匠にお任せです」
「まったく、アンタって奴は……」
ねー? とクーちゃんに頬ずりをするけど、今日のクーちゃんはされるがままだ。
よほどヘカテの襲来が堪えたらしい。
……なんだが、元気がないとモフりがいがないわね。
「クーちゃんはヘカテのことが大好きなんですねーうりうり、やりおるなー」
「フギャ! ニ゛ァァア!!」
あ、元気になった。
そのまま逃げていったクーちゃんを見送りつつ、私は魔女様にあのことを伝える。
「ねえ師匠。東の魔女がクーちゃんを元に戻せた理由、なんだと思います?」
「そんなことが可能なら、とっくにアタシが戻して――」
「代償が、いるんですよ」
「……ハッ! アタシにゃ真似できないね」
つまり、禁術。
師匠に従師することになって、真っ先に警戒することを教え込まれた魔法。
もし師匠が行使しようとしたときは、何としてでも止めてほしいと言われたっけ。
彼女はそれを――彼に関係する全ての人から、クロウドという存在を消すことによって行使したらしい。
同時に、彼女の存在も忘れられる。それが、代償だから。
最初はどこのヤンデレって思ったけど、真のヒロインは黒猫ちゃんだから……。
あんな姿のヘカテを見たら、絶対に使わせるわけにはいかないのよ。