0:とある食堂で
「おーい、こっちにも一杯くれ!」
「はい、少々お待ちください!」
「後で俺んとこもな!」
「はいっ!」
ホールから私を呼ぶ声がいくつもかかる。
今では慣れたものだけど、喧騒の中で注文の声だけ聞き分けるのに、随分と苦労したものだ。
「師匠、エールふたつ追加でっ!」
「チッ、ここんとこ飲んだっくればかりで嫌になるねぇ。
かわりに毒薬でも入れてやろうか」
「ハハッ! 俺たちにとってはどちらも変わんねえや」
「「違ぇねぇ!!」」
ひと際大きい笑い声がホールに響く。
その声を聴いて、迷惑そうな顔をした人物がカウンターの端でモゾモゾと動いた。
あらら、起きちゃったのね。
まったく、あのおじさんたちは。
「こらっ! クーちゃんが起きちゃったでしょ!
おじさん達も煽るのはエールだけにしてください! 師匠なら本当にやりますよ!」
「アンタ……そりゃどういう信頼の仕方だい、え?」
咎める師匠は無視し、私は動き出したクーちゃんを抱き上げる。
クーちゃんを見て畏怖の表情を浮かべる人もいるけど、ここの常連ならそんな反応はしない。
あの人たちは新規客かな?
「ほんと嬢ちゃんはそいつが好きだな」
「もしや本当に魔女様の遣いだったりしてなー」
「『魔女の家』だし、お似合いじゃねぇか」
常連たちは私の腕の中にいる黒猫をみてハハハと笑う。
そう言ってもらえると私も嬉しいかも。
「だってさ、クーちゃん。よかったねー」
「フ、フシャー!!」
そのままクーちゃんに頬ずりをすると、何故か慌てたように腕から飛び出してしまった。
いつもは立てない爪まで使って、よほど私の頬が嫌だったのかな?
でも肌は傷ついていないし、クーちゃんも本気じゃなかったみたいでホッとした。
奥の家へと逃げ去る黒猫を見た客は、力が抜けたようにリラックスした人もいれば、クーちゃんの行動を見て大笑いする人もいる。
しかし、師匠だけは私に対して呆れ顔だった。
「はぁ……アンタ、あれが何かわかってんだろ?」
「え? クーちゃんですよね。クロウ――げふんげふん……の」
「だったらあまり虐めるんじゃないよ」
「はーい」
私たちが暮らす家へと逃げ去った黒猫。
もとい、クロウド様が入っていった方角をちらりと見て頷く。
わかってはいるけど、あのフサフサの毛並みには抗えないなー。
いわゆるアニマルセラピーというやつだ。
それもこれも。
「ねえししょー」
「ダメだ。アンタにはまだ早い」
「まだ何も言っていないですぅ……」
頭のかたい師匠に反抗するつもりで、カウンターの一席を占領しながらぐたーと伸びた。
まだ仕事中だけど、私のこの姿も見慣れてしまったのか、文句を言ってくるお客はいない。
「フレアちゃんも相変わらずねー、このサラッサラな髪も」
訂正。
文句は言われないけど、ちょっかいはかけられる。
後に知ることになるけど、カウンターに伸びる私を見るのが目的で来てた常連もいたらしい。
「クーちゃんが可愛すぎるのがいけないんですぅー」
「わかるわー。あの黒猫を見ていると、魔女なんているのかわからない存在も、どうでもよくなってくるのよねー」
「魔女はあそこにいますよ?」
そういって師匠に目線を向けるけど、お姉さんはウフフと笑うだけだ。
師匠に関しては完全に無視だし、常連も「たしかに魔女様がいるな」と言って笑う。
真実なのに、この説得力のなさよ。
「それにしても、魔女様の過保護は相変わらずねー」
「ですよねー」
「チッ、アンタのためでもあるんだ。わかってるだろ?」
「それは……ええ。でも、だってもう三年ですよ、さんねん!」
理解していても納得できるかは別だ。
私はまだ、この町から出られない。
時期が来たらいずれ、とはわかっているけど、行くはずだった学園にも通えず悶々とした日々を過ごしているのだ。
私の大好きなあの人、今頃どうしているのかなー。
「はぁ。せめてあの人に会えたら日々に潤いが出るのに」
「え? フレアちゃん恋人でもいるの? お姉さんに話してみて?」
「そっ、そんなんじゃないですよ!」
そう。
恋人ではない、けど。
私の大切な――そして、許されざる人。
カランカラン。
来客を告げるベルが何度か鳴る。
出来上がった料理もいくつか並べてあるし、いつまでも伸びていると師匠のゲンコツが落とされそうだ。
現に、さっきから師匠の視線をヒシヒシと感じるし。
……よしっ、休憩終わり!
まずはお客様を案内して、それから料理を運ぼうっと。
「いらっしゃいませー! お好きな席、へ? どう…………して?」
最後に出た言葉は疑問形だった。
だってその人は、あまりにも見慣れた顔で。
――そして、会うことが叶わなかった人と、ソックリだったから。