8話
綾女は扉を開けると、自分の名前が書かれた張り紙のある椅子に座った。そこで、自分の隣の席に座る存在に気づく。
「あっ、鏡花ちゃん」
鏡花も綾女に気づくとヒラヒラと手を振った。
「おはようございます。綾女ちゃん」
「おはよう。そういえば鏡花ちゃんもオーディション受けていたんだったね」
「はい、今日は一緒に受かるといいですね」
「うん」
今回のドラマの主演は二人だ。
このドラマはある先輩を射止めるために女の子二人が奮闘する恋の物語。そして今回オーディションで決めるのはそのヒロインの二人だった。
「き、緊張しますね」
「そ、そうだね……」
するとそこへ、
「皆さん、入りますよー」
バタンッ
扉を開ける音が聞こえ、三人の男性が入ってくる。三人はそのまま候補者たちに向かい合う形で設置された椅子に腰かけた。向かって右に座るのがこのドラマのディレクターで左が原作者、そして真ん中が監督だ。
「えー、それではあまり時間もありませんので早速発表に移らせていただきます」
まずはディレクターが話始める。
その瞬間、室内の緊張感が一気に増した。
綾女もごくりと固唾をのむ。
―――どうか、鏡花ちゃんと一緒にヒロイン役をやらしてください
「レナ役は……吉良綾女さん、ナオ役は……秋野鏡花さんです」
綾女と鏡花以外の候補者の顔に落胆の色が浮かぶ中、二人は顔をぱっと輝かせた。
「はい、ありがとうございます」
「精一杯やらせていただきます」
立ち上がって、二人はペコリとお辞儀をする。
―――やったよ、お兄ちゃん。私、ヒロインになれた
綾女は今学校にいる昴に届くぐらい、心の底から喜んだ。
「あっ、ちょっといいか?」
しかしその時、原作者が突然待ったをかけた。
―――えっ?
「この物語は完全な恋愛モノだ。俺は中学卒業したばかりのこの二人が俺のキャラクターを演じることができるのか不安なんだが……。まだ二人はそんなに恋愛を経験してないだろうしな」
ギロッと、鏡花と綾女を見据える。その目は本当に大丈夫なのだろうかという猜疑心に満ちていた。
まあ確かに正論だ。恋愛を経験したことない者にとって恋愛モノの役をするのは荷が重い。
だが、さっきの原作者の発言は綾女の女優魂に火をつけた。
「私は……」
「やれます‼」
綾女の芯の通った声が直前の鏡花の声を押しやる。
「恋愛の経験がないから役が務まらない? それは私たちプロの女優にとっては関係ないことです。本当の女優ならやったことのない未知の役でも難なくこなします。ですから私はそんな理由で役を演じきれないなんてことあり得ません」
かなりの熱のこもった発言。
しかし、まだ原作者は疑っているようだった。
「だがなあ……。恋愛は誰もが経験しているものだからこそどの視聴者もちょっとした違和感には気づいてしまう。そこが俺は心配なんだが」
「わかりました。私はこの役を演じる自信は十分ありますが、あなたがそこまで言うのなら恋愛というものを実際にやってみることにします。これで心配事はなくなりますか?」
「……よし、じゃあお前に任せてみるか」
ついに綾女の熱意に原作者が折れた。
こうして、一波乱あったが無事綾女と鏡花は今度の連ドラの主演になることができた。
部屋を出た二人は扉の前に立っていた自身のマネージャーに結果を報告する。
「そう、よかったわね」
麗華は無事綾女が主演になれたと聞き、ほっと胸をなでおろした。
「はい、私、必ずこの役を演じきって見せます」
「もちろん頼りにしてるわ」
と、そこへ、
「綾女ちゃーん」
報告を終えた鏡花が綾女のもとにやってくる。
「良かったらこの後一緒にご飯なんかどうですか?」
「あ、いいね。それじゃあ、麗華さん、今日はもう帰ってもいいですか?」
「いいわよ。鏡花さん、これからもうちの綾女をよろしくね」
「は、はい、もちろんです。こちらこそお願いします」
そう言って鏡花は麗華に向かって丁寧にお辞儀をする。
「では行きましょうか」
「うん」
綾女も麗華にお辞儀をしてその場を後にした。
二人は相談して、近くのイタリアンのお店に行くことになった。
行く道の途中、
「さっきの綾女ちゃん、迫力がありましたね」
鏡花は先ほどの綾女の様子を思い出す。
「そ、そうかな……。私はつい頭に血がのぼっちゃって……」
「はい、とてもかっこよかったですよ」
「て、照れるよ……」
「ふふ、……あっ、でもいいんですか?」
「ん、何が?」
「クランクインまでに恋愛するっていう話。綾女ちゃん、まだ好きな人すらできたことないですよね?」
「うっ」
―――そうだった。すっかり忘れてた。ついあんなこと言っちゃったけど、恋愛だから誰でもいいっていうわけじゃないし
先ほどの発言を今になって後悔するように綾女はウーン、ウーンと思い悩む。
「あっ、そうだ。この前、綾女ちゃんのツイートを見ましたよ」
鏡花は悩んでいる綾女を気遣ったのか話題を変えようとする。
「あのシュシュ、とてもかわいいですね。あれ、昴君からの贈り物ですか?」
「そうなの。あれをもらった時私は……」
あの時のことを鏡花に話しているさなか、綾女は一つの考えが頭に浮かんだ。
―――あっ、そうだ。こうすれば
◆◆◆
ピロリンッ
ホームルーム活動中、俺のスマホが突然着信を知らせた。
「こらっ、授業中は電源切っときなさい」
音に気づいた何気に耳がいい担任は注意をする。
「すみません」
俺は謝りながらスマホを机の下に隠し、担任の目に入らないようにしながらスマホを操作した。
どうやら着信は綾女からのようだ。
隣の隼太が「綾女っちゃん、どうだった?」と目で合図を送ってくる。
それに俺は「今から見る」とこれまた目で合図を送り、スマホの画面に視線を下ろした。
えーっと、なになに……
『無事、オーディションに合格しました♡』
よっしゃ!
俺は小さくガッツポーズをする。ただその時、
ガタンッ
ついつい手が机にあたり音が出てしまった。
「昴君っ、またあなたですかっ」
二度目の授業妨害に際し、一層先生の声音が厳しくなった。
やべっ
「す、すみませんっ」
「今度何かしたら教室から出てもらいますから」
「は、はい」
そしてまた担任は自分の話に戻った。
でも、よかった。綾女が受かってくれて。あんなに一生懸命練習してたもんな……
隼太もさっきの俺の様子で察してくれたらしい。俺に向かってぐっと親指を突き立てている。
俺はスマホの電源を切ろうと視線をまた下ろした。
すると、
あれ、このメール、まだ続きがある
俺は不審に思ってカーソルを下にしていく。
続きにはこう書かれていた。
『ですが、このことに関してお兄ちゃんに相談したいことがあります。晩ごはんの時に話します』