3話
カレーを二人分よそい、テーブルまでもっていく。既に椅子には山川さんが座っている。
「はい、カレーとサラダ」
「あ、ありがとう」
俺はカレーとサラダを置くと、自分がいつも座る席、山川さんの向かいの席に座った。
「じゃ、じゃあ、食べようか」
「そ、そうだね」
「「いただきます」」
スプーンにカレーをのせ、口に運ぶ。
うん、今日もうまくスパイスが効いてる。
ただ山川さんの口に合うかは心配だ。女優さんだし、いつもいいものを食べているだろうから。
気になった俺は山川さんの方を窺った。
山川さんもまずはカレーを口にした。
その瞬間、
「お、美味しいっ」
口元に手を当て感嘆の声を漏らす。
「そ、そう?」
「うん、とっても美味しいよ。これ、昴君が作ったの?」
「ああうん。晩ごはんは俺の担当だから」
「すごいすごい。昴君、えらいねー」
「いや、こんなの全然……」
ううっ、美人の山川さんに褒められるといつもより百倍嬉しく感じる……
◆◆◆
カレーを食べながら俺たちは今後のことについて話し合った。
山川さんがこっちで暮らすための引っ越しは明後日、水曜日の祝日に行うらしい。今日のスーツケースはそれまでの間の服や日常で使うアメニティなど、必要最低限のものだと言っていた。
山川さんの部屋は二階にちょうど一部屋余っていたからそこを使うようになった。この部屋は俺の隣だからいやだったら変えていいよと言ったけど、山川さんはこの部屋でいいって言っていた。
そのほかにもいろいろなことを決めていき、すべてが決まった頃にはちょうどカレーも食べ終わっていた。
「はー美味しかった。昴君、ありがとね」
「ううん、山川さんの口に合ってよかったよ」
食器を洗い、俺は食後のコーヒーを持ってテーブルに戻った。山川さんは苦いものは苦手って言っていたから山川さんの分はホットココアだ。ココアとコーヒーを並べ、席に着く。
すると、
「あ、そうだ昴君、もう一つ決めたいことがあるんだけどいい?」
「うんいいけど、まだ何か決めてないことがあったっけ?」
「た、大したことじゃないんだけど……」
珍しく山川さんが顔を赤くしてもじもじしている。そんなに言いにくいことなんだろうか。
「えーっとね……」
「うん……」
山川さんがなかなか話してくれないのでどんどん緊張してくる。心臓なんて山川さんに聞こえてしまうんじゃないかっていうくらいバクバクだ。
そして、
「昴君のこと、お兄ちゃんって呼んでもいい?」
「…………へ?」
あまりにも唐突な提案に思わず間の抜けた声がでた。
「ダ、ダメかな?」
少し涙目になる山川さん。お願いです、その顔はやめてください。
「いいけど……」
その瞬間、山川さんはぱっと顔を輝かせて、
「やったー‼」
とても嬉しそうに喜んだ。
「で、でもなんで俺のことをお兄ちゃんって……」
「ん、えーっとね、私昔からお兄ちゃんっていう存在にあこがれていて、そしたらこうやって現実にお兄ちゃんができたから。それに、お兄ちゃんって呼んだ方が私たちは家族なんだっていう感じがするでしょ」
「それは確かに」
なんだそういうことか。さっきの山川さんの様子だと何を言われるのか心配だったけど。でも、日本一級に可愛い山川さんにお兄ちゃんって呼ばれるのってそうそうないのでは?
俺はその可愛さに耐えられるのだろうか。
と、そうこう考えていると、山川さんから第二の矢が飛んできた。
「そういうことだから昴君も私のこと山川さんじゃなくて綾女って呼んでね?」
「……へ?」
またもや間の抜けた声。いや、でもこれは仕方ないはず。あの山川さんを呼び捨てで呼ぶなんて。
「もうっ、山川さんだと家族っぽくないでしょ」
「うっ、それはそうなんだけど……」
単純に恥ずかしい。女の子で呼び捨てなんて海音ぐらいにしかしたことないし。
でも、これは完全に山川さんの方が正論だ。確かにこれから山川さんは俺の妹になるんだから。こんなことでためらっていたらこの後がおもいやられる。
「わ、わかった。あ、綾女……」
言った瞬間顔が沸騰したみたいに真っ赤になる。
「あはは、可愛い」
「ちゃ、茶化すなよ……」
「ごめんごめん、茶化すつもりで言ったんじゃないんだけど。でもこれで一つ家族らしくなったね」
「うん、そうだな」
話が終わると、あ、綾女はだいぶ冷めたココアをぐっと飲み干し、自分の荷物を片付けたいからとリビングを後にしようとする。
そして、リビングのドアに手をかけた時、突然こちらを振り返った。
ん、どうしたんだろ?
すると、
「あっぶなーい、言い忘れてた。お兄ちゃん、おやすみ~」
そう言い残して今度こそリビングを後にする綾女。
俺はというと、綾女のその可愛さにただただ顔を真っ赤にしていた。
◆◆◆
綾女は自分の部屋に入るやいなやベッドに転がり込んだ。
このベッドは昴の父がすでに綾女のために準備してくれていたものだった。
「ふふ、私にもついにお兄ちゃんができるなんて。しかも、なんか優しそうな人でよかったなあ」
綾女はベッドに横たわったまま自分のリュックサックから一枚の写真を取り出す。
そこには昨日の旅館で撮った、昴、大地、菊枝、そして自分が映っていた。そう、これは初めての家族の集合写真だ。綾女はその四人の中でも昴を見つめ、
「お兄ちゃ~ん~、お兄ちゃ~ん~」
と、左右に転がりながら鼻歌交じりに歌った。
◆◆◆
翌日。
俺は今日の弁当と朝ごはんを作ろうと一階に降りてきた。
「さ~て、今日は何を作ろうかな」
あれこれ考えながら、冷蔵庫を開ける。
「あ、そういえば一昨日お隣さんからもらった里芋が残っていたっけ。そいじゃ、煮物にするか」
そうして早速調理に取り掛かる。
三十分後、煮物の他に数種類おかずを準備し見事弁当が二つ(・・)出来上がった。
出来上がった弁当を見つめ、フッと息をつく。
綾女にも食べてもらいたいしな。
するとちょうど綾女が一階に降りてきた。
「おはよ~、お兄ちゃん」
ドキッ‼
やはりこの呼び名に慣れず、少し挙動がおかしくなりながら振り返る。
「お、おはよう。昨日はよく眠れた?」
「うん、よく眠れたよ……、ってあっ、そのお弁当私の分?」
綾女はテーブルに置かれた弁当箱を見つけると目を輝かせる。
「ああそうだよ。一人分作るのも二人分作るのも変わりないから綾女の分も作ったんだ」
「嬉しい‼ありがと‼」
綾女は俺にとびっきりの笑顔を向けてきた。
「っっ⁈」
その途端、俺の顔が真っ赤になる。それを綾女に悟られまいとつい顔をそらしながら、
「ね、ねえ、綾女って朝はご飯派、それともパン派?」
「うーん、いつもはパンだけど……」
「じゃあ、少し待っててよ。すぐに作るから」
「あ、でも私いつも……」
しかし俺は続く綾女の言葉は聞かず、作り始めた。
やがて、ベーコンエッグに作り置きしていたポテトサラダを隣に添え、簡単ではあるが朝食が完成する。そして朝食ができるタイミングで、
チーンッ
パンがうまく焼きあがった。
「はい、できたよ」
できた朝食を綾女が待つテーブルに持っていく。
「わあすごい‼美味しそう」
「ありがとう。それじゃあ食べようか」
「うん」
「「いただきます」」
そして、目の前の朝食を食べ始める。
「あのね、お兄ちゃん」
食べ始めてすぐ、綾女が口を開いた。
「なに?」
「実は私、こういう朝食あまり食べたことなかったの?」
「えっ」
「ほら、お母さんって私を育てるために働かなくてはいけないでしょ。それで時間がいつもなくて、朝食はせいぜいトーストにバターやマーガリンつける程度だったの。それに当然、弁当なんて作ってもらったことがなくて、お昼はいつも購買。だから今日はお兄ちゃんがついでとは言っても私の分をこんなに手を込んで作ってくれてとても嬉しかったの。改めてお兄ちゃん、ありがとう」
綾女の目には若干の涙があった。
そういやあ、俺も昔はそんな生活だったな。小学校だから弁当はいらないにしても朝食は綾女と似たようなものだった。そんな中で、遠足といった特別なイベントの時に父さんはあまり上手ではないながらも俺のためにお弁当を朝早くから作ってくれていた。でも、俺はその弁当が大好きだった。だから綾女の気持ちが少しわかる気がした。
◆◆◆
この後俺たちは自分たちの学校へと向かった。綾女は初めてということでマネージャーさんが車で迎えに来てくれていたが。
ほどなくして、俺も正化学園に着く。そして、自分の教室に入ると、
「おはよ~」
いつもの席に群がる海音と隼太に声をかけた。
「お、昴っち、おはようさん」
「あ、昴、おはよう」
海音と隼太も俺に向かって手を振る。
「そういえば、さっきまで隼太と海音は何話してたんだ?」
「ん、ああこれこれ」
海音は俺にとある雑誌を見せる。
「あっ、これって」
「そう、吉良綾女がモデルの雑誌」
そこにはウインクをかわいらしく決める綾女が映っていた。改めてこういう綾女を見ると彼女が芸能人なんだなあと実感させられる。
「いやあ、やっぱりすごいよなあ」
「でしょ、うん、綾女ちゃんはホンっと神だわあ」
海音は手を合わせ崇めるようにしている。
「あはは、神はいくら何でも言いすぎじゃあ……」
そこで今まで黙って、俺たちのやり取りを見ていた隼太がフッと笑った。
「昴っち、いつも通りに戻ったんだな」
「あ、うん。もういろいろと吹っ切れたしな。それに、その子とはこれから一緒に暮らしていくわけだし」
「ま、二人暮らしなら力合わせないとやっていけないもんね~」
「そうだよなあ……って、なんで海音がそのこと知ってんの?」
「知ってるも何も前に昴っちの父さんから俺たちの親に連絡がきてたぜ。昴っちと妹を置いてアメリカに行くから二人が何か困ったら助けてやってくれって」
父さん、なんで海音と隼太には綾女との二人暮らしのことを伝えて俺には連絡し忘れるんだよっ
もうすでにアメリカに飛んだ父さんに俺は心の中でツッコミを入れた。
◆◆◆
その頃綾女は教室で友達と談笑していた。目の前で話を面白がる少女の名前は秋野鏡花。彼女も子役上がりの女優で、綾女と同じくらい知名度が高い。綾女と鏡花はこの学院の超有名人だった。そんな二人が話していれば当然、周りの生徒の注目を集める。当の二人はそんなことにはお構いなしだが。
今さっきまで綾女は昨日や今朝のことを親友の鏡花に話していた。
「綾女ちゃんの話を聞いてるとその昴君っていう人はとてもいい人そうですね」
「うん、私、本当に昴君が私のお兄ちゃんになってくれてよかったよ。今日もね、私のためにお弁当を作ってくれて」
そう言って、綾女は通学カバンから弁当が入ったピンク色のきんちゃく袋をちらりとみせる。
「ほら、私、学校にお弁当を持ってきたのなんか初めてで、とても嬉しい」
そんな今までにないほど笑顔になっている綾女を見て鏡花はクスッと笑った。
「ん、鏡花、どうしたの?」
「ふふ、なんでもないですよ。ただ、綾女を見ているとなんだかその人、綾女ちゃんのお兄ちゃんというよりも綾女ちゃんの彼氏さんに見えてきて」
「むっ、そんなことないよ。昴君は私のお兄ちゃんであって、彼氏なんかではないよ」
「はいはい」
「あ、彼氏さんといえば、鏡花は最近どうなの?」
「っっ⁈」
一気に鏡花の顔が赤くなる。さっきまでの彼女の様子とは一変して、時折体をもじもじさせている。
「え、えっと、い、一応今週末に映画を見ることになっていますけど……」
「なんだ、鏡花もラブラブなんだね」
「か、からかわないでくださいっ」
顔の赤みは最高潮に達し、彼女はプイっと顔をそむけた。
「でもうらやましいね、昔からの幼なじみで婚約者なんて……」
鏡花は顔をそむけたまま反応する。
「そ、そうですか?」
「うん、私、まだ人を好きになったことがないから」
「きっと、綾女さんにも素敵な人が現れますよ」
「そうだといいなあ」
そう言って、綾女は窓から遠くの空を見つめるのだった。