24話
電車で小一時間揺られ、俺はある駅で下車した。
駅の外を見回すと街のいたるところから湯けむりが上がっている。
駅員さんに切符を渡し駅から出るなり、俺はあの旅館めがけて走り出した。
そう、俺が考える綾女の居場所は旅行の時に泊まったあの旅館だ。
初めて俺と綾女が出会った場所。
俺と綾女との日々が始まった場所。
綾女がいなくなって、どこかに行くとしたらそこしかない。
少しして、お目当ての旅館に着く。
俺はその玄関で足を止めた。
ここに綾女がいるはずだ。
覚悟を決め、旅館の中に入る。
「ようこそ、おいでくださいました」
カウンターにいた中居さんが丁寧にお辞儀をする。
「あの、この旅館にいる山川綾女の関係者なんですが、彼女の部屋を教えてくれませんか」
すると仲居さんは困った表情になった。
「す、すいません。お客様のプライバシーにあたることなのでお部屋をお教えすることはできないんですが」
うっ、やっぱりか
予想はしていたが綾女の部屋は教えてくれそうにもない。
なら思い出せ。俺と綾女が泊まった部屋を。
確か窓からは松の木の高い部分が見えていたから二階だ。そして、壁の向こうからは楽しそうに学生が卓球をする声が聞こえていたから……。
俺はカウンターの横にある館内図を眺める。
すると、
あった……205号室だ。
俺はすぐさま階段を使って二階へと上がろうとする。
「ちょ、ちょっとお客様⁈」
いきなり押しかけてきて二階へ上がろうとする俺を不審に思ったらしい。
そんな俺を仲居さんは呼び止めようとする。
しかし俺は構わず綾女のいる部屋へと向かった。
角を右に曲がると205号室はすぐに見えた。
部屋を前にし、俺は立ち止まる。
そして、
「おーい、綾女ええええぇぇぇぇぇぇぇ」
力強くノックをした。
「お客様、困りますっ」
追いついた仲居さんが声を張り上げる。
「綾女えええぇぇぇぇ」
もう一度俺はノックをする。
帰ってきてほしい。
もう一度顔を見せてほしい。
今、頭の中は綾女のことしか考えていなかった。
その時仲居さんがしがみついた。
「お客様、これ以上何かするなら警察を……」
すると、
ガチャッ
205号室のドアが開かれる。中からは綾女が出てきた。
「やっと見つけたぞ」
俺は綾女を見るとニッと笑う。
綾女はとても驚いた表情を浮かべていたが、仲居さんやほかの宿泊客に気づくと場所を変えようと言って俺を外に連れ出した。
◆◆◆
綾女が俺を連れてきたのは旅館の裏手にある遊歩道だった。
この時期にはモミジが紅葉のピークを迎え、自慢の石畳も赤色の絨毯で覆われている。
俺たちは先ほどの出来事もあり、お互い何も話さないまま遊歩道を歩く。
だが俺は突然歩みを止めた。
ここまで来て綾女に伝えたかったことを言葉にするために。
「どうしたの?」
綾女もそれに気がつき振り返った。
心臓がバクバクする。
たぶん脚はガタガタに震えているんだろう。
こういう時って本当に緊張するんだな。
でも、言わなきゃ。
「綾女……今日は伝えたいことがあるんだ。俺は綾女のことが好きだ。妹としてじゃなく、一人の女の子として」
じっと綾女を見据える。
俺の思いが届くように。
真剣さが伝わるように。
もう、自分に嘘はつきたくない。
綾女はしばらく黙っていたが、やがて口を開いた。
「私もね、あの時神社で言えなかったけど、昴君のことが好きだよ。でも‥‥付き合うことはできない。麗華さんも言ってたでしょ。私たち兄妹なんだよ。血はつながってないけど、世間の人から見たらそんなの関係ないんだよ」
綾女は目に涙を浮かべている。
そう、綾女はこのことに悩みぬいた末に家出という決断を下したのだ。
諦めなければならないと分かっている好きな相手とこれ以上一緒にはいられないから。
好きな人に会えないという状況を強引に作り出すことで、自分の心を壊さないようにするために。
そこで俺は切り札を使うことにした。
父さんたちが自分たちの幸せと引き換えに残してくれたもの。
俺と綾女がお互いを好きになってもいいと証明してくれるもの。
「実はさ、これを綾女に見せたくて」
俺はポケットから書斎で見つけた例の婚姻届けを取り出す。
綾女は俺からそれを受け取ると、
「えっ、これって」
思わず言葉を失う。
「ああ、父さんたちの婚姻届けだ。父さんたちは急いでアメリカに行ったから市役所に出す暇がなかったんだと思う」
どうやら綾女も事態を察したようだ。
「じゃ、じゃあ、私たちって」
「うん、まだ、兄妹じゃない。それに俺はこれを見つけると父さんに電話したんだ」
「大地さんに?」
俺は静かにうなずく。
「お願いだからこの婚姻届けを市役所には出さないでほしいって。父さんは了承してくれた。俺たちはこれで兄妹じゃなく赤の他人だ。兄妹というしがらみにとらわれる必要はない。だから、俺はもう一度言う。綾女のことが大好きだ。俺と付き合ってください‼」
その瞬間、俺の体に綾女の全体重がかかる。
俺は後ろに倒れそうになるが、しっかりとふんばりその胸に綾女を抱きかかえる。
「昴君……、昴君……、大好き……」
服に顔を押し付けて嗚咽を漏らしている。
ときおり言葉にならない声を発しているが、綾女の気持ちは自然に伝わってくる。
俺はそんな綾女の頭にそっと手を置くと、綾女が泣き止むまでの間、ずっと優しくなで続けた。




