ベーシスト
キーンコーンカーンコーン
埼玉県立音ノ葉高等学校に始業のチャイムが響く。
「ほらー席つけー」
そのチャイムと共に、騒つく教室に1人の男が入ってきた。白衣に身を纏いだらしない髭を生やしたいかにもおっさんと言う風貌のこの男は、ぐっさんの愛称で意外と生徒からの人気が高い 担任、偶坂である。
偶坂は教壇の前に立つと、だるそうな声で喋り始めた。
「えー夏休みも明け、今日から2学期の始まりです。また無事こうしてみなさんの元気な顔が見れて、、、と社交辞令はめんどいんでこの辺にして、、」
だらしない髭をかきながら、眠そうに偶坂は語る。
めんどい 教師の言うセリフじゃないが、そこが偶坂が愛される所以であろう。
「転校生を紹介する」
その言葉に教室が騒つく。
「転校生?高2のこの時期に?」
「男かな、女かな」
思い思いの声を口にする生徒たちの中で、1人の男が机をバンと叩き、右手を掲げて立ち上がる。
「待ってましたぁ!!!!」
「音坂、お前めんどい」
軽快に行われたその生徒と偶坂のやり取りに、教室内が笑いに包まれる。
「また言われてやんの太陽」
何人かの生徒が茶化すように言う。
短髪に前髪が上がり、凛々しい眉毛に鋭い目力。いかにもムードメーカーと言った雰囲気を醸す彼の名は音坂太陽。どうやらこの太陽と偶坂のやり取りはクラスでは見慣れたものらしい。
「めんどいからもう入ってきていいぞ〜」
再びだるそうな声で喋り出す偶坂の言葉と共に、教室のドアが静かに開く。騒ついていた教室は静まり、その一点に視線が集中する。そこから現れたのは、高校生男子の平均よりはやや低めの身長に、だぶついた制服を着た少年だった。前髪が目にかかり、メガネも相まって表情が読めない。そして一言で表すのならば、いわゆるー地味ー
というやつである。教壇の前に立つと、その少年は口を開いた。
「静岡から転校してきた、空音翔太です。よろしくお願いします」
ボソボソとしゃべるその声は男子にしてはやや高い。照れているのか無関心なのか、やはりその表情は前髪に隠れて読むことはできなかった。
「それじゃあお前ら仲良くするように」
早くホームルームを終わらしたいのだろう、偶坂が感情のこもっていない一言で場を締める。転校生、翔太の可もなく不可もない地味な外見に、先程までの盛り上がりや歓喜の声はない。事務的な拍手だけが教室内にこだまする。高校生はこう言った所が正直であり、残酷だ。イケメン、美少女、何かしらのスペックを持っていなければ、ただ転校生というだけでは興味は持たれない、この教室でもそれは例外ではないのだ。
ーーただ1人を除いては。
太陽は駆け足で教壇の翔太の元へと駆け寄ると、声を張って言った。
「翔太!ベースやらないか!」
初対面で名前を呼び捨てにするあたりから、太陽の社交的な性格が見てとれる。そして太陽は翔太の手を取って握手を交わす。
「!」
その翔太の手に、太陽は一瞬驚きを見せる。そして太陽の方を一瞥する翔太と目があった。初めて垣間見えた翔太の容姿に、太陽は目を見開き何かを言おうとする。しかしその言葉が発せられるのを防ぐように手を振り解くと、翔太は口を開く
「バンドはちょっと」
そしてそそくさと窓際の空いている席へ座った。
「太陽またふられたー!」
「これで勧誘失敗何回目だよー」
クラスメートが太陽をいじり、一瞬にして教室内が笑いに包まれる。やはり太陽はムードメーカーなのだ。
「う、うるせぇな!」
怪訝な顔を浮かべていた太陽は、すぐに笑いながら相槌をうつ。周りの生徒にとっては、転校生が音楽に興味がなかったという極普通の光景、しかし太陽にはそれが一種の拒絶に感じたのだ。これ以上踏み込んでくるな、一瞬覗いた翔太の瞳は、そう訴えているようなきがした。そしてその瞳は同時に、太陽の脳裏に浮かんだある言葉を押し殺した。
ーどこかで会ったことある?
その一言を。
放課後。ドラムセットにアンプが置かれた小規模なライブステージを先頭に、机や椅子が扇型で並ぶ視聴覚室。そこに隣接する軽音部の部室と思しき小部屋では、太陽と他2人の軽音部であろう男子生徒が話をしていた。
「太陽今日盛大に振られてたねー」
短足で小太りの男が、ポテトチップスを貪り笑いながら言う。その傍にはドラムスティックが転がっていた
「うるせーな満男、早く練習しろよ」
「練習っつっても、ベースいなきゃ合わせらんねーしな」
太陽の返答に、ギターを肩からかけた男が爽やかな声でつっこむ。その声の通り、高身長に端正な顔立ちのその男は、いわゆるイケメンという奴である。その的確な指摘に核心を突かれたように太陽はぐもる。
「だ、だから翔太を入れんだよ!!」
「翔太ってあの今朝の転校生か?やめとけ、ありゃ脈なしだ」
「だね」
太陽の言葉を否定する2人は、今朝の出来事を知っているような口振りだった。なぜなら、この3人は同じクラスである。小太りの男の名は太井満男、おまけにバンドマンのプロマイドがついてくるという、プロ野球チップスのぱちもんのようなどこで売ってるのかも疑問なポテチを常に貪り食っている。軽音部では体型に似合わずドラム担当だ。
イケメンの男の名は風島 奏多、顔良し勉強良しスポーツ良しの完璧人間だが、ナルシスト気味で女癖の悪い性格がたまにキズである。軽音部ではギターを担当している。
「大体、無理やり入れてもガリ勉事件の二の舞になるだけだろ」
奏多がギターのコードをいたずらに弾き鳴らしながら言う。それにポテチを貪る満男が大きく頷いた。
ガリ勉事件 とは、今年の春の出来事を指す。
音ノ葉高校では、部員4人と顧問がいれば新たな部を申請できるという校則がある。その校則に則り、小学校からの同級生である太陽たちは、バンドに興味のないガリ勉を無理やり誘い、偶坂に顧問を頼んで軽音部を設立した。
偶坂は「めんどい」と言いながらもなんだかんだ引き受けてくれた。生徒の事を考えているのか、それとも何も考えていないのか。
そして幸い視聴覚室を使う部が他に無かったためにすんなり申請は通ったが、2年に進級してすぐのこと、ガリ勉が勉強に専念したいという理由で部を抜けたのだ。
これを太陽たちはガリ勉事件と呼ぶ。
つまり現時点での軽音部の部員数は3人であり、ベースが足りていない。そして、部活動として認定される最低部員数に達していないのだ。
「翔太ならぜってー大丈夫なんだよ!それにこのままじゃ、、」
その時、太陽の言葉を遮るように部室のドアが開かれる。扉の先に立っていたのは、低身長に短足の体躯に加え、風で前髪がカツラのようになびく髪有教頭である。恐らくズラだろう。生徒の間ではかみなしと呼ばれている。その教頭はメガネをわざとらしくくいっと持ち上げると、三人を見渡して言う。
「勧誘は順調ですかな、軽音楽部の諸君」
いかにも皮肉交じりの口調に太陽は口を開く。
「うるせぇこのズラ野郎!!」
そう言おうとした太陽の口を奏多が抑えた。もがもがと抵抗する太陽を尻目に、奏多はありったけの作り笑いを教頭へと向ける。
「何の用でしょうか髪有教頭」
さすがイケメンである。その笑顔は作り笑いであるはずなのに何故か輝いていた
「いやね、文化祭まで1ヶ月をきったからね、調子はどうかと思ったんだけどね、芳しくないみたいで、、大丈夫?」
その明らかに嫌味ったらしい皮肉に対し、太陽は奏多の手を跳ね除けて叫ぶ。
「見てろ!ぜってーでてやるからな文化祭!」
再び奏多は太陽の口を抑える。満男はその後ろでポテチを貪っていた。
「まあ楽しみにしているよ」
再びメガネを持ち上げると、部室から去って行く。
「うがぁああああああ」
それと同時に解放された太陽は、雄叫びを上げる。
「でも、ほんとにいけるかな?」
先ほど一言も発しなかった満男が口を開く。
「部員集めて4人で文化祭で演奏なんて」
「ぐっさんが顧問じゃなかったらとっくに潰れてるからな」
奏多がため息をつく。
ガリ勉事件の後、太陽たちは偶坂を丸め込み、必死に高校側にその事実を隠した。しかし夏休み直前にしてバレる。
そうして教頭から出された廃部を免れる条件が
部員を1人集めて、文化祭で演奏すること である。
しかし結局夏休み中も当然の如く新入部員は入らず、今に至る。
「こうなったら今から翔太の家押し掛けて勧誘だ!」
「家知ってんの〜?」
「知らん!!」
そんな満男と太陽の会話を遮るように立ち上がった奏多は、いつの間に閉まったのかギターケースを背負いながら言う。
「悪い、俺今日デートだから帰るわ」
片手を顔の前に持ってきて謝る仕草を見せるが、全く申し訳なさそうではない。そして部室の扉を開けると、いつの間にいたのか彼女が立っていた。
「も〜遅いよ奏多〜」
「わりぃわりぃ」
そうして腕を組んで帰っていく2人がフェードアウトするように扉がバタンと閉まる。
「何人目だろうね」
ポテチを口に運びながらのんきに満男は言う。
「あんの女好きがぁあああああああ」
太陽は拳を震わせて叫ぶ。
「絶対女の子よりもポテチの方がおいしいよね」
そんな満男のアホらしいセリフに、太陽はつっこもうとしなかった。
ー文化祭まで後3週間
キーンコーンカーンコーン
鳴り響くチャイムが一限の終わりを告げると共に太陽は席を立った。それを見て、後ろの席に座る奏多が問う。
「空音んとこいくのか?」
右隣の席では、満男がバックからポテチを取り出し、封を開けようとしていた。
「よく見てろお前ら!まずは仲良くなることからだ!」
太陽は意気込み、窓際の一番後ろの席で本を読む翔太の元へ向かう。奏多と満男はその後ろ姿を静かに見つめていた。
翔太の机の前に仁王立ちする太陽に気付いた翔太は、本から顔を上げる。太陽は白々しく切り出した。
「おう翔太!トイレいこーぜ!」
「ごめんそんな気分じゃない」
即答。
その光景を遠目から見ていた奏多は頭を抱える。
「いきなりトイレいこーぜって、、俺でも引くわ、、」
「瞬殺だったねー」
満男は相変わらずのんきにポテチを口へと運んでいた
それから数日間、太陽は毎日休み時間の度に翔太に話し掛けては塩対応をかまされる日々が続く。
「翔太!何の本読んでんだ?」
「別に」
「なぁ!この漫画めっちゃ面白いんだぜ!読むか?」
「いや」
「よっ!昨日のテレビ見たか?」
「見てない」
そんな二人の会話はすっかり日常と化していた。
キーンコーンカーンコーン
鳴り響くチャイムが4限の終わりを告げる。昼休みである。立ち上がった太陽は、弁当を持って翔太の元へ向かった。またか、といった顔で奏多はそれを見つめる。
「おう翔太!昼一緒に食おうぜ!」
「ごめん1人で食べたいから」
いつも通り断られる。
「、、ん?どうしたんだほっぺたんとこ」
太陽は翔太の頬に傷を見つけ、自らの頬を指差して問う。
「なんでもないよ」
翔太はそう言うと、そそくさと教室を出て行ってしまう。取り残された太陽の肩を奏多が叩く。
「今日も見事に撃沈したなー」
「早くお昼食べようよ」
満男がやたらとでかい弁当箱を抱えて、2人を促した。
それを合図に、3人は机を向かい合わせ、その上に弁当を広げた。これがいつもの昼休みのスタイルである
「諦めろ太陽、ありゃ無理だ。完全に避けられてる」
「いーやまだまだこれから」
太陽は白飯を口いっぱいに頬張りながらしゃべる。隣ではすでに満男が、太陽の倍はある弁当を平らげていた。その返答に訝しげな表情を浮かべる奏多は、太陽にある疑問をぶつける。
「なんでそんなに空音に固執すんだ?」
「確かにー、太陽やたらとそらねんにこだわるよねー」
いつの間にか満男によって付けられた奇妙なあだ名には触れず、奏多は続ける
「まだ何の部活にも入ってない転校生なら入部してくれるかもってのは分かるけど、あんだけ避けられたら無理だろ。見た感じバンドやるほど積極的にも見えねーし。それとも空音にこだわる理由が他にあんのか?」
その言葉に、太陽は暫く何かを考えるように黙り込む。しばしの沈黙の後、太陽は口を開いた。
「、、、翔太と、前にどこかで会ってる気がするんだ」
その言葉に、2人は呆れたように目を合わせて笑みをこぼした。
「それは気のせいだよー、だって静岡だよー?」
そんな最もな返答に聞く耳を持たず、太陽は続ける。
「それに、昨日翔太と握手した時、人差し指と中指の先に豆があったんだ。何度も潰したみてーに、めちゃくちゃ硬かった」
なぜかふて腐れた子供のように唇を尖らせる太陽に、奏多はため息をつく。
「、、だからベースやってるってか?確かにベースはその二本の指で弾くから豆ができる。可能性は高いけど、違う場合だってあるだろ、それに、、」
「それだけじゃねぇ!」
淡々と正論を吐く奏多の言葉を遮るように、太陽が立ち上がり感情的になる。
「あいつは俺がベースやらないかって言ったら、バンドはちょっとって言ったんだ、少なくともあいつはベースを知ってる、それにあんだけ豆潰すほど練習すんのは、バンドが好きじゃなきゃできない、俺はバンドが好きな奴と演奏してーんだよ!」
まくしたてるように言いたいことを吐いた太陽は、呆然と見つめる二人の顔を見渡して我に返り、頬を上気させながら再びイスへ座った。
「す、すまん、わがままだよなこんなの、、わりぃ。
お前らも嫌だったらいつでも軽音部抜けていいからな」
珍しく弱気な言葉を発する太陽の首に、奏多の腕が回る。
「なーに言ってんだ、軽音部作って全国大会で優勝するって約束しただろ、な?満男」
「そうだよー、弱気な太陽はなんか気持ち悪いよ」
笑顔で投げかけられる優しい言葉に、太陽は視界を滲ませる。
「お前ら、、、」
零れ落ちそうな涙を拭い、太陽はいつもの調子で声を張り上げて言う。
「よっしゃ、こうなりゃ放課後翔太を尾行して、正体を暴くぞ!」
「え、、俺今日デートが、、」
その奏多の声は虚しくもスルーされた。
翔太が一瞬見せた、拒絶するようなあの眼差し、そのことだけは、太陽は奏多たちに話さなかった。
口にしてはいけない、なんとなくだがそんな気がしたから。
あの時の眼差し、それが後に起こる事件を予兆していたことを、この時太陽は知る由もなかった。
「えー高校生なんてのは大体好き勝手やるもんだが、くれぐれも問題は起こさないように。めんどいからなー、そんじゃ解散」
いつも通りのぐっさんの言葉で、ホームルームが終わる。騒つく教室をいち早く出て行く翔太の後を追って、太陽たちはそそくさと教室を後にした。
徒歩通学である翔太は校門をでると右へと歩いて行く。それを少し離れた電柱からトーテムポールのように顔を出し見つめる3人。
「、、何してんだこれ」
「翔太の生態を探りつつ、隙あらば勧誘という完璧な作戦だ!」
奏多の冷静な疑問に、太陽は自信満々に親指を立てて答える。
「なんか楽しいねーこーゆーの」
呑気なことを言う満男。そんな会話をしている内に、曲がり角を左へ曲った翔太を3人は急いで追いかけていく。
しばらくすると、翔太はある店の前でピタリと足を止め、何かを手に取りまじまじと眺め始めた。
「お、なんだなんだ」
興味津々にブロック塀の角から顔を出す太陽。その顔は奏多、満男と縦に並ぶ。
「本屋みたいだな、立ち読みか。エロ本だったら俺と気が合う」
「何言ってんだこのエロがっぱ」
「お腹すいたなー」
そうこうする間に書店を後にし、歩き始めていた翔太を再び尾行する。後を追うことに必死な3人はその書店に見向きもせず、素通りして行く。翔太の手に取った雑誌の表紙には、こう書かれていた。
ーバンドマン特集
3人が尾行を続けると、翔太は今度はファミレスへと入って行く。3人も当然の如く後を追って入店する。
ピロリロリロン
陽気な入店音と共に、太陽は翔太の座席の位置をさり気なく確認し、その死角である斜め前の席を陣取る。
太陽はメニューを立てて顔を隠し、翔太の様子を伺った。翔太はドリンクバーを注文し、机にはノートと教科書が広げられている。
「勉強か」
真剣に尾行に徹する太陽の元へ、店員がやって来る。
「おまたせしました、ご注文をどうぞ」
「え?いや、呼んでな、、」
その時、隣に座っていた満男がメニュー片手にまくし立てるように注文を始める。
「デミグラスハンバーグAセットのライス大盛り、それと山盛りポテトフライ、若鶏の唐揚げ、それからイタリアンピザのチーズトッピングで。あ、ポテトはケチャップ増しでお願いします」
怒涛の注文ラッシュに慣れた手つきで注文機を叩き、注文を繰り返そうとする女子高生と思しき店員を、正面に座っていた奏多が慣れた口調でナンパし始める。
「お姉さんきれいだね」
イケメンにきれいと言われ、頬を紅潮させ分かりやすく照れる店員を白けた目で見つめる太陽。まんざらでもないのが余計むかつく。
尾行を忘れ、思い思いの行動を取る2人に太陽はため息をついた。
ファミレスを出た頃には、夕陽が辺りを真っ赤に染め、時刻は18時を回ろうとしていた。2時間近くファミレスに滞在した事になる。
その間も結局翔太は、ドリンクバー片手に勉強に励んでいた。ちなみに満男はずっと食べ続け、奏多は女子高生の店員とこっそりメアドを交換していた。
3人は尾行を再開する。
奏多と満男の頭には大きなたんこぶが出来ていた。恐らく太陽の怒りの鉄拳を喰らったのだろう。
しばらく行くと、翔太は一軒家の前で足を止め、玄関のドアを開けて中へと入っていった。その一軒家は、今時珍しい障子やガラガラと音の鳴る横開きの玄関など、レトロな哀愁を漂わせる年季の入った家だった。
その外見はどこか昭和を匂わせている。
「ここが家か」
「ただのストーカーだったな」
「結局何も分かんなかったねー」
そこが翔太の自宅である事を確認した3人はしばらくその外観を見つめる。太陽は一瞬怪訝な顔を浮かべたがすぐにいつも通りの顔つきに戻る。3人は互いに別れを告げ、それぞれの家路へと帰っていった。
この時、翔太の家を目にして、僅かではあるが確かに感じた違和感の正体に、太陽は気付くことができなかった
その違和感の正体は翌日の昼休み、思わぬ形で明らかになる。
「なぁ、これ見てみろ」
昼休みが始まるや否や、そう言って奏多が机の上に広げたものは弁当ではなく、1冊の雑誌だった。その表紙には、
第7回全国高等学校軽音楽コンテスト
と書かれている。
「これってあれだろ?去年夏希さんが出るからって3人で観に行った全国大会」
「僕たち軽音部の原点だねー」
太陽は弁当を、満男は何故かポテチを頬張りながら、いつものトーンで言う。
「そう、姉貴が出た全国だ。昨日姉貴の部屋にギタークリーナー借りに行った時たまたま見つけた。
お前ら、そん時の優勝バンド覚えてるか?」
奏多が雑誌を手に取り、ぺらぺらとめくりながら問う
「当たり前だ、忘れるわけねーよ。静岡のバンドだろ?史上初の高1で優勝した」
「めちゃめちゃうまかったよねー」
自信満々に答える太陽に懐かしむように相槌をうつ満男。その2人の前に、奏多は開いた雑誌をバン とおいた。
「これ見てみろ」
開かれたページには、優勝バンドの集合写真とメンバーの名前が載っていた。全国出場バンドはこのように特集を組まれ、雑誌に載るのだ。
そのページの、奏多が指差す先にはこう書かれていた
進藤 翔太(高1) パートBa
「懐かしいな〜進藤翔太。こいつのベースすげー好きだったわ、もちろん上手いんだけど何つーか情熱的で、演奏中は水を得た魚みてーにイキイキしててさ!特にあのヘドバンはみものだったな」
ーヘドバンとはヘッドバンキングの略称であり、ロックやヘヴィメタル、ハードコアでお馴染みの、リズムに合わせて激しく頭を上下に振る共鳴的動作を指す。
その頃を思い出すように感慨に耽り、1人腕を組み頷く太陽。
「そらねんと同じ名前だねー」
「んで、これがどうしたんだ?」
その問いに、奏多の指先がページの上部へと移動する。
「この写真、よーく見てみろ」
指されたバンドメンバーの集合写真。それを2人はまじまじと見つめる。そして数秒後、2人は自らの目を疑った。
そこには、メガネはかけておらず、髪も短い。今とは180度雰囲気が違うが、確かに空音翔太と思しき人物が、バンドメンバーと肩を組み満面の笑みで写っていたのだ
「、、翔太?」
「そらねんだー」
まだ驚きは醒めず、食いつくように写真を見つめる二人
「多分、太陽が前にあった気がしたのもこれだ」
奏多がいう。その口調は探偵のようだった。
「でも本当にこんな偶然あるのー?だって今と全然雰囲気違うしー」
その満男の疑問を太陽の言葉が遮る。
「いや、ある。だって翔太が転校してきたのはー」
太陽が笑みをこぼしながらいう。それに満男が何か思い出したように声を出す。
「あ、、」
「そう」
3人はお互いに目を合わせ、口を開く。
「「「静岡」」」
3人の声が揃い、笑みがこぼれだした。
「でも何で名字が違うんだろ〜」
満男はポテチを口に運びながら素朴な疑問をぶつける
「まあ改名ってパターンもなくはないけど、普通に考えりゃ再婚、もしくは離婚ってとこか、この中途半端な時期に転校してきた理由もそこにあるかもな」
冷静に分析する奏多のその言葉に、太陽は何かを閃いたような表情を浮かべ、口を開く。
「離婚、、、そうか、そういう事だったのか」
その呟きに、2人は疑問符を浮かべて太陽を見る。
「お前ら、翔太の家を見たときなんかおかしいと思わなかったか?」
そのセリフに2人は昨日の翔太の家を思い返してみる
「別に、普通の一軒家だったよー」
「ああ、少し年季の入った普通の、、、、なるほど、そういう事か」
奏多は自らの言葉の途中で納得し、何で今まで気付かなかったのかと言わんばかりに苦笑する。満男は未だに疑問符を浮かべたままだ。
「えーどーゆーことー?」
その満男に奏多は説明する。
「いいか満男、普通引っ越したての家ってどんなだと思う?」
「そりゃーぴっかぴかの新築じゃないかなー」
「じゃあ、空音の家はどうだった?」
「んーちょっと古くて、建てられてから結構経ってそうだったかも、、、あ!なるほどー」
その満男の表情は本当に理解したのか、いつもと変わらず細い目でニコニコとしていた。
「そう、つまりあの家はー」
そこまで言って、奏多は目線を太陽へと移し、その先を促す。その意図を汲み取った太陽は軽く頷き、先を続けた。
「翔太の母親の実家だ」
言い放たれたその言葉を補足するように奏多は続ける
「つーことは、空音は母親の旧姓、離婚して母親の地元に戻ってきたって訳だな」
その言葉に太陽は目を合わせ頷く。そして希望に満ちた顔で太陽は声を張った。
「これで決まりだ!全国でもあいつほど楽しそうに演奏する奴はいなかった、絶対あいつはベースが好きだ!こーなったら今すぐ勧誘して、、」
「ちょっと待て」
笑顔で勢いに乗る太陽を制止し、奏多は口を開いた。
「何があったかは知らねーが、今空音は確実に音楽を避けてる。いくら誘っても逆効果だろ」
その正論に太陽はぐもる。しかしその反対を押し切り、太陽は立ち上がった。
「でも、あいつがベースを嫌いになってるはずねぇって!ちゃんと話し合えば絶対、、」
そう笑顔で語り、翔太の元へ向かおうとする太陽の手を奏多は掴み、珍しく真剣な面持ちで言う。
「他人の過去に不用意に触れれば、溝が深まることもあるんだぞ」
奏多の太陽を掴む手には力が入り、2人の視線がぶつかる。そこにはしばしの沈黙が流れた。
その横で呑気にポテチのおまけのプロマイドカードを開封していた満男は、そのカードを見て珍しく声を張り上げる
「やった!イエローブラザーズのKENだ!みてみて!」
そう言って子供のようにカードを見せてくる満男に、2人は笑みをこぼしてため息をつく。満男の一言で、張り詰めていた場の空気が和んだ。
「イエローブラザーズって、昭和の伝説的ロックバンド、ブルーハーツの再来とか言われてる四人組みロックバンドだろ?あのメンバー全員40超えてるっていう」
そのカードを手に取って眺めながら、太陽は言う。
「ほんと満男はバンドの趣味渋いよなー、つーか古い?」
奏多は太陽の手を離すと、からかうように言った 。
「かっこいいんだよ!特にベースのKENはヘドバンとかすごくて、めちゃくちゃ上手いんだから!」
頬を膨らませ、反論する満男に微笑を浮かべながら、太陽はカードを見る。そのカードには、KENの演奏中の写真と、軽い豆知識が書かれていた。それを読み上げていく。
「イエローブラザーズきっての炎の情熱的ベーシスト
ロックバンドには珍しいツーフィンガー奏法と、激しいヘドバンが持ち味。KENの愛称で親しまれ、本名は、、ん?」
すらすらと読み上げていた太陽は途中で詰まる。
それからその文字を噛みしめるようにして続きを読む
「進藤、、憲一、、?」
「そらねんと同じ名字だー」
「ほんとだな、まあさすがにこれは偶然だろ」
「だねー」
そんな2人の会話など全く耳に入らず、太陽はブツブツと何かを呟く。
「全国優勝、、プロのベーシストの息子、、まじかよ」
その様子に気づいた奏多は、太陽に声をかける
「太陽?」
ガタッ その瞬間、唐突に立ち上がると、どこかへ向かうように走り出し、教室を後にする。
「おい!太陽!」
その声に振り返ることはなく、太陽の背中は消えた
「くそっあいつまさか、、」
奏多は考え込むように神妙な顔つきを浮かべる。
「いくぞ満男!」
「ちょっと待ってよ奏多〜」
2人はすぐに太陽の後を追いかけ、教室を出て行った
屋上。静寂に満ちたその空間では、翔太が1人、グラウンドを眺めていた。所々から生徒の笑い声は聞こえてくるが、屋上に他の生徒は見られない。
その屋上のドアが、激しくバンッと開く。
「翔太!!」
息を切らしながら叫ぶその声の主は太陽だった。
「ほんとはベース、好きなんだろ?」
まだ整わない呼吸でそう続けた太陽を翔太は一瞥し
「別に」
それだけ言い放つと、再び前を向き直る。
その表情に変化はない。しばしの沈黙の後、太陽は口を開いた。
「俺、去年の全国、観に行ったんだ」
その言葉に、僅かだが翔太の背中がびくつく。
「それにお前と握手した時、めちゃくちゃ豆が硬かった」
喋り続ける太陽に返答せず翔太は静かに立ち上がると、太陽の立つ入口へと歩みを進める。
「全国であの演奏ができたのは、豆が潰れるほど死ぬ気で練習したのは、ベースが好きだからだろ!」
何かにすがるように笑みを浮かべながら、翔太に言いよる太陽の横を、翔太は無表情で通り過ぎる。
「ごめん、これから用事あるから」
それだけ言うと、一度も目を合わせようとはせず、入口へと歩いていく。
その翔太の姿に、太陽は思わずある言葉を口にする。
「、、お前の父ちゃん、プロのベーシストか?」
つぶやかれたその言葉に、翔太の足が止まる。
そこへ、息を切らした奏多と満男が追いつくが、その空気に入っていくことはできない。
太陽は翔太の方を向くと、まくし立てるように感情的に言う。その顔は笑っているが、どこか焦っているようでもあった。
「全国で優勝して、父親がプロで、そんな奴がベース嫌いなわけねーじゃん!一緒に軽音部で練習しよーぜ!な?」
その太陽の言葉を遮り、消え入るような声で翔太は呟く。
「、、嫌いだ」
翔太は太陽の方を振り返ると、声を大にして叫ぶ。
「俺はベースが大嫌いだ!!!!」
放たれたその言葉は、翔太が初めて見せた感情だった。迸り怒りに満ち満ちたその目は、転校初日のあの眼差しを連想させる
一線を越えてしまった。踏み込んではいけない領域に、足を踏み入れてしまったのだ。
ただ呆然と立ち尽くす太陽を尻目に、翔太は再び入口へと歩き出すと、
「もう二度と、関わらないでくれ」
静かにそれだけ言うと、屋上の階段を降りていった。
入口付近でその様子を見ていた奏多と満男は、翔太の姿が見えなくなるとようやく我に帰り、太陽の元へと駆け寄る。
太陽はグラウンドの方を向いたまま立ち尽くしている。
「太陽」
奏多がそう声をかけようとしたとき、太陽は掠れた声で言葉を吐き出した。
「、、欲が出たわ」
その声は震えていた。奏多と満男はただ黙ってその先の言葉を待つ。その表情は見えない。
「バンドが好きな奴と演奏したいとか言って、結局俺は上手い奴を入れたかっただけなのかもな」
「太陽、、」
自嘲気味に吐かれたセリフに、奏多は声をかけるが、その言葉を遮るようにして太陽は続ける。
「奏多の言う通りにしてればよかったな、、、わりぃ」
そう言って振り返った太陽の表情は、感情とは全く正反対のものだった。
ありったけの笑顔
長い付き合いである2人には、それが作り笑いであることがはっきりと分かった。
作り笑いを浮かべたまま屋上を後にする太陽とすれ違った時、奏多は強く唇を噛み締めた。
キーンコーンカーンコーン
チャイムが放課後を告げる。多くの生徒が部活へと向かう中で、翔太は一目散に下駄箱へと向かう。そして下駄箱を開けた時、何かを目にして翔太の動きは一瞬止まる。
「よっ」
その後ろからかけられた声に、翔太はその何かを隠すように慌てて下駄箱を閉め、声の主の方を振り返る。
「、、風島、、くん」
そこに立っていたのは奏多だった。奏多は手に持っていた缶ジュースを1つ翔太に投げて、下駄箱から靴を取り出すと、ごく自然に笑みを浮かべながら言う。
「良かったらちょっと話さねーか?」
音ノ葉高校の周りは田んぼが多く、すぐ近くには土手がある。その草の生えた斜面に座り込むと、奏多は缶ジュースの蓋を開けて中身を飲む。奏多の喉仏が、ゴクゴクという音を立てて上下に動く。
缶ジュースを握りしめて飲もうとしない翔太を横目でみやり、奏多は言う。
「飲まねーの?」
「、、いただきます」
ようやく蓋を開けると、翔太は缶ジュースを飲み始めた。奏多はそれを一瞥し、唐突に口を開く。
「俺と満男と太陽は小学校からの同級生でさ、まあ腐れ縁みてーなもんだな。あ、満男ってあの同じクラスの太ったやつな」
その言葉に翔太は一瞬奏多の方を見るが、特に反応するわけでもなくまた川の方に向き直し、ただ黙って話を聞く。
「そんで去年の夏の全国、俺の姉貴もギターやっててさ、出るっつーから3人で応援行ったんだよ。そこでお前らのバンドを見たんだ。あんなに広いステージを自分家の庭みてーに縦横無尽に駆け回って、それでいて演奏は1ミリ足りともずれることなく四人の音が重なる。なによりみんな笑顔で、こんなにバンドって楽しそうなんだって、素直に感動した。めちゃくちゃ鳥肌立ったよ」
奏多は懐かしむように笑みを浮かべながら話す。
「特に太陽は、そん中でも1番楽しそうに弾いてたお前のベースに惚れてさ、俺は絶対ベースやる!!なんつってガキみてーに騒いでたわ。
そんで俺ら3人は決めたんだよ、バンド組んで、絶対あの舞台に立とうって」
笑顔で話す奏多の方は見ず、翔太はおもむろに缶ジュースを口へと運ぶ。同じタイミングで奏多はひと息つくように缶ジュースを飲むと、再び話し始める。
「でも俺らの高校には軽音部がなかった。だから夏休み明けてすぐに申請出して、軽音部を作ったんだ。でもあんだけベースベース言ってた太陽は結局ボーカル。なんでだと思う?」
それまで川の方を向いていた奏多は唐突に翔太を見ると、問う。
「、、、さぁ」
表情を変えずに首をかしげる翔太を一瞥し、奏多は続ける。
「あいつ、小さい頃に両親を事故で亡くして、母方のおばあちゃんに育てられたんだ」
その言葉に初めて翔太は目を見開き、奏多の方を向く
「あいつのおばあちゃん家は畳屋でさ、旦那さんはもう亡くなってて、女手一つで切り盛りしてんだ。
俺も何回も会ったことあるけど、すげー元気な人で、太陽に人並みの生活をさせてやろうと毎日必死に働いてる。そんなおばあちゃんに、言えなかったんだろうな。ベースを買ってくれなんて。
そんなこと言えば、無理してでも買ってくれることが太陽には分かってたから」
優しい笑みを浮かべながら語る奏多の話を、翔太はじっと黙って聞いている。相槌を打つでも頷くでもなく、ただじっと。
「だからってあいつはいつもおばあちゃんの店手伝ってるから、バイトをする暇もない。それで、楽器がなくても練習出来るボーカルになったんだよ」
「そう、、なんだ」
翔太は小さくそう呟く。奏多はじっと川の先を見つめている。その端整な顔立ちは夕日に照らされ、どことなく絵になっていた。
「そして遂に軽音部の全国への挑戦の始まり始まり〜、、、と思ったら、部活作るとき半ば強引に誘ったベース担当のやつが辞めたんだ。そんで結局夏の大会は出れず終い、教頭からは部員1人集めて文化祭で演奏しろなんて条件出されて、出来なきゃ廃部。俺たちの抱いた夢は、スタートラインに立つこともなく終わりを告げる。
そんな時に現れたのがお前だ」
缶ジュースを持った手で奏多は翔太を指差し、二カリと笑った。
「太陽はずっと、全国の舞台で演奏する、お前の面影を追いかけてたのかもな」
まだ少し中身の入った缶ジュースを揺らしながら視線を落とす奏多に、翔太は怪訝な顔を浮かべ問う
「そんなこと俺に話してどーすんの?」
奏多はあっけらかんとした口調で夕日へと目線を移す
「別に〜?特に同情してもらう気も、お前を無理やり勧誘する気もねーよ。ただ、誤解して欲しくなかったんだ」
「?」
夕日に溶け込んだ奏多の柔らかい表情を、翔太は隣で見つめる。その綻んだ口元から落とされた言葉は、意外なものだった。
「かっけぇんだよ、太陽は」
その瞳は真っ直ぐに、ただ真っ直ぐに夕日を見つめていた。
「なにそれ」
翔太はそんな事を呟いてみる。それがどういった意味を持つのか、翔太は気づいていたはずなのに。
「まあそのうち分かるよ」
そう言って、よっ と立ち上がった奏多は、翔太の方へと体を向けて深々と頭を下げる。
「屋上の件も含めて、勝手に過去を詮索したことは謝る。ごめん。」
「、、いいよべつに」
照れ臭そうにそっぽを向きながら、翔太は答える。頭を上げてその様子をしばらく見つめると、奏多は口を開いた
「なあ、一つ聞いていいか?」
それに対し翔太は黙り込みそっぽを向いたまま返答はない。奏多はそれを了承と受け取り、話し始める。
「なんで太陽を避けるんだ?現に俺とはこーやって普通に喋ってくれてんじゃん」
「、、、」
その言葉に、翔太は答えを返さない。二人の間に暫しの沈黙が流れる。
「、、ま、どーしても答えたくないんなら聞かねーよ
誰にだって言えない秘密はあるからな」
その沈黙を破ったのは奏多だった。
「でもこれだけは分かってくれ、あいつは悪い奴じゃねぇぞ」
「分かってるよ、、そんなの」
「なら良かった」
奏多は笑みを浮かべてそう言うと、じゃあなと手を振り、土手の斜面を登っていった。
「、、あいつと関わると、ベースが弾きたくなるんだよ」
消え入りそうな声で呟かれたその言葉は、奏多には届いていないようだった。
ーーだってあいつは、ベースを弾いてた頃の俺に似てるから
込み上げてきたその言葉を、翔太は静かに噛み殺した
奏多と別れた後、真っ直ぐ帰る気分ではなかった翔太は、意味もなくいつもとは違う道を歩いてみる。
するといつの間にか、静かな商店街に出ていた。沈みかけの夕日で赤く染まる商店街には、買い物かごを下げた奥さんがあっちでは立ち話をし、こっちでは子供と手を繋いで、静かな時が流れている。
その光景はどこか懐かしいような、哀愁が漂っていた
その内母親が後ろから、今日はハンバーグだよ と買い物かごをぶら下げて話しかけてくるんじゃないか、そんな気がする。
翔太は商店街を歩いていると、ある店の中から聞き覚えのある声が聞こえてくる。
「配達は俺がやるから、ばあちゃんは寝てなって!」
そしてガラッと店のドアが開いた。なぜか分からないが翔太は反射的に近くの電柱へ隠れる。
やはり店から現れたのは太陽である。手には軍手をはめ、頭にはタオル、そして3枚ほどの畳を担ぐその姿は職人と化していた。
すると店の中から甲高い声が響く。
「年寄り扱いするもんじゃないよ太陽、あたしゃまだまだ元気だよ!」
店の入り口に現れた声の主は、腰こそ曲がってはおらず、まだまだ元気発剌ではあるが、確実に70歳は過ぎているだろうお年寄りだった。太陽のおばあちゃんだろうか。そう考えると若い。
「平日は部活で手伝えてなかったんだから、俺がやるよ」
店の前に止めてある自転車の荷台に畳を括り付けながら、太陽は答える。それにようやく納得したのか、おばあさんは悪いねといい、入り口付近の畳へと腰をおろす。
「最近どーなんだい、部活は」
その言葉に太陽は一瞬体を強張らせるが、すぐに親指を立てて、満面の笑みで答える。
「めっちゃ順調!絶対全国行くから、そん時見に来てよ」
その笑顔を目にした翔太の頭には、奏多の言葉がよぎる。
ーーかっけぇんだよ、太陽は
その言葉が反芻し、気づいたら翔太はその場から走り出していた。
そして次の日の朝、事件は唐突にやって来る。
いつものように登校した翔太は、下駄箱で上履きへと履き替えると、少し離れた視線の先に人だかりを発見する。
しかし、特に興味を示さず教室へ向かおうとした時、生徒たちの会話が翔太の耳へ飛び込んできた。
「なになに、なんの騒ぎ?」
「なんか2組の黒田と音坂が揉めてるらしいよ」
身に覚えがあるのか、その名前を聞いた瞬間、翔太は人だかりへと走り出す。
その渦中では、太陽が黒田に馬乗りになり、胸倉を掴んでいた。黒田の頬は痛々しく赤く染まり、鼻血が出ている。恐らく手が出たのだろう。
「翔太に謝れ!!!」
そう叫ぶ太陽の目は怒りで迸り、恐怖すら感じた。
その光景を目の前にし、翔太は自然と言葉が漏れる
「なんで、、」
その翔太の感情を代弁するように、太陽よりガタイの良い黒田が怯えながら口を開いた。
「な、なんでお前がそんなムキになんだよ!」
「そんなの、、」
太陽は息を吸い込み、はっきりと言い放つ。
「友達だからに決まってんだろうが!!」
廊下中に響き渡るその言葉に、翔太の瞳孔は大きく開き、ただ呆然とその場に立ち尽くす。
そこに欠伸をしながら登校してきた奏多は、その光景を目にし、カバンを投げ捨て急いで止めに入る。
「太陽!やめろ!」
羽交い締めのように太陽の両手を抑えるが、それでも太陽の怒りは収まらない。
その内教師が駆け付け、事態は収束した。しかしそのほとぼりはしばらく冷めることはなかった。
放課後の部室には、太陽、奏多、満男の3人が集まっていた。
「、、、あほかお前は」
「派手にやったねー」
奏多は額を抑え、呆れたようにため息をつく。満男は相変わらずポテチを貪っていた。
「だって、黒田が翔太の下駄箱に悪口書いてんのたまたま見つけて、それでカッとなって、、」
ふて腐れた子供のように唇を尖らせ、いじけたそぶりを見せる太陽。
「もっと他に方法があっただろ、今回は要注意で終わったから良かったけど、ここでお前が謹慎になんてなってたら確実にこの部は潰れてたんだぞ!」
子供を叱るように奏多は言い聞かせる。
「、、すまん」
コンコン そこへ、部室のドアがノックされる。
「ゲ、まさかもう教頭が嗅ぎ付けたか、もしかしたら廃部が早まるなんてことも、、」
「ひぇええええええ」
慌てふためく太陽と奏多を待つはずも無く、ドアが開かれる。その瞬間、太陽は何度も深く頭を下げた。
「すいませんすいません!以後気をつけますのでどうか廃部だけは、、」
「あのさ、、」
太陽の言葉を遮るその聞き覚えのある声に、3人の視線が集まる。
「その、、さっきはありがとう」
そこには、赤く染まる頬をかく翔太の姿があった。
「、、翔太?」
頭を下げていた太陽がガバッと起き上がる。しかしその表情は翔太と目が合った瞬間、徐々に曇っていく
そして妙にモジモジとし始めた。
「あのさ、、昨日はごめん!」
再び勢いよく頭を下げる太陽。そしてその後に言い訳がましく付け加える。
「さっきもそうなんだけど、思い立ったら吉日がモットーていうか、頭に血が上ったら勝手に体が動いちゃうっていうか、、」
「いいよ、気にしてない」
頭上から聞こえてきたあまりに清々しい声音に、太陽は驚き頭をあげる。そして翔太の表情を見て更に目を見開いた。
そこには今まで見せたことのない、満面の笑みが広がっていた。もしかしたらこっちが、本当の姿なのかも知れない。太陽はそんなことを考える。
「あのさ、、まだはっきりと入部するとは言えないんだけど、よかったら軽音部の活動に混ぜてもらえないかな」
その笑顔から落とされた言葉に、3人は自らの耳を疑い目を合わせる。それはあまりにも意外な一言だった。部室にはしばしの沈黙が流れ、ようやく太陽が口を開く。
「ほ、ほほほほほんとか翔太!!」
ドタバタと焦る太陽の問いに、翔太は軽く頷いた。
それを見てようやく頭の整理がついたのか、太陽は軽く一息吐くと、再び奏多、満男と目を合わせる。3人は笑みを浮かべ、一斉に息を吸い込んだ。
「「「ようこそ、軽音楽部へ」」」
そうして差し出された太陽の手を、翔太が握る。それは転校初日以来の握手だった。しっかりと太陽を見つめる翔太の眼差しに、今度こそ拒絶の感情は感じられない。
「よろしく」
口元を綻ばせ、翔太はそう言った。
翌日の放課後、翔太が部室に持ってきたベースに太陽は釘付けになっていた。
「すげぇぇええええええこれfenderじゃん!」
「これ大会で使ってたやつか」
「なんかすごいねー」
ベースケースから取り出された光沢のあるベースを、3人はまじまじと見つめる。
「そうだ、3人の演奏見せてよ」
その言葉に、3人は顔を見合わせた。
視聴覚室へと移動した4人。太陽はPAにマイクを繋いだ。翔太はそのステージに置かれた機材を見て驚き、感心する。
「軽音部なかったのに、結構機材揃ってるんだ」
それに太陽が答えた。
「なんか昔にも軽音部があったらしいんだよな、だから一応ドラムセットとかアンプの機材は一通りあるらしい」
へー と翔太は納得する。そんな会話をしている間に、アンプにシールドを差し込んでギターの音作りを始める奏多。
ー音作りとは、楽器音を増幅させるスピーカーのようなアンプと言われる機械についたメモリを動かし、楽器音の歪みや音量、高低や抜け感を調節することである。個々の楽器の音質の兼ね合いが命のバンドにとって、音作りは重要な意味を成すのだ。
しばらくするとその音が鳴り止み、奏多はその様子を見ていた翔太、太陽、満男に視線を送る。
「いくぜ」
そう言うと、奏多はギターを弾き鳴らし始めた。
しなやかな手首でアップ、ダウンストロークを使い分け、コード弾きからアルペジオ、カッティングまで様々な奏法を自在に弾きこなす。その技術は正直に言ってそこら辺の経験者と比べても引けを取らない、圧巻の腕前であった。
「すごいじゃん!ほんとにギター始めて1年なんて思えないよ!」
驚き、賞賛する翔太に奏多は天狗になる
「いやーまあ俺だからな、ギターも女も朝飯前よ」
そう言う奏多の左手には、幾つも豆が潰れた後があった。持ち前の要領の良さもあるが、それ以上に努力を重ねたのだろう。
「奏多は指が長いのと手首も柔らかいから、元々ギターに向いてたんだな」
その翔太の見方は確かだった。奏多の指はすらっと長く、初心者の最難関とされているコードFも楽々押さえられている上に、柔らかい手首が自在なストロークを可能にしている。
ーストロークとは、ピックで弦を弾く動作を指し、上から下に向かってピックを降ろすように弾くことをダウンストローク、下から上にピックを上げるように弾くことをアップストロークと言う。ギターはこのアップとダウン、2つのストロークを組み合わせて音を鳴らすのだが、手首が柔らかいとこの切り替えをスムーズに行いやすいのだ。
「じゃあ次、満男お願い」
翔太に促され、満男はドラムのイスへと座る。何故かその姿は様になっていた。
「いくよー」
そしてスティックを握ると、満男は勢いよくシンバルを叩く。続いてスネア、バスドラムとダイナミックに体全体を使って音を奏で、その迫力とは裏腹にリズムは全くブレることはない。
暫くすると勢いづいてきたのか、スティック回しなどという小技を織り交ぜ始めた。
リズムに乗るその風貌は動ける肥満体と言った感じで、なんと言うか上手い。
「上出来だよ!満男はすごくリズム感がいいんだね、
じゃあ次は、、」
いわれる前に、太陽はマイクを手に取り歌い始めていた。その図太く芯に響く歌声は上手い、と言うよりは熱い。心の底から刺激され、体が熱くなる。何故か盛り上がりたくなる、そんな歌声。
クラスでも場を盛り上げるムードーメーカーである太陽の性格はその歌声にも反映されていた。それはもう天性の才能であろう。
「やっぱり、太陽は肺活量があるね!すごいよ3人とも!それじゃあ次は合わせて見せてよ、文化祭で演奏する曲があるんだよね?」
その言葉に、3人は顔を見合わせ怪訝な顔を浮かべるが、すぐに準備を始めた。
「じゃあ、いくぜ」
満男のドラムスティックのカウントと共に、演奏が始まる。翔太は黙ってそれを見ていたが、暫くするとため息をついた。
その演奏は一言で言えば、ーーひどい
ドラムのカウント音の意味もなく入りから全く揃わず、お互いの音をよく聞いていないせいか、ギターが走りドラムもそれを気にせず叩くため、ボーカルが全くリズムに乗れていない。
要所要所でのキメは揃わず、曲の終わりには楽器がピタリと止まるはずであるのに音が鳴っている始末。
「、、いくらベースがいないにしても、これは流石にひどいね」
頭を抱える翔太に、太陽は怒られた子どものようにモジモジしながら言う。
「その、なんつーか、、前のベースが抜けてから個人練ばっかで、全然合わせてなかった、、です」
口笛を吹きながら目を反らす太陽に、翔太は呆れたように溜息をついた。
「そうだ!翔太のベース聴かせてくれよ!」
「ああ、そうだね」
話を反らすように切り出す太陽に、翔太は頷くとベースアンプにシールドを差し込み、音作りを始めた。
まだ音作りの段階であるはずのその音に、3人は思わず聴き入ってしまう。
慣れた手つきで素早く音作りを済ませた翔太は、3人に視線を送った。
「行くよ」
そうして二本の指から紡がれた重低音は、バンドにおいてベースは地味、そんな思想を根底から覆すほどに美しく、3人の心臓を震わせた。
難しいことはやっていない。なのに何故か鳥肌が立つ
4分、8分、16分、右手のツーフィンガーが速くなると共にフレットを押さえる左手の動きも早くなっていく。目で追えないほどに複雑な動きで難解なフレーズを弾き鳴らしているはずなのに、1音1音がくっきりと響き、そのリズムは1ミリたりとも狂わない。
そうして作り出された恐ろしいほど美しい重低音の響きに、3人は思わず言葉を失い見惚れてしまった。
ずっと見ていたい、そんな衝動に駆られる。
「こんなもんかな」
演奏が止まり、その言葉で我に返った3人は何故か自然と拍手をし始めた。
「やっぱすっげぇな!!」
「去年の全国思い出したわ」
「思わずよだれでちゃったよー」
3人は次々と賛美の言葉を口にする。
「なあ!次はあれやってくれよ、ヘドバン!」
好奇心旺盛に目を輝かせる太陽に、翔太は少し困った様に眉尻を下げた。
「いや、あれは演奏中にその場の雰囲気でやるもんだから。とりあえずまずは曲を合わせられるようになることかな、バンドはあくまで総合力、個々がうまいだけじゃ意味がないからね」
その言葉に、3人はやっぱりか と言った表情で苦笑する。翔太は先程の演奏を踏まえて指摘を始めた。
「3人は演奏中、しっかり返しの音聴いてる?」
その言葉に、3人は顔を見合わせ疑問符を浮かべる。
「返し?」
3人を代表するように放たれた太陽の言葉に、翔太は本日3度目のため息をついた。
どうやら太陽たちは技術こそ人並み以上にあるのだが、 知識はからきしのようである。
翔太は太陽の前に置かれる、スピーカーにもよく似た黒い機械を指差した。
「これが返し」
「ほぇ〜スピーカーかと思ってたわ」
その返しを囲んで、まじまじと見つめる3人。
「見たことないかな、ライブでよくボーカルとベースの間とかに置いてあるんだけど、ボーカルがパフォーマンスで足乗せたりするやつ」
「あ、なんか見たことあるわ」
翔太の説明に、太陽を筆頭に3人は何度か頷く。
「まあ言うなれば演奏者用のスピーカーって感じかな。大きいステージとかだと、特にベースとギターなんかはお互いの音が聴こえにくい。その時はこの返しから返ってくる音を聴くんだよ」
返しを叩きながら話す翔太の説明を、本当に理解しているのか3人が黙って頷きながら聞いていた。
「演奏中は自分が走ってても意外に気づかないもんだからね、普通は他の楽器を聴いて調整する。
特にバンドでリズムの基盤を担うのはベースとドラムのリズム隊。そのリズム隊の音を聴いて調整する為にも、返しは重要な役割を果たすんだ。だから3人は、返しで他の楽器の音を聴いてるのかなって」
「確かに意識したこともなかったなー」
「奥が深い」
「僕がリズム隊かぁー」
思い思いの感想を口にする3人を一瞥し、翔太は続ける。
「さっきリズム隊って言ったけど、そのリズム隊が作り上げた土台にボーカルとギターが乗っかるのがバンドのイメージ。だからリズム隊は決して崩れてはいけない。逆に言えば上手いバンドほど、リズム隊は寸分足りとも狂わないんだ」
翔太はおもむろにベースで適当なフレーズを弾き始めた。
「更に言えばその土台の土台を担うのがベースの役割。バンドはベースから始まり、他の楽器を生かすも殺すもベース次第。バンドにとっての司令塔、それがベースだ。な?ベースっておもしろいだろ?」
噛みしめるように、そして笑顔で放たれたその言葉に、3人は笑みを浮かべる。
「まあ返しの音を聴く以前に、全員がその曲のリズムを体に叩き込んでおく必要があるんだけどね。
返しは万が一ずれた時の最終手段だと思っておいた方がいい」
「じゃあどうするんだ?」
その太陽の質問に待ってましたと言わんばかりに口角を吊り上げて、翔太は言う。
「とっておきのものがある」
翔太の不敵な笑みに3人が疑問符を浮かべ、その日の部活は終了する。
翔太は何故か部室にベースを置いて帰った。戸締まりはきちんとする為盗まれるなどと言った心配はない、それ自体は特におかしなことではないのだが、上級者ほど楽器は持ち帰るものである。家でも弾かなければ感覚が鈍るということもあるが、やはり誰もいない場所に楽器を放置することは不安なのだ。
太陽は軽く疑問を抱いたが、特に問いただすこともしなかった。
翌日。翔太は部活が始まるや否や、ベースケースからごそごそと何かを取り出す。
「じゃん」
その取り出されたものをまじまじと見つめる3人。
それは片手で持てる程の大きさで時計台のような形をし、真ん中についた針がカチッカチッ と一定のリズムで左右に触れていた。
「どっかで見たことあるなこれ」
「あれじゃねーか?音楽の授業」
「あー確かにー」
揺れる針をじーっと目で追う3人に、翔太が言う。
「これはメトロノーム。前のバンドでもよく使ってたんだけど、こーやって一定の間隔で刻まれるリズムを聴いてテンポを合わせる道具なんだ。吹奏楽なんかでよく使われるけど、自分達がどこでずれるのかが浮き彫りになるからリズムを体に染み込ませるにはもってこいだね」
その説明の間も、メトロノームは一定の間隔でリズムを刻んでいた。
「じゃあまずは、俺がメトロノームと同じテンポで手拍子をするから、その音に合わせて3人で演奏してみてよ」
そう言って翔太はメトロノームのカチッカチッという音に合わせて手を叩き、実演して見せる。
「なるほど!楽勝だぜ!」
太陽はそう意気込み、3人はぞろぞろとセッティングを始めた。
「じゃあ俺は手拍子をしてるから、せーので入ってきてよ」
そう言うと翔太はメトロノームのテンポを調整し、手拍子を始める。3人は音作りを済ませ、翔太の方を向いた。
「せーの」
その翔太の声で、演奏が始まる。するとイントロの時点で、手拍子の音とギター音が明らかにずれてしまっていた。翔太は一先ず演奏を止める。
「やっぱり、奏多はリズム取るのが苦手だね」
「、、ばれたか」
奏多はわざとらしく舌を出し、頭を掻いた。
「じゃあもう一回。このテンポを体に染み込ませるようにね」
そして再び翔太の手拍子と共に演奏が始まる。
メトロノームを使った練習は1時間近く続いた。時刻は17時を回ろうとしている。その頃には、空調設備の備わっていない視聴覚室で、9月の終わりだと言うのに太陽、奏多、満男が汗だくになっていた。
「合わせるって結構疲れるんだな」
「だねー」
「結構神経も使うしな、女より奥が深い」
タオルで汗を拭き、ペットボトルの水を口に含みながら奏多がふと漏らした言葉には触れず、翔太は言う。
「まだ要所要所でずれるところもあるけど、だいぶ揃ってきてるよ。奏多はやっぱり覚えが早いね」
「まあな」
その言葉に奏多は照れることもなく自慢気に鼻を鳴らした。その奏多を一瞥し、翔太は口を開く。
「次はスタジオで練習したいね」
ースタジオとは、バンドマンがライブ前にしばしば利用する料金制の練習施設である。
「スタジオ?でもここの方がタダで使えるしよくないか?」
その太陽の素朴の疑問に翔太は答える。
「スタジオは防音や音響設備、機材なんかも揃ってるからより実践的な練習ができる。自分やバンド全体の音を確認するって意味でもここより全然練習になるんだ」
その説明になるほどと納得するように3人は頷く。すると奏多が思い出したように口を開いた
「そーいや姉貴がよくライブとか大会前に、この近くの駅にあるスタジオ使ってたな」
「へー夏希さんが」
太陽が相槌をうつ。奏多のその言葉に翔太が食い付いた。
「じゃあ今からそこ行こう!」
「え?今から?」
3人は怪訝な顔を浮かべるが、翔太に促されすぐに支度を始める。
と言うのも、音ノ葉高校は周りを田んぼが囲み近くには土手、少し行けば商店街という見事な田舎に存在する高校であるため、最寄り駅の「塚谷」までは徒歩で30分以上はかかる。既に時刻は17時を過ぎ、今から徒歩で向かって練習したんでは帰りは何時になるんだ、そう考えて3人は眉尻を下げたのだ。
4人が駅に着いた頃には、やはり時刻は18時に差し掛かろうとしていた。
翔太と奏多は楽器を背負い、満男は肩にスティックケース、太陽だけが手ぶらで、駅を練り歩く。
「多分ここだな」
そうして奏多が立ち止まり指差した先には看板と、地下へ続く階段への入り口があった。太陽は看板の文字を読み上げる。
「スタジオ、、きゃん、、でぃー、、?」
「地下にあるタイプのスタジオだね」
そう言うと翔太は目の前の階段を降りていく。3人もその後に続いた。
カランカラン
階段を降りた先にある扉を押し開けると、子洒落た髭を生やすダンディーな男性店員が受付と思しきカウンターにたっていた。どこかその髭は胡散臭さも感じてしまう。
「いらっしゃい」
渋味のある声に軽くお辞儀をすると、翔太は慣れた様子で手続きを始めた。太陽たちは挙動不審に周りをきょろきょろと眺め、受付の前に置かれた椅子に腰を下ろす。
「今空いてるのはスタジオBだね。時間はどうする?」
「1時間でお願いします」
ースタジオの後に着くアルファベットは、借りるスタジオの大きさを指す。スタジオによってはスタジオ1、2などと数字で表すこともある。
翔太は渡された用紙に必要事項を記入し手早く手続きを済ませると、マイクの入ったカゴを受け取り、椅子に座る太陽たちを促した。
翔太に続き、スタジオBと書かれた分厚い二重扉を開けると、そこにはドラムセット、アンプ、スタンドなどひと通りの機材が置かれ、ドラムの正面はガラス張りになっている。ライブハウスのステージだけを切り取り、観客席を鏡にした、そんな感じの造りである。
「おぉ!視聴覚でしか練習してなかったから初めてだな!」
分かりやすくはしゃぐ太陽の声も、防音のため少しこもって聞こえた。二重扉を閉めると外の音は完全にシャットアウトされ、上昇するエレベーターの中のように、耳がおかしく感じる。
4人はそれぞれセッティングを始めた。PAにマイクを繋いでいると、ベースケースからベースを取り出す翔太を見て太陽は言う。
「お、翔太も弾くのか!」
「ああ、もう文化祭もすぐだし、スタジオぐらいでは合わせておかないとね」
そう言ってベースとアンプをシールドで繋ぐ翔太に太陽は首をかしげた。
「あれ?じゃあ翔太俺らがやる曲弾けるのか?」
「コピー曲の定番中の定番だからね、前にやったことがあるんだよ」
その言葉に3人はお〜と感嘆の声を漏らす。
楽器隊は音作りを始め、それぞれの楽器音がスタジオ内に反響した。暫くすると音は止み、室内に静寂が訪れる。全員の音作りが完了したことを確認し、翔太は口を開いた。
「じゃあさっきのメトロノームのテンポを思い出しながら演奏していこう。常にベースの音を聴いて、ずれたら修正するよう意識して」
放たれたその言葉には、俺のベースはずれない その絶対的な自信が垣間見得る。
そしてドラムのカウントにより、演奏が始まった。
その瞬間、3人は驚愕する。
ーーずれない
それは演奏が進むに連れて顕著に表れ始めた。メトロノームがある時よりも確実に、テンポが揃っている。
正確に言えば、ずれてもベースが正しい道へと連れ戻してくれる、室内に圧倒的な存在感で響き渡る美しい重低音は、メンバーに不思議な安心感を抱かせた。
例え音がずれても、ベースが束ねてゴールへと導いてくれる、そんな大船に乗ったようなとてつもない安心感である。その重低音はやがてメンバーから気負いを奪い、余裕すら与える。
そして演奏がサビへと差し掛かった時、翔太が足を開き腰を落とした。
ヘドバンが炸裂する。指板が見えていないのではないかと言うほどに頭を上下に振る、いや、見ていないのだろう。恐らく体が指の動きを、演奏を覚えているのだ。だからずれない。どんなに激しいヘドバンをしても、寸分狂わぬテンポでバンドを導いていく。これが体に染み込ませるということなのだろう。
そしてその気持ちいいほどに曲のリズムとマッチしたヘドバンは、メンバーのギアを上げ一気に勢いを加速させていく。
最後は一斉に楽器が鳴り止み、演奏が終了した。
空調の効いた室内であるはずなのに、汗だくになる4人。お互いの顔を見合わせ、自然と笑みがこぼれる。
「うおおおお!今結構揃ったんじゃねーか!」
「すげぇな、やっぱ全国優勝は伊達じゃねぇよ」
大声でマイク片手に興奮する太陽。奏多は滴る汗をタオルで拭きながらいった。そしてペットボトルをラッパ飲みするその端正な横顔は、何故か絵になる
「ヘドバンなんて去年の全国観てるみたいだったよー」
首に掛かったタオルで汗だくの顔を拭きながら、満男はドラムの後ろの壁に寄りかかる。その風貌はジョギングを終えてヘトヘトのおっさんである。
そのメンバーを見渡し、翔太は口元を綻ばせて言った
「やっぱりみんな、演奏技術は申し分ないね。後はぴったり揃うように数をこなしていこう」
その言葉に3人は各々の返事を返し、練習を再開する
1時間のスタジオ練習を終えた4人は、会計を済ませてライブハウスを後にした。時刻は既に19時近い。
ヘトヘトの状態で駅前を歩いていると、満男がゲームセンターの前で足を止めて店の中を指差した。
「せっかくだからあれ撮ろうよ」
その先に3人の視線が集中する。そこにはプリクラ機が置かれていた。満男は意外と乙女な一面があるらしい。
4人はゲームセンターに入店すると、けたたましい機械音の中をプリクラ機まで進んでいく。そして奏多が慣れた手つきで操作を始めた。
「4人、、の、、携帯用っと、、フレームはどーする?」
恐らくこの中で一番プリクラをとりなれているのは奏多であろう。4人は100円ずつ入れると、プリクラ機の中へと移動した。
4人だからか、満男が太っているからか、横一列で画面に入ろうとすると意外に窮屈である。
そうこうしているうちにカウントダウンが始まる
「満男、もっとそっち行け」
「えーこれ以上無理だよー」
太陽は満男の顔に頭を押しつぶされながらも、何とか画面に入り込む。何故かその横で奏多はウィンクを決めてカッコつけていた。
「ほらくるぞ」
奏多のその声の直後、パシャリ という音が鳴り響く
外の落書き画面で写真を確認した太陽は、眉をひそめた。
「、、俺、顔潰れてね」
その顔は確かに満男の頭によってつぶされていた。
「くっそー満男め、仕返しだ!」
「あ、やったなー」
太陽は満男の顔に落書きを始める。その隣の奏多はなぜかやたらと盛れていた。
「、、つーかなんで奏多こんな盛れてんだよ。お前はもう盛れなくていいんだよ!」
「あ、太陽てめぇ!」
その隣の翔太は横目で3人の様子を見ながら笑顔で映っている。そして何よりその写真は、全員が笑顔で楽しそうだった。
3人と別れ、帰宅した翔太は何かを警戒するように静かに玄関を開ける。そして誰もいないことを確認すると、猛スピードで階段を駆け上がり自分の部屋へと入った。その物音に気付いた母親が、階段の下から声を掛ける。
「翔太ー帰ったのー?遅かったわねー」
「ごめん、勉強してたら遅くなったー」
平然を装いそれだけ答えると、翔太は押入れの奥へベースをしまった。
それから1週間、太陽たちは視聴覚室ではメトロノームを使いテンポをひたすら揃え、それを踏まえてスタジオで翔太を含めて4人で合わせるという練習を毎日続けた。
そしてついに文化祭が週末に迫った月曜日。
この日も4人はいつも通りスタジオ練習を終え、駅から歩いて帰っていた。
「あー疲れたー」
「お腹空いたねー」
「でも結構揃ってきてるよな、演奏」
「うん、大分上達してきてるよ3人とも」
そんな他愛もない会話をしていると、後ろから唐突に声を掛けられる。
「、、翔太?」
その声に振り返った翔太の瞳は、声の主を捉えると大きく見開かれた。そして声が溢れる。
「、、母さん」
少し遅れて振り返った太陽は、翔太のそのセリフを聞いて言う。
「ん?翔太の母ちゃんか!こんにちは〜」
太陽に続いて奏多と満男も、翔太の母と思しき買い物かごを腕に下げた女性へと軽く頭を下げ、挨拶をする
「やべ、そろそろ帰ってばあちゃん手伝わなきゃ。そんじゃ明日な!」
ふと思い出したような口振りで落とされた太陽の言葉が解散の合図となり、奏多と満男も手を振りそれぞれの帰路へとついていく。
その場には翔太と母だけが残された。2人は未だに動かない。
この時、確かに生じていた翔太の異変に、太陽たちは気づくことができなかった。
翌日の朝、翔太は学校を欠席した。窓際の誰もいない席を見つめながら、3人は話す。
「あれ?今日翔太休みか」
「空音にしては珍しいな、今まで一回も休んでねーのに」
「そらねん風邪かなー」
そんなことを話しながらも、3人は特に気にとめることもしない。この日は翔太がいない為スタジオへは行かず、メトロノームのみを練習した。
ーーしかし
それから3日が経ち、文化祭を明日に控えた日も、翔太が学校に姿を現すことはなかった。
「おいおい今日も休みかよ、空音のことだからリハ無しでも演奏の心配はねぇだろうけど」
「そらねん、風邪長引いてるのかな〜」
じっと翔太の席を見つめていた太陽は口を開く
「よし、今日の放課後、翔太ん家にお見舞い行くか」
窓際の翔太の席は、やけに寂しく感じられた。
もう戻ってこない。そんな嫌な予感が脳裏をよぎる
帰りのショートホームルームで、偶坂が軽音部に声をかけた。
「軽音部、お前ら教頭が呼んでるから放課後職員室な」
唐突な呼び出しに3人は顔を見合わせる。
いつもの気だるげなトーンで告げられたその言葉を言い終えた後、偶坂は一瞬、何かを悔しがるように顔を歪めた気がした。
「失礼します」
ガラガラと横開きのドアを開き、職員室へと入っていく。そこにはいくつもの机が並んだ列が何列かあり、教師たちが各々の作業をしている。そしてその机たちを見渡すような、会社の部長のような位置に置かれた一つの机で、教頭がコーヒーをすすっていた。
「何のようですか」
三人は教頭の前に立つ。
「おお、きたか。実はね、、」
教頭はコーヒーを置くと、回転式の椅子を利用して三人の方を向き直った。
「軽音楽部の廃部が決まった」
その一言に、頭をハンマーで殴られたような衝撃が三人を襲う。
「どういうことだよ!翔太が入部して明日四人で演奏、それで条件はクリアだろ!!」
太陽が怒りにも満ちた表情で、机を叩き声を張り上げた。職員室中に響いたその声に、教師たちの視線が集中する。
奏多は感情的になる太陽をなだめると、落ち着いた声音で聞き返した。
「どういう事ですか?」
教頭はコーヒーを口に含むと、一息ついてから口を開いた。
「空音くんの母親が、空音くんを軽音部に入部させないでくれと頼みこんできた」
その言葉に3人は動揺を隠せない。教頭は構わず話を続ける。
「私もその話を聞いたのは昨日が初めてでね、それまでは偶坂くんが電話で取り合っていたらしいんだけど、「本人の意思が必要です」の一点張りで母親の要求を認めない偶坂くんに痺れを切らして、昨日直接職員室を訪ねてきたんだ」
教頭の話を、ただ呆然と聞いている3人。
「そこで偶坂くんと私と空音くんの母親の3人で話し合い、軽音部の現状を説明した。すると空音くんの母親は
「それじゃあ軽音部の廃部が決まるまで、息子は学校を休ませます!」
そう怒鳴って教室を出て行ったよ」
憮然とした表情で立ち尽くす太陽に代わって、奏多が口を開く。
「空音の母親がそこまで反対するのは、離婚が関係しているんですか」
知っていたのか そういった表情を浮かべ教頭はコーヒーを口へと運ぶと、暫しの沈黙の後小さく頷き、口を開いた。
日が沈みかけ、夕日となって校舎を真っ赤に染める。
人気のない体育館裏の石段に、太陽は一人腰をかけていた。どこを見るわけでもなくただぼーっとしている
恐らく聞こえてくる運動部の掛け声も耳をすり抜けているだろう。
太陽の頭には、教頭の話が蘇っていた。
「空音くんの両親の離婚の原因は、父親のベーシストと言う職業にあるみたいでね、母親は父親を今でも相当憎んでるらしい。
その恨みの矛先が、ベースに向いてしまっているんだろうね。」
反芻するその言葉に、太陽は頭を抱える。
「らしくねぇ面してんな」
太陽が顔を上げると、白衣に身を纏い、気だるそうに髭をかく中年の男が立っていた
「、、ぐっさん」
偶坂は太陽の隣の壁にもたれかかり、タバコに火をつける。
「いつも見てーにしつこくいかねぇんだな」
タバコをふかす偶坂の言葉に、太陽は視線を落とすと顔を歪めて答える。
「いけるわけねぇよ。翔太が抵抗しないで言いなりになってんのは、母ちゃんが好きだからだ。ここまで育ててくれた母ちゃんに感謝してるからだ。
俺だって、ここまで一生懸命育ててくれたばあちゃんに軽音部辞めろって言われたら、言う通りにすると思う。翔太が必死に悩んで決めた事に、口挟んで言い訳がねぇ」
太陽の口から紡がれたその言葉は、今にも消えてしまいそうで、ものすごくせつなかった。暫しの間の後、偶坂が口を開く。
「それがお前の本音か?」
その言葉に、太陽が顔を上げる。偶坂は煙を吐き出すと、先を続けた。
「仕方ねぇ そうやって自分の中で勝手に踏ん切りつけて、諦めてるだけじゃねぇのか?」
「それは、、」
再び下を向いて言葉に詰まる太陽を一瞥し、タバコをふかして一息つくと、偶坂はまくしたてるように話し始める。
「あいつが軽音部に入りたくないって言ったか?あいつの口から、ベースが嫌いだって言ったか?
お前はどうしたい、お前はあいつにどうしてほしい、
お前が最後の最後まで本音でぶつかってやらねぇでどーすんだ、男なら我を通せ、面倒ごとは後から何とかすりゃいい、だってお前はーー」
淡々とした口調ではあるが確かに熱のこもった言葉に、太陽は顔を上げて偶坂を見つめる。
「あいつの、友達だろーが」
放たれたその言葉に、太陽は核心を突かれたように一瞬静止すると、それから静かに笑みを浮かべた
「、、ありがとう、ぐっさん」
それだけ言うと、太陽は勢いよく走り去っていく。その背中を見つめ、2本目のタバコに火をつけると、偶坂は呟く。
「ったく、めんどくせぇクソガキだ」
その口元は、僅かに綻んでいた。
ーーいつからだろう、父にベースを教わる事がなくなったのは。
ーーいつからだろう、父と話すことがなくなったのは
ーーいつからだろう、尊敬していた父のことが、嫌いになったのは
父と母は、父が駆け出しのバンドマンの頃から支え合い、結婚してからも幸せな家庭を築いてきた。
翔太が産まれてからも、父は中々大成することのできない売れないバンドマンであったため、決して裕福な暮らしとは言えなかったが、父は献身的に家族を気遣い、食卓は必ず家族3人で囲む。家族との時間をとても大切にしていた。
「お金がなくても、お前らがしあわせならそれでいい」
それが父の口癖、そんな父を母は笑顔で支え、いつでも笑顔の絶えない温かい家庭だった。
ーしかし、父がイエローブラザーズとして人気を馳せ始めた頃から、父は豹変する
食卓を三人で囲むことは、ほとんどなくなった。
そんな時も母は笑顔で、
「仕事なら仕方ないわ、2人で先に食べてよう」
と翔太に言う。
しかしそんな母に、仕事のストレスから父は手をあげ始めた。
それでも母は、「お父さん忙しいから、ストレスが溜まってるんだよ」と、翔太に心配をかけないよう笑顔で接し、毎日温かいごはんを作って父の帰りを待った。
しかし、毎晩夜中に酔っ払って帰ってくる父。そんな日々が続くと共に、母の笑顔は徐々に曇り始める。
そしてある日のこと。
いつものように部活から帰った翔太がドアを開けると、玄関には泣き崩れた母の姿があった。その表情にいつもの笑顔はなく、恐怖すら感じる。
垂れて顔にかかった長い黒髪の隙間から垣間見える充血した目が、翔太の背負っていたベースを捉えると、怒りにも似た表情で母は言葉を紡ぐ。
「もう2度と、私を苦しめないで」
その声は、今にも消えてしまいそうなほど震えていた。怒りと恐怖が織り混ざったように小刻みに身体を震わせる健気な母を見つめ、翔太は誓う。
もう、母を苦しませない
もう二度と、ベースは弾かないと
「太陽、俺はやっぱ、母さんを苦しめる事はできなかったよ」
夕日の差し込む八畳間ほどの部屋のベッドに座り込む翔太は、そう呟く。手には、以前太陽たちと撮ったプリクラを持っていた。
「もう、友達、なんて言ってくれないよな。俺はあいつらを裏切ったんだから」
自嘲気味に笑みを浮かべながらそう呟く翔太の声は小刻みに震えている。
「文化祭明けたら、また一人ぼっちかぁ」
プリクラには、一つ、また一つと水滴が落ちて、まだら模様を作り上げていた。
「いい奴らだったなぁ」
頬を伝う涙と共に落とされたその言葉には、太陽たちへの感謝と、後悔と、自嘲と、様々な感情が入り混じっていた。
「翔太ー、お母さん夕飯の買い物してくるからね」
階段の下から母の声が響く。翔太は慌てて涙を拭うと、事も無げに繕った声で答えた。
「はーい」
その声が聞こえるが先か、玄関のドアがガラガラと閉まる音が聞こえ、母は宣言通り買い物へと出かけていく。
祖父母も出払っており、翔太は家に1人となった。
静寂の広がる空間に、しかし次の瞬間、ある声が反響する。
「翔太!!!ほんとはベース好きなんだろ!」
窓の外から放たれたその聞き覚えのある声に、翔太は思わず立ち上がる。
デジャブ とまではいかないが、その言葉は身に覚えがあった。屋上での一件である。
翔太の家の前で、膝に手をつき息を切らす太陽は、呼吸を整えると、翔太の部屋の窓を見つめる。
そして大きく息を吸った。
「おまえが出した答えに、文句を言うつもりはねぇ!
お前が文化祭に来ようが来まいが、お前が俺の友達であることに変わりはねぇ!」
まだ少し乱れた息遣いで告げられた言葉に、翔太は目を見開く。
「でも、これだけは言わせてくれ」
太陽は再び、大きく息を吸い込んだ。
「俺はお前と一緒に演奏したい!お前と奏多と満男と、4人で全国にいきてぇ!俺は、お前のベースが好きだ!!」
そして更に声を張り上げて言う。
「お前はどーなんだよ!!翔太!!!!」
その言葉に、翔太は窓の向こう側で、静かに涙を流していた。
その日、翔太からその答えが返ってくることはなかった。
迎えた文化祭当日。
校門には文化祭用に作られた華やかな入場門が置かれ、そこには「地域と共に光輝け音高祭」というスローガンが書かれている。
音ノ葉高校の生徒はもちろん、他校の生徒や商店街、地域の人々で校舎はごった返していた。
校舎内では彼方此方に装飾が飾られ、お化け屋敷、喫茶店、縁日、それぞれのクラスが一致団結し完成させた珠玉の賜物である模擬店が立ち並ぶ。
子連れの保護者にタピオカを飲み歩くカップル、奇抜なコスプレでクラスの出し物を宣伝する生徒やパンフレット片手に校内を散策する他校の生徒などで溢れるその光景は正に文化祭そのものである。
そして本校舎の隣に位置する体育館でも、多くの観客が集まり、部活動や有志の出し物に盛り上がりを見せていた。体育館には椅子はなく、履物を脱いで地べたに座って観ることになっている。時刻は12時を回ろうとしていたが、体育館内はほぼ満員の状態だった。
幕が閉じ始めると同時に拍手が巻き起こる。ダンス部によるダンス発表の余韻は未だ冷めない。音ノ葉高校のダンス部は部員が多く、技術もさる事ながら迫力もあり、毎年文化祭の目玉とされている。
「ダンス部かっこよかったなー」
「次は、、軽音だってさ、ちょっと興味あるかも」
演技が終わり、ざわつき始める体育館。
「本番10分前です」
閉じられた幕の裏では、小声で告げられたその言葉を合図にダンス部と入れ替わりに生徒会役員と軽音部がセッティングを始めていた。
客席に観客がいる状態ではあまり楽器の音は出せないため、朝一に行われたリハの時点で、少しの音出しで合わせられるようバンド全体の音をある程度決めておく必要がある。しかし翔太はそのリハーサルに現れなかった。
「結局リハも来なかったな、空音」
「ほんとにこないのかな、そらねん」
奏多と満男は楽器をセッティングしながら言う。太陽はマイクスタンドの前で、ただじっと目を瞑っていた
「本番5分前です」
その言葉に、舞台袖で腕を組んでいた教頭が痺れを切らす。
「どうしてもというから今日まで待ったが、ここが限界みたいだね。軽音の演技を中止にしてタイムテーブルを詰めなさい、今からならまだ間に合う、観客に断りをいれてーー」
「待って下さい」
生徒会の役員に迅速に指示を出し、舞台へ向かおうとした教頭の言葉を偶坂が遮る。
「もう少しだけ、あいつらに時間を下さい」
姿勢を正し、深々と頭を下げたその姿は、いつも気だるげに髭をかく偶坂からは想像がつかなかった。
「あいつらはまだ、諦めてない」
頭を下げながら懇願するその姿を見つめると、教頭はやれやれとため息をつく。そしてステージの方を見やると、呆れた口調で言った。
「、、あの子らは、昔の君達に似てるよ」
その言葉に、頭を上げた偶坂が返す。
「それなら今の俺は、昔の教頭先生に似てますね」
笑みを浮かべて放たれたその言葉に、教頭もまた目を瞑り、口元を綻ばせて言った。
「そうかもな」
騒つく会場に、微量のギターやドラムの音が響く。最後のサウンドチェックである。
3人は顔を見合わせると、無言で頷き、息を呑んだ。
未だ翔太が姿を見せる気配はない。しかしそのことを口に出すものはいなかった。
「間も無く本番です。幕開きます」
その言葉に、3人の鼓動は早鐘をうつ。心臓が今にも飛び出そうで、体が熱い。
幕の外では、
「続いては、軽音楽部の発表です」
と司会が告げる。
それと同時に、ジーーーーーーーーーーー
という音が鳴り、幕が上がり始めた。
翔太は現れない。
太陽はゆっくりと目を瞑った。
ーーーその時
体育館の後方のドアが ガラガラ と音を立てて開いた
「太陽!!!!!!!!!!」
叫ばれた声の主に、3人も含め体育館にいる全ての人々の視線が集まる。
そこに立っていた人物は、ベースを背負い、目にかかるほどの長さがあった髪は短く切られている。そしてメガネはかけていない。
ーーそう、そこには 進藤 翔太が立っていたのだ
翔太は大きく息を吸い込むと、体育館に響き渡る声で叫ぶ
「俺は、ベースが大好きだ!!!!!」
放たれたその言葉に、3人は笑顔を浮かべる。太陽の目は少し滲んでいた。
そして、ステージへと駆け出す翔太。
状況を掴めない観客たちは、突然の出来事にざわつきを見せる。
ステージの階段を駆け上がった翔太は、すぐに楽器を取り出しセッティングを始める。その横から声を掛けられる。
「おせーよ」
目は合わせず拳だけ突き出す太陽に、翔太は笑みを浮かべて自らの拳をコツンとぶつけた
「わりぃ」
その光景に、奏多と満男は目を合わせて笑う。
翔太は手早くアンプのメモリをいじると、1度だけ音を出し、一発で音作りを完成させてしまった。
恐らく身体に染み付いているのだろう、この大きい会場での音量バランス、ベースという重低音の響きが最も生きる音作りが、はっきりと。
その証拠に、1度だけ弾き出された重低音の音色は、ざわめく会場を一瞬で静めるほどに美しく、会場全体に綺麗に響き渡った。
これが 聴き入る ということだろう。
4人はアイコンタクトでお互いに合図を送る。そして太陽がマイクを手に取り、いつものテンションで話し始めた。
「レディースエンジェントルメン!今宵は俺たち軽音楽部のライブへようこそ!それではみなさん、盛り上がっていこうぜぇえええええええええ」
太陽の雄叫びにも似た声を口火に満男のドラムスティックでのカウントで一斉に演奏が始まる。
その入りは、全ての楽器が寸分違わずピタリと揃った
シンバル、スネア、バスドラムと軽快かつダイナミックにドラムを叩く満男は、時折ドヤ顔でスティック回しを魅せつける。相変わらずのリズム感にはメトロノームでの練習で更に磨きが掛かっていた。今日は一段と調子がいい。
このバンドのリズム隊の安定感は、全国レベルと言っても恥ずかしくはないだろう。
奏多はイントロの高難易度なギターカッティングをしなやかな手首で難なく弾きこなし、一部の女子生徒から黄色い歓声が上がった。奏多がウィンクを決め込むと、一際大きな歓声が巻き起こる。相変わらずのクソ度胸だ。
その中でもしっかり返しから聴こえるリズム隊の音を聴き、アイコンタクトを取りながら苦手なリズム感を補っている。やはり要領の良さはピカイチである。
そこに太陽の声が乗っかるように加わった。力強く、芯が太い。それでいて場を盛り上げる天性の才能はその歌声にも反映され、パフォーマンスも相重なって会場のボルテージを一気にあげる。
そしてそれらを支える翔太のベースは、土台というにはあまりにもしっかりとしていた。どんなミスをしてもこのバンドは崩れない、そんな安心感を抱かせるほどにその土台は図太く、凛として鳴り響き、観客たちの心臓を震わせる。太陽たちが自由に演奏出来るのは、紛れもなく翔太のベースがあるからだった。この場にいる誰も、このベースを地味とは言えないだろう。
4人の演奏は文字通りカッチリとはまり、1つの音となって突き抜けていく。その音の渦に、観客たちはいつの間にか巻き込まれていた。
演奏がサビへと差し掛かった時、翔太は一歩前へと出る。そしてステージの最前ギリギリで勢いよく頭を振った。翔太の十八番、ヘドバン が炸裂したのだ。
それは激しいヘドバンであるのに何故か美しい。リズムにぴったりとはまり、それでいて演奏は寸分足りとも狂わない、むしろ迫力を増していく。
その芸術的とも言えるほどに演奏とマッチし、見ていて気持ちのいいヘドバンに、観客たちは空前の盛り上がりを見せる。
肩を組んで頭を振るもの、手を掲げてサビを歌うもの、リズムに合わせてタオルを振るもの、体育館は完全にライブ会場と化していた。
その盛り上がりは曲が2番に突入しても衰えることを知らない。翔太は縦横無尽にステージを駆け回り、観客を煽る、それにつられて3人のパフォーマンスも勢いを増していった。そして何より、全員笑顔で楽しそうに演奏する。
肩を組んで、背中を合わせて、ステージ上も観客も熱は冷めぬまま、曲は一気に終盤へと駆け抜けていく。
終わりに近づく頃には殆どの観客が立ち上がり、共に盛り上がっていた。
そしてボーカルと共に、ピタリと楽器が止まり、曲が終わる。少しの余韻を残しつつ、熱気に包まれた会場には暫しの静寂が訪れた。
それを突き破るように、今日一番の割れんばかりの拍手が巻き起こる。まさにスタンディングオベーション
口笛を吹き鳴らし賞賛を称える者もいれば、アンコールと叫ぶ者もいた。
ステージ上で汗だくの4人は、自分たちに向けて拍手を送る観客たちを見渡し、声を揃えて深々と頭を下げる。
「「「「ありがとうございました!」」」」
その声に、また一段と大きな拍手と歓声が送られた。
ゆっくりと、幕が下りていく。
幕が下り切っても、しばらく拍手が鳴り止むことはなかった。
ーーそれから月日は流れ
「次はー静岡駅ー1分少々停車致します」
アナウンスと共に、新幹線のドアが開く。
「めんどくせぇ降りんのめんどくせぇ」
ぶつぶつと呟きながら、偶坂が腕を組んで寝ている。その隣では満男が駅弁を頬張っていた。
「ねぇ、お姉さん綺麗だね、どこからきたの?」
向かいの席では、奏多が通りかかった女子大生をナンパしている。
「ほら!早く降りるぞ!」
その自由すぎる空間に、太陽の声が響く。
ぐっさんは髭をかきながら眠そうに、満男は駅弁を頬張りながら、奏多は渋々とギターを背負って、ぞろぞろと新幹線を降りていく。後に太陽も続いた。その後ろからもう1人、ベースを背負った翔太が新幹線を降りると、空にそびえる富士山を見つめる。
いつの日かを懐かしむように。
すると先を歩いていた太陽の声が聞こえてくる。
「おーい翔太、何してんだー?」
その声の先では、奏多と満男もこっちを振り返っていた。そして翔太の口からは、こんな言葉が続く
「いこーぜ、全国」
「あぁ」
翔太は笑って頷くと、背中のベースを揺らして太陽達の元へと走って行く。
ベースケースには、「頑張れ」と書かれた母からの御守りがぶら下がっていた。