最後に助けたのは…
彼の事を話そうと思う。
その少年は人助けが好きだった。
誰かを助け、それによって生まれる笑顔が大好きだった。
その為に少年はさまざまな事をした。
道に迷った人には、自分がその場所まで一緒に付いて行き。
泣いている子供がいれば、しゃがみながらどうしたと声をかける。
誰もが嫌がる仕事を率先して行い、悩んでいる友達がいれば共に頭を抱えて悩んだ。
そして、助けた人からの笑顔を見て、彼もまた笑顔になるのであった。
それを周りの人間は、彼を尊敬しつつもなぜそこまでと不思議にも思っていた。
やがて少年は大人になった。しかし彼は変わる事は無く、人助けを続けていた。
そんな彼の人生は、唐突に終わりを告げた。
居眠り運転をしていたトラックに撥ねられたのだ。横断歩道を渡っていた女の子をそのトラックから庇う形で。どんよりとした雲りの日だった。
葬儀は淡々と行われた。彼には両親や祖父母などはおらず、
周りの人は皆、「最後まで人助けとは彼らしい」などその終わりを讃美するような事を言っていた。しかし私は、そうは思えなかった。
なぜなら彼はトラックに轢かれる前日、私に電話をかけていたのだ。しかし、運悪く私は買い物に出かけており、電話に出る事は叶わなかった。彼からのメッセージには、こう残されていた。
「違う…俺が願ったのはこんなのじゃないんだ。こんなはずじゃなかったんだ…」
「俺が間違っていたんだ…俺のせいだ…すまない…本当にすまない…」
なんの事だか、私にはさっぱり分からなかった。彼は何を願ったのか、なぜ彼は私に謝るのか。メッセージの最後に残された一言は、
「なあ…俺、分かったよ。次が最後の人助けになる。いや、そうしてみせる。それじゃあ…さようなら」
このメッセージを聞いた後、彼に電話をかけてみたが一向に出る様子はなかった。自宅にも向かってみたが彼は出てこず、鍵もかかっており、中の様子も分からず、後日また出直そうと思った次の日にあの事故があった。
こんな事になると分かっていれば…そう思わずにはいられなかった。
彼の葬儀の後、私は彼とよく飲んでいた居酒屋に向かった。今はただ、彼との思い出に浸りたかったのだ。
入ってすぐ右手にある2人掛けのテーブル席に座る。いつもは彼が奥側で、私が手前側だったが、今日は私が奥側に座ってみた。
そこでふと気づく。この席に座っていると店の中が一望出来るのだ。そういえば彼はこの店でも度々、飲んで倒れた人を介抱したりしていた。なるほど、彼がこの席に座りたがったのはこれが理由かと、今更になって気づいた。
それをきっかけに、彼との記憶が次々と脳裏に浮かんでくる。小学校中学校高校となんだかんだずっと連んでいたから、それを肴に酒を飲む事など簡単だった。
彼と私との付き合い始めは、私が小学生の頃にクラスメートに虐められていたのを助けてくれた時だ。当時の私は周りが子供っぽく見えて、自分は大人だと言わんばかりにどこか達観するように過ごしていた(と言っても所詮は私も子供なのだが)。だからこそ、そんな浮いた存在の私がクラスメートは気に入らなかったのだろう。初めは無視からだった。やがてそれは物に対してになり、最終的には暴力になっていた。先生の前では大人しかったから大人が気づく事は無かったし、私もそれを大人に言う事は嫌だった。屈したような気持ちになるからだ。
そんな時だった。彼が隣のクラスからやってきたのは。彼は私を虐めていたクラスメート1人1人を私の前で謝らせた。どうやったらそんな事が出来たのかは判らなかったし、彼に聞いても教えてはくれなかった。その事件の後、彼と話すようになり、今までの付き合いとなる。
ここで不思議なのは、当時の私は、彼に子供っぽさを感じなかったという事。だからこそ仲良くなれたのだが。
そんな調子で過去を思い返しながら、私は日本酒の入ったグラスを煽る。そして、ふと思い出した。彼は以前ここに飲みに来た際に、酒に酔って変な事を言っていた。
確か『俺は誰かを助けながら生きていきたいと神様に願ったんだ。そしたら神様は俺にそんな人生をくれたのさ』と。
それを聞いた当時は、酒の席での与太話くらいにしか思っていなかったが…もしあのメッセージにあった事と何か関連するのならば。
しかし、誰かを助けながら生きたいという願いの何が間違いだったのか。確かにそれだけを聞けば、自分の人生なのに他人に縛られているような息苦しい一生になりそうだが、私は彼が心の底からそんな人生を楽しんでいたように思う。
そもそも、神様に願い、それを叶えてくれるなどある筈もない…のだが、なぜかそれを完全に否定する事は出来なかった。彼はそんな子供っぽい冗談は得意ではなかったから。
私は再びグラスを煽ろうとして、止まる。
…まさか、彼は…という事は彼の『最後の人助け』とは…
私は涙を流し、グラスを口につけた。