第四章 鳥と猿と『犬はどこだ』
第四章 鳥と猿と『犬はどこだ』
赤色回転灯を屋根に乗っけた四駆の軽自動車が、制服警官を荷台に載せた軽トラを先導して到着したのは、ヒョウモンダコの化け物を退治してから二十分ほど経ってからのことだった。制服警官は暴徒鎮圧用の「さすまた」を携行している。もしかしたら、本当にハゲのオッサンが暴れていると思ったのだろうか?
軽四駆も軽トラも警察署の標準装備だとは思えないから、どこから調達したのかは知らないけれど、予め準備が整っていたのかと思うくらい素早い対応だ。
警官隊がやってくるまでの間、僕たちは、細い立木を倒して包丁で先端を削った手製の銛を作ったり、カラスに襲われて怪我をしたウラさんの手当をしたりして時間を過ごした。
ウラさんの話によれば、クリスチャンセンさんが防空壕の中に入ってしばらくすると、あの触手が伸びて来るのが見えたらしい。ウラさんはクリスチャンセンさんを呼んだが返事が無く、どうしようもないので、扉を閉めて南京錠を掛け終えたところでカラスに攻撃されたのだそうだ。
クリスチャンセンさんが中でどうしているのか、あるいは、どうなっているのかは分からない。会長は救出を主張したが、僕は薄情なようだが強硬に反対した。あの化け物とクリスチャンセンさんが無関係だとは、とても思えなかったからだ。
キビツさんがウラさんに、疑問をぶつけた。
「ウラさん、なんであんな化け物が防空壕に居たんです?」
「見当も付かない。クリスチャンセンさんの自宅で、電話をかけたり善後策を検討したりしてたんだが、クリスチャンセンさんが急に防空壕に行く、と言い出したんだ。御神輿の保管場所の件だろうと思って付いてきたら、このザマだ。」
今度はアマノさんが、質問した。
「クリスチャンセンさんのご自宅って、どこなん?」
「須磨の駅近くのマンションだよ。海岸のすぐ近くだ。」
「まさか、変なモン飼ったりとかは?」
「してない、してない。オヤビッチャが何匹か入っている120センチ水槽があったけど、それだけだ。」
そんな話をしていたら、会長がやってきて、
「オオタ君、中に踏み込まないまでも、防空壕の所まで行ってみよう。大声で呼んでも返事が無ければ入口の前で警察を待とう。車のエンジンを掛けておけば、何かが有っても直ぐに逃げられるじゃないか。」
「それは良い考えかもしれませんね。皆には車で待機していてもらいましょう。もう一匹蛸がいたら、車は直ぐに逃げてもらって、僕と会長は走って逃げればいい。運転は誰に頼みます?」
会長は、ガールフレンドさんを指して
「彼女と、それからアマちゃんに頼もう。酔っている人にハンドルを任せるわけにはいかないから。」
アマノさんとキビツさんは、山道を登って来る時の僕の醜態を知っているから、僕に荷台に乗るように説得しようとしたが、僕もここは譲らなかった。
結局、運転席にはガールフレンドさんとアマノさん、助手席には一番酔っている老人二人、残りは荷台に分乗という事に決まった。キビツさんとウラさんは荷台の老人の転落防止と、緊急発進するときには会長と僕とを荷台に引っ張り上げる役ということで納得してもらった。
二台の軽トラが、直ぐにも発進出来るようにエンジンを掛け全員が配置に付いた。
僕はその間に、竹槍を突き刺した蛸の様子を確認したが、完全に死んでいた。サイズこそ異常だが普通の生き物であり、超自然的な怪物ではない。
竹槍の方が軽くて扱いやすいため、僕は武器を生木の銛から竹槍に換えた。
そして、会長と一緒に防空壕の入口でクリスチャンセンさんを呼んでいる最中に警官隊が到着したのだった。
警官たちは大蛸の死骸に驚いたが、事情を聴くとクリスチャンセンさん救出のために防空壕に踏み込もうとした。
僕は慌てて制止して、蛸が毒を持っている可能性を伝えた。誰も懐中電灯を持っていない状態で突入するのは危険だ。警官たちは車のヘッドライトで防空壕内を照射しようとしたが、入口が登りになっているためヘッドライトが上を向き、光が奥まで届かず、上手くいかなかった。
彼らの中で唯一私服の刑事が、僕の持っている竹槍に目を留めた。今朝の会場点検の時に、一人私服の警察官がいたという話だったから、彼がその人かもしれない。
「あの化け物を退治したのは、君?」
「結果的には、そうなりました。」
「その槍の先端は、松明だね?」
「短時間なら。竹に火が移ると弾けちゃいますが。」
「それを頂こう。燃やすけれど良いかい?」
「使ってください。」
「大蛸と戦う時の注意点は?」
「目と目の間が急所です。陸上では重力に負けて思うように身体を動かせないみたいですが、腕の動きは予想以上に早いので、捕まらない様に気を付けて下さい。毒が有るのは、身体の下、口の部分です。咬まれさえしない限り大丈夫だとは思いますが。」
「忠告、肝に銘じよう。」
刑事が竹槍を持って行って、他の警官と相談を始めた。刑事がこの隊の指揮官かと思っていたが、どうも違っていたようだ。
竹槍松明に火を灯した刑事が先頭に立ち、拳銃を構えた制服警官二人が後に続いて、防空壕に入って行った。残りの警官は入口付近を固め、僕たちは車両近辺で待機した。
長い時間待機をしていたように感じたが、刑事が防空壕から姿を現したのは、腕時計で確認すると、踏み込んでから十分も経っていなかった。刑事は僕と目が合うと、首を振って見せた。
制服警官二人が防空壕の入口に立ち、この隊の隊長だかリーダーと思しき警官が、警察無線で連絡を始めた。
僕たちは全員、名前と電話番号、連絡先を控えられ、簡単な事情聴取を受けたが、クリスチャンセンさんと一番関わりが深いウラさん以外は、後日詳細を聞くという事で、今日は解放してもらえそうだった。ご老人達は信用のある人のようだし、僕とキビツさんは結局クリスチャンセンさんに一度も会わないままなので、こんなものなのかもしれない。変死事件の関係者に成ってしまった以上、厳しい取り調べを受けることを半ば覚悟していただけに、拍子抜けする想いだった。
赤色回転灯を点けた軽四駆が、ウラさんを乗せて警察署に向けて出発した。僕たち残りの関係者は、もう少しここで話を聴かれるようだ。
クリスチャンセンさんを知っている、会長とガールフレンドさんはショックを受けているようだったので、関食研同好会に関する質問へはアマノさんが気丈に対応していた。朝の内に海水浴場に下って行った五人の名前は、アマノさんも知らない事なので、会長が話をしたが、警察の方もあまり重要視はしていないようだった。むしろ、注意の焦点は会場設営を行った業者に向いているようだ。しかし、ウラさんが警察署に連れて行かれ、クリスチャンセンさんが亡くなってしまった以上、どこの業者に依頼していたのかも誰も知らなかった。
キビツさんが僕の隣に立って、小声で妙な事を言ってきた。
「ご老人が、お一人いらっしゃらないようなのです。」
「いや、十人全員いますよ?」
「でも、ほら、あの私に同好会を紹介して下さった・・・」
「さっき、キビツさんに『桃は大事に持っておけ』って言っていた人か・・・。」
キビツさんが、食べずに持っていた桃を投げつけた事で、蛸の注意を逸らすきっかけを作るのに成功したのだから、言ってみれば恩人なわけだが、
「本当だ。あの人が居ない。」
「どこに行かれたのでしょうか・・・。」
「大蛸を見て、慌てて山に逃げたのかな?警察の人に話しておく方が良いでしょうね。」
僕とキビツさんは、一人離れて地面にしゃがみ込んでいる私服の刑事の所へ向かった。何かを調べているようだ。
「刑事さん、お話があるのですが。」
「何でしょう?」
刑事は立ち上がって、僕たちを見詰めた。
「ご老人が一人、居なくなっています。」
「本当ですか?」
「人数は、・・・蛸が出て来た時と同じ十人なんですが、その前宴会をやっていた時にいたはずの、上品な白髪のご老人が見当たらないのです。」
「その方のお名前は?」
「存じ上げません。騒ぎの時にパニックになって、山に逃げて行かれたのでは、と心配なのですが。」
「みなさんに、確認しましょう。」
刑事は全員を呼び集めると、居なくなった者がいないかどうか、相互に確認し合う様に要請した。アマノさん、会長、ガールフレンドさんの三人は、中華饅押しの白髪のご老人が消えていることに気が付いたが、宴会をしていたお年寄り達は、全員揃っていると主張した。
僕は、老人達が何かの理由で、消えた老人の事を隠しているのではないかと疑っていたが、ちょっとした冒険に高揚している酔っ払い達の姿を見ていると、彼らが何かを隠蔽しようとしているとは思えなくなってきた。
この場所は、人跡未踏の山奥という訳ではない。山一つ越えればニュータウンだ。獣道伝いに散策していた老人が、たまたま縁日会場に来合わせただけ、ということなのだろうか?
ご老人の中には、
「社の神さんがやな、わしらを手助けすんのに、ちょいと姿を見せて、警告したちゅうことやで。」
「古墳に祀られとる貴人が、お前ら飲んで騒いでウルサイ言うて、出て来たんと違うか?」
などと言い出す人も出て来た。
「刑事さん、すみません。ただ来合わせただけの人だったのかもしれません。」
「謝るには、およびませんよ。不可解な事件だし、気が付いた事は、小さな事でも言ってください。ちなみに私は、タケミと言います。もう少ししたら、鑑識や科学捜査班も到着するし、人手も増えるので、周囲の捜索も行ってみましょう。ニュータウンの署にも該当する様なご老人がいないかどうか、連絡を入れておきましょう。」
「ありがとうございます、タケミ刑事さん。ところで、先ほど地面を観ていらっしゃいましたが、何か?」
「ああ、この辺りだけ、雑草が生えていないでしょう?それと参道に当たる部分だけ。人や車が頻繁に通る場所なら不思議はないのですが、今の時期そうでない場所なら、直ぐに草ぼうぼうに成りますよね?」
「縁日会場設営で、草刈りしたのではないですか?」
「上のテントの場所は、確かに草が刈ってありました。しかし、ここは刈ったのではありません。枯れているのですね、長い間。」
「除草剤でも撒いているのですか?」
「そうかもしれません。しかし塩じゃないか、と疑っています。」
「塩、ですか?」
タケミ刑事は防空壕を指差すと
「あの中は広く掘ってあって、コンクリート製の巨大な水槽が作ってありました。防火用に作ったものなのか、飲料水を貯蔵しようとしたのかは分かりませんが。」
「高射砲陣地の待避壕に、水槽が必要でしょうか?」
「ここに高射砲陣地を作るつもりは無かったのでしょうね。ここに作ろうとしていたのは、多分、明石海峡防衛のための統一防空指揮所でしょう。明石海峡、大阪湾と瀬戸内海が一望出来る。」
「その可能性は理解出来ますが、じゃあクリスチャンセンさんは・・・。」
「そうです。その水槽で、大蛸を飼育していたようです。海水は、海水浴場ですぐに調達出来るし、水換えをして汚れた飼育水は、この辺りに撒き散らしたのでしょうね。だから、塩害で雑草が育たない。参道の山道も、雨で塩分濃度の高い水が流れた名残でしょうね。」
「どこから、あんな大物を調達したのでしょう?」
「防空壕の中には、プラケースサイズの小さい水槽から、60センチ、90センチ、120センチといくつもの水槽が有りました。発電機やポンプなんかも一緒にね。いきなり大きい蛸を運び込んだのではないでしょう。あそこで、育てたのだと思います。道具も少しずつ増やしていったのでしょうね。物資の運搬も初めの頃は二輪車を使ったのでしょう。しかし、あんなに巨大に育つのに、どのくらい年月が掛かったものなのか。」
「イカやタコは成長が早いのです。普通大きく成長する蛸といえばミズダコですが、寿命は2~3年です。餌を食えば食うほど、どんどん大きくなります。しかし、そこで死んでいる化け物は、本来十センチぐらいにしか成長しない種ですけれど。」
タケミ刑事はポケットを探ると、ビニール袋に入ったサンプル管を、二本取り出した。
「あなたは、蛸に詳しそうだ。何だか知っていたら、教えて下さい。防空壕の中に有ったものです。」
一本目のサンプル管の中身は
「ブラインシュリンプの乾燥卵のようですね。塩水に漬けると孵化します。シーモンキーとか言って子供たちが観察実験に使ったりしますが、孵化したてのタコの幼生の餌にすることも出来ます。・・・しかし、まさか孵化したてのヒョウモンダコの・・・。」
もう一本の方にはアンプルが入っていた。アンプルには、「ホーニヒ・ジェレオン」と印字してある。
「ホーニヒ・ジェレオン?・・・ああ、ハニーゼリオンか!ヘモシアニンを血液色素にする生物に効く成長促進ホルモンですよ。ヨーロッパでカキの養殖に向けて開発されたヤツです。ただし、環境撹乱因子指定されて、養殖所では使用禁止になったはずです。確か・・・」
そう、確か
「養殖場の近くで、巨大化したスベスベマンジュウガニが捕獲されたんです。通常10センチくらいの小さなカニですが、30センチくらいにまで成長して。」
「カニが大きくなったなら、皆、喜んで食べそうなものだけど。気持ち悪くて食べる気にならなかったのかな?」
「食べられないのです。スベスベマンジュウガニは。テトロドトキシンを持っています。フグやヒョウモンダコと同じく。」
タケミ刑事の目が、すっと細くなった。
「幼生の時から、集中的にその薬剤を与えていたのか。テトロドトキシンを持っているヒョウモンダコに。」
「おそらく。しかし、テトロドトキシンは微生物由来で、フグもヒョウモンダコも、後天的に獲得します。シュードモナス属細菌の入った海水で飼育していたのは間違いないでしょうが、テトロドトキシンをもっと積極的に与えていた可能性もあります。この辺では、クサフグを釣るのは簡単ですから。クサフグの肝臓を与えてやれば・・・。」
「ハニーゼリオンとテトロドトキシンの相互作用が、生物を巨大化させるという文献って、あるのですか?」
「いえ、知りません。憶測です。当たっていたら、論文が書けるかもしれませんよ。スベスベマンジュウガニの件も因果関係は証明されていないはずです。刑事さん、他にも蛸は飼ってありましたか?」
「壕の中には、そこで死んでいる一匹だけですね。あとは空です。もっとも大型水槽の中は、上から見ただけですけれどね。手を突っ込んで確認する勇気は無かったから。」
「ウラさんが、クリスチャンセンさんの家に水槽が有るって言っていました。スズメダイの仲間のオヤビッチャが入っていると言う話だから、そっちも海水の水槽でしょう。」
「そちらも、もう別班が入って捜索している時分です。」
車両が到着した時にも思ったのだが、やけに手回しが良い。
「手配りが行き届いていますね。なんだか、前以て用意されていたみたいに感じますが。」
タケミ刑事は少しの間考えていたが、口を開いた。ある程度情報を出した方が得策という判断だろう。
「警察に匿名のタレコミが有ったのです。匿名だけれど、我々の監視対象の代表電話からの堂々としたタレコミですがね。『カルト集団が、何かの計画を進めているようだ。』と。日頃対立している組織からですが、そのカルトは、あちらさんにとっても極めて異質なものらしい。共闘する余地もない位に。」
タケミ刑事は、警察は警察でも警備警察の所属のような口ぶりだ。気が付くと、立ち番をしている警官を除く、その場に居る全員がタケミ刑事と僕を注視して、聞き耳を立てていた。タケミ刑事は話を続けた。
「バイオテロ、を起こされるのを警戒していたようですよ。しかし、具体的に何を狙っているのかが分からない。似たような話が、アンダーグラウンドの筋や宗教関係の筋からも伝わって来ました。蛸を崇める新興カルトが信者を集めているようだ、とね。ただ、非合法な事は何も行われていない。我々としても動くに動けない。オオタさん、ヒョウモンダコの飼育は何かの罪に当たりますか?」
「ペットショップで売られているくらいですから、完全に合法です。水槽から逃げても死んでしまう生き物ですから、特定動物にも該当しないし、元から沖縄などには住んでいるのだから、特定外来種にも当たりませんね。仮に養殖に成功して、日本中の海に大量にばら撒いても、暖かい地方でない限り冬を越せないし、通常サイズのヒョウモンダコなら、魚に喰われて終わりでしょう。唾液腺以外は無毒だし、フグはテトロドトキシンを気にしませんから。」
タケミ刑事は軽く頷くと
「我々も、限られた人員と予算でやっています。蛸を崇める新興カルトが何かをしようとしているという漠然とした話では、それだけに集中するわけにはいかない。ただ、どうにも引っかかる話ではあったのです。タレコミを入れた人物たちも同じなのでしょう。そして、しばらく前に、教祖に当たる人物が毎朝新聞のクリスチャンセン氏である事が分かりました。彼はクトゥルフ神話の熱狂的な信奉者だった。」
「クトゥルフ神話なんてフィクションですよ?」
「幻想文学あるいはSFですね。しかし、海外には信者が実在するのですよ。一種のファッションとして楽しんでいるのか、本気で崇めているのかは分かりませんが。しかし、悪魔教徒はどうでしょう?趣味の域を越えない人がほとんどだが、中には陰惨な犯罪に手を染める者もいる。」
「クリスチャンセンさんは、一線を越えてしまったと・・・。」
刑事は防空壕の方に手を振って、
「今となっては、分りません。ただ、彼の招いた結果が、あれです。」
多分、タケミ刑事は、何もかもを話してくれているのではないのだろう。防空壕跡は市有地だから、中で生き物を飼育していれば無許可の不正占拠ぐらいには該当しそうなものだ。けれど、大人の事情で話せない事があるのは理解できる。
「クリスチャンセン氏が接触している人物のほとんどは、カルトとは無関係であることが分かって来ました。積極的にオルグを行っている訳でもなかったし。熱狂的な少数の信者を除くと、ほとんどは祭りやイベントの参加者としての役割が割り振られているだけで、当人たちもクトゥルフ神話教などというカルトに与しているなどと、考えた事も無い。まあ、せいぜい十人程度の小規模カルトが、善意の第三者を多数動員して、何かをしようとしていたと言う事になります。」
キビツさんが遠慮がちに発言した。
「しかし、テロといっても、何をするつもりだったのでしょう?もしかしたら、この場所が縁日会場に使えないという事も、その集団の計画に当初から盛り込まれていたのではないでしょうか?」
「それは、どういう事ですか?会場とするには安全対策が不備という結果が出たのは、今朝の話でしょう?」
「それを受けて、本番では、お祭りと縁日の会場を、シーズン終了後の海水浴場に移し、ここには、御神輿を置いておくという変更案が出ていたそうです。本番の海岸で、騒ぎを起こす事こそが、狙いだったのではないでしょうか。」
老人達が騒ぎ始めた。
「そうやったな。どうせ第一回目は神輿の担ぎ手がおらんから、神輿を軽トラに乗せて海岸まで押し出そう、いう話やった。」
「海水浴場に人集めて、祭りやっとる最中に、神輿から大蛸出したら、そらパニックになるやろな!」
「人死にが出るかも分らんで!」
「バケモン蛸が、海に逃げるのを皆が目撃したら、それこそ海岸線封鎖やろ!」
「危ないとこやったな!」
「大ニュースになるわ。カルトの信者も増えるんと違うか!」
「日本中で、そのクトなんたらを、知らんモンがおらん様になるで!」
タケミ刑事は軽く眼を閉じて
「キビツさんの読みは、当たっているのかもしれません。しかし、どうやってあの大物を、神輿に入れるのですか?」
この疑問には、僕は答えを出す事ができる。
「冷やしてやれば、良いのです。タコは変温動物ですから、氷で温度を下げてやれば、冬眠状態になって大人しくなる。積み込みには、小型のフォークリフトを持ってくればいいでしょう。あれなら、この山道でも入って来られます。御神輿を軽トラに積み下ろしする時に使うから、と言えば誰も疑問に思わないでしょう。」
その時、ふと閃いた。
「クリスチャンセンさんが、蛸にやられた理由ですが、クリスチャンセンさんは、もしかしたら、噛まれただけではなく、喰われていたのではないですか?」
タケミ刑事は黙って頷いた。
「クリスチャンセンさんは、餌止めをしていたのですよ。イカ・タコは餌を食うと、どんどん大きくなる。秋まで野放図に餌を与えていたら、御神輿に入らないか、トラックに載せられない位にまで成長すると思ったに違いない。」
「それで、空腹に耐えかねたペットに襲われたのか。」
「一つ、疑問が残ります。食べれば食べるだけ大きくなるといっても、種によって最大のサイズは、ほぼ決まっています。餌止めをしてサイズを調整するということは、クリスチャンセンさんは、サイズ的にもっと大きくなる事を予想していたと言う事です。すでに通常の百倍以上大きいのに。」
「こいつが、初めての一匹ではない可能性がある、という事だね?」
「あくまで、可能性です。それに、こいつより前の実験体は、処分してしまったのかもしれませんが。」
タケミ刑事は引き締まった顔になって、老人達に問いかけた。
「皆さん。何でもいい。本会場を海岸に移す計画が出てから、クリスチャンセン氏とウラ氏が、言っていた事を思い出して下さい。蛸に係わる話はありませんでしたか?」
「そう言えばやな、直接蛸に係わる話かどうか分らんけど、会場では関係者はヒョットコの面でも被ろうか、言うとったわ。蛸の饅頭売るから、いうて。」
「そやそや、関係無い思うけど、饅頭の売り子はヒョットコ面で『喰うたら、太るん。やあやあ!』言うて売ろうて提案あったな。そんな呼び込みやったら、売れへんやろ思うたけどな。」
老人達の発言を聞いたアマノさんが、悲鳴の様な声で、
「それって、インスマウス顔と、『クトゥルフ・フタグン』の唱和やん!」
タケミ刑事は、キビツさんに
「先ほど、読みが当たっているかもしれない、と言いましたが、訂正します。あなたの読み通りですね。カルト集団はダゴン教団を模して、海水浴場でクトゥルフを呼ぶ祝祭を行おうとしていたのですね。他の実験体が存在するかどうかは、分りませんが。しかし」
刑事は一旦言葉を切り、少し考えてから話を続けた。
「カルト集団のストーリーを打ち切らせ、クトゥルフ神話とは異なる伝説で、事態を収拾しようとした力が関与してきたような気がします。非合理的な話になりますから、警察の見解ではなく、私個人の妄想ですが。それは先ず、キビツさんを巻き込む所から、始まったのかもしれない。」
「私を。」
キビツさんの様子は、意外な事を聞くという風にも採れるし、半ば予期していた様でもある。
「そうです。キビツさんの名字は木の御櫃の『木櫃』ですが、私がキビツと聞いて最初に連想したのは、吉備津彦神社の『吉備津』でしたよ。祭神はキビツヒコで、キビツヒコ伝説は桃太郎伝説のオリジナルとも言われていますね。」
アマノさんが異議を唱えた。
「キビッちゃんは、理系の人ですよ?神主とか霊感少女とかとは、ちゃいますよ?」
「『見立て』だから、キビツさんの本質とは異なっていても良いのです。キビツヒコあるいは桃太郎の役割を演じてもらえれば。だから、家来の犬・猿・雉も当然見立てによる役割分担です。桃太郎の援軍の役割を演じてくれたら良いという。」
タケミ刑事の言っている内容が、徐々に理解出来て来た。
「カラスが雉の役ですね。鳥類だし、蛸に先制攻撃を掛けた。それに、カラスは手長足長を見張る役を割り振られていたんだった!」
「そんなら、猿はオオタくんやで。サルタヒコや。面掛行列で猿田彦役は、槍を持って先頭を進むんや!」
アマノさんの発言に、キビツさんが
「それだけでは、ありませんね。アマノちゃん、サルタヒコはアメノウズメのパートナーです。アメノウズメも、サルタヒコと結ばれた後、サルメノキミと改名します。サルタヒコの子孫は大田氏になります。」
と続けたが、
「でも、それでは犬が居ません。見落としが有るのでしょうか?」
タケミ刑事は妙に無表情になって、
「私たち警察官が、何て呼ばれているか知っていますか?」
アマノさんは怪訝そうな顔をして、
「お巡りさん、とか、ポリ、とか?」
「まあ、主に左翼の人達からですが、『政府の犬』と。ここから立ち去られたご老人から、是非とも、話を聴かなければならなくなりました。もう一つ、気懸りが有ります。桃太郎の元ネタですが、キビツヒコが戦ったのは、クトゥルフ神でもマグナス伯爵でもありません。『温泉の温』に『五百羅漢の羅』で温羅という鬼です。」
タケミ刑事は、背広の中から衛星電話を取り出して、あちこちに通話を始めた。隊長も警察無線で頻りに連絡を取っている。
応援部隊がなかなかやって来ないが、クリスチャンセン氏の自宅の捜索や、ウラさんの尋問で忙しいのかもしれない。こっちは既に起きてしまった後の場所だから、教祖が死んで暴発するかもしれないカルト集団の残党の動向把握に、目下の重点が移っていても不思議はない。
僕たちや老人達「巻き込まれた」グループの面々は、事の成り行きに呆然としていた。
僕は、クリスチャンセンさんは傀儡でウラさんが裏の教祖だったのだろうか、とか、ウラさんがトイレに籠城したのは「天の岩戸」のアマテラス役も手に入れようとしていたのだろうか、などと取り留めのない事を考えていた。「天の岩戸」イベントで、アマテラスを演じるつもりだったのなら、アマノ=アメノウズメの呼びかけに応じなかった時点で、ウラさんは見立てに失敗してしまった訳だ。
精力的に電話を掛けていたタケミ刑事が、こちらを向いて叫んだ。
「オオタさん、そこで死んでいる実験体は二代目だ。クリスチャンセンの自宅から、実験ノートが見つかった。ドイツ語で書いてあったから、内容把握に時間が掛ったようだ。」
「一代目は死んだのですか?」
「いや、成長が遅いからと、須磨の海に捨てた、と。」
突然、カラスが騒ぎだしたかと思うと、塊になって海岸へと飛び立った。トビの群れも追従した。
急いで、海岸を見渡せる場所に移動した僕達が見たものは、海水浴場沖の離岸堤を乗り越えようとする巨大な触手、信じられないほど大きな蛸足だった。
続く