静寂の騎士 メルヴィル
それから……神の子 マリア・テレジアは神父 聖テレジアと共に世界にその名を轟かせるようになり、同時に王家の信頼、国の重役たちとの関係を確固たるものとした。
しかしその反面、元々あった宗教は力を失い……人々は神ではなくマリアを崇める人間が増えて行った。
四月三十日……王子の誕生日パレードの際、王の手を取り道を歩むマリアの姿を見た誰かが呟いた。
「あの女は、魔女だ」
その時からだ。
マリアを崇めるものと、神を崇めるものとで国が二つに割れたのは。
◆
昔々の話。 一人の英雄が居ました。
英雄は侵略されていく国を守る英雄であり、英雄は多くの敵を倒して国を守っていました。
しかし、ある日英雄は知ってしまうのです。
自分がいかに剣を振るおうと、戦争は終わらないと。
そして、同時に彼はあることを命令されます。
それは、攻めてくる国の王を殺せ……というとても簡単な仕事でした。
英雄は一人城へ忍び込み、まずは姫の部屋へと侵入しました。
刃を突き立てようと、布団をどかすと。
そこには、とても美しい少女が眠っていたのです。
英雄はそのまま、少女を殺すことが出来ず、また次の機会を狙うことにしました。
しかし、次の日も、また次の日も、英雄は少女を殺すことは出来ず、それどころか、少女を起こしてみたいと思っていました。
当然、見つかれば殺されてしまいます。
しかし、英雄は結局誘惑に勝てず、少女の肩をゆすり、目を覚まさせたのです。
するとどうでしょう、泣き叫ぶかと思った少女は目を覚ますなり。
「待っていました……夢の中の騎士様」
と、歓迎をしてくれたのです。
なんと少女は、毎晩寝室に現れる英雄に、夢の中で出会い、恋をしていたのです。
それから、二人が恋に落ちるのに、時間はかかりませんでした。
英雄は戦うことを捨て、少女と共に生きる覚悟を決め、少女は、戦争を止めるために必死に頑張っていました。
少女と英雄の働きにより、戦争は徐々に、しかし、確実に終結へと向かっていきました。
しかし。
ある日……。
「ごめんなさい……騎士様、私はここで、お別れの様です……ごめんなさい」
いつものように少女の元へ訪れた騎士の見た光景は赤く染まった部屋。
少女は何者かに殺されてしまったのです……。
それきり、英雄は何もかもを閉ざしてしまいました。
何も面白いこともなければ……何の教訓にもならないこんな物語に嫌気がさして……。
◆
「っは……!?」
冷や汗を垂らしながら、騎士は目を覚ます……見渡せばそこは見慣れた場所であり、騎士にとっては自分を拾ってくれた恩人の住む家であった。
騎士は、立ち上がると来ていたものを着替え、いつものように護衛対象の元へと向かう。
ちなみに……世界は先よりも、二年ほど時を進めていますので……ご了承そしてご容赦を。
「マリア様!マリア様―!」
二年前よりもさらに巨大になった教会は、もはや王城と見間違えるほどの輝きを誇り、眼下に広がっていたスラム街は、心なしかその薄暗さをましさびれていた。
「マリア様?」
しかし、もはや一部分とはいえかび臭い古い廊下は決してその姿を変えることなくそこにあり続け、歩くたびにギシギシとなるその音は、どこか落ち着きを与えてくれる。
「……マリア様?」
消えることなき血の跡。
マリアを守るようにして散った斑点模様に一度男は目をやり、何とも無しに聖女の部屋の扉を開ける。
少々落ち着いた白い狭い部屋。 少女の好んでいたぬいぐるみや人形はすっかり棚に収められ、代わりに本やアクセサリーなどがちらほらと見える部屋。
その真ん中に。
「え……」
成長途中。 他の同い年の少女に比べて少々小ぶりな胸に、生まれたての赤子を思い起こさせるほど白い肌。
金色の髪はさらに長くなっており、くせ毛もなくさらに聖女らしい見た目へと変貌を遂げている。
「こちらに居られましたかマリア様。そろそろ約束のお時間ですので……ご用意を早く……」
「でていけえ!」
教会に響き渡る絶叫により、日向ぼっこを楽しんでいた小鳥たちはいっせいに空へと落ちるように逃げていく。
マリアは、十四歳になった。
◆
「お父様、おはようございます」
「おや、どうしたのかなマリア。今日はどこにも出かける用事はないはずだが」
「えぇ、少しお約束がありまして、夕方頃には戻ります」
「そうですか。またあのスラムの少年の元に行くのですね?」
ギラリと光る瞳に、マリアは少しばかり身を強張らせて硬直をする。
「なんども言っているでしょうマリア?今やあなたは神の子。そして彼はスラムの人間……身分が違い過ぎる」
「……で、でもお父様。神はどんな人にも分け隔てなく接しております」
何とか絞り出した言葉で、言い訳がましいことをマリアは口走っては見るが。
「いいえ、王が神により選定されているならば、富める者もまた神により選定されているという事。故に、貧しき物……卑しき物それすなわち神より忌み嫌われし者なのです。もちろん、嫌われし者であろうとも救済なされることは、神の慈悲深いところですが、忌み嫌われし者と接し、神の怒りを買うことは……それは神への反逆ですよ?」
「うっ……」
神父の言葉にすぐに口をつぐんでしまう。
「……神父様、お言葉ですがマリア様は神の子……貧しきものに慈悲を与えることは彼女に与えられた権利であるかと……」
マリアの背後から出てきた騎士は、そう口実を述べた後、不機嫌そうな表情の神父に耳打ちをし。
「……貧しき人々に慈悲を与えれば、さらにマリア様の……ひいてはあなた様の支持率も上昇するかと……」
「……まぁ、あなたがついていくのなら心配はいらないでしょうし……いいでしょう」
神父は一つ咳ばらいをした後、にこやかな笑顔でマリアがスラムに行くことを了解する。
「ありがとう。お父様」
「くれぐれも気を付けていくんですよ?」
「はい!」
大きな返事をしてマリアは教会の扉を開き、フリルの突いたドレスであるのにもかかわらずに走り去っていく。
「……時々思うよ」
「……?」
走り去っていくマリアを見ながら、神父は苦笑を漏らして隣に立つ騎士にそう語りかける。
「何を思われるのです?」
「私は、マリアにとって良い父親であるかどうかです……神の子として、私はずっとあの子を縛り付けていました。本当ならばああやって外を走り回る姿こそが……彼女にとって幸せなのかもしれない」
その瞳はどこか寂しげで、メルヴィルは一つ間を置いた後。
「……貴方の娘であることほどマリア様が幸福だと思ったことはありませんよ」
そう一言述べ少しばかり古びてくたびれた手甲をカラカラと鳴らしながら、騎士は少女を小走りで追いかけて行った。
「………さて。私も出かけるとしますかね」
◆
カラカラと馬車が通り、うつろな目をした人々がふらふらといつもと同じことを繰り返す教会から城下町へと続く道。
聖テレジア神父が信託者となってから、この二年でこの通りは少しばかりおかしくなった。
建物は古くボロボロの物ばかりでありながら、道路は今までの崩れかけて穴だらけの煉瓦から、赤色の煉瓦へと姿を変え、灰色の服を身にまとった人々と、絢爛豪華な衣装を身にまとった貴族とが入り混じって道を歩くようになった。
「ねぇ、メルヴィル。最近この辺り……変じゃないかしら」
そんな街の中、バスケットを手に持ったマリアはメルヴィルにそう質問をする。
「変……とは?」
「なんていうか……昔はスラムに居た人は、みんなスラムに住んでるから似た感じなんだと思ってたんだけど……なんていうか、貴族の人たちもみんな、スラムの人たちと同じ感じがするの」
マリアの抽象的なセリフにメルヴィルは少しばかり口をつぐんだ後。
「まぁ、スラムに住んでいても、城下町に住んでいても、結局は同じ人間……ってことですか?」
ようやっと出た答えを絞り出す。
「なんか違う」
が、駄目。
「何故?」
「なんていうのかしら……。この道だけ、変なのよね。ヨハンと会うまで、この道から王様のお城までの人たちしか知らなかったから……。でも、ヨハンと一緒に他の町や城下町とかを見てみると……なんか、この道を歩く人たちとはなんか違う気がするの」
「はぁ」
「なんか、ここの人たちの眼は……虚ろと言うか……何も考えてないというか……いっつも口元は笑っているのに、生気がないっていうか……」
「ふむ……まぁ、ここは侵略戦争の激戦区となった場所ですからね。その爪痕は癒えていないのでしょう」
「ふーん……」
マリアはメルヴィルの言葉に半ば納得したような表情をして、あたりを見回す。
虚ろな目をした人々の中、狼の紋章を刻まれた兵士が鎧を鳴らしながらマリアの横を通り抜けた。
「……戦争、で思い出したけど。貴族と一緒に兵士も増えたわよね、変なお面をつけた」
「あぁ、ヴォルフですか」
「?」
「神聖なる獅子の紋章を掲げる王家直属の騎士団とは別に、教会……正式にはマリア様をお守りするために結成された銀狼騎士団通称ヴォルフ。聖テレジア様により結成された騎士団です。初めはスラム街の治安を自治するための小さな集団だったんですが、聖テレジア様が信託者となられてからは、急激に兵力が増量され、兵量だけでは聖騎士団を上回る勢いです」
「お父さんが?」
「えぇ。なんでも最近は、マリア様を魔女と罵り、よろしからぬことを企てる輩もいるようで、お父様も心配なのでしょうマリア様が」
「……あの人が心配しているのは、自分の立場だけでしょ?」
マリアの憂いを秘めた言葉にメルヴィルは一度言葉に詰まり。
「……そんなことは、ありませんよ」
自分でも呆れるほどへたくそなフォローをした。
「いいのよ。私はお父様にとっては、出世の道具でしかない……大切にしているのも何もかも自分の為……でもいいの。私が神の子であることが、人を幸せに出来るなら……唯の人形でもね」
「マリア様……」
マリアの諦めたような笑顔はどこか清々しく、メルヴィルは何も答えずに握りしめていた手をさらに強く握り、スラム街の道を足早に通り抜けて行った。
◆