神の子と騎士団長
王城。
城下町から仰ぎ見る豪華絢爛の文字しか当てはまらないその建物は、他を隔絶した威圧感を放ちながら、威風堂々と城下町を見下ろし、何十年もの間見守り続けている。
過去、幾度となく訪れた侵略者すべてに背を向けさせた要塞は、国の盾として他国にもその名を轟かせており、その名声は神の子の誕生によりさらに広まった。
「……マリア、付いたよ」
「はい。お父様」
父親に連れられて馬車を下りる神の子は、人とは思えない甘美な香を放ちながら、ゆっくりと赤いレンガの上に足をおろし、神聖なる糸によって紡がれ、聖水によって清められた聖法衣を揺らす。
「お待ちしておりました、聖父 テレジア様。マリア様」
一人の衛兵がカラカラと音を鳴らして馬車へと敬礼をして、二人を城の中へと案内する。
。
「マリア様だ」
「アァ……今日の平和もすべてはあの聖女がお生まれになってから……主よ」
巨大な庭園を抜ける際中。
庭で働く人々は皆口々にマリアを称え、一人の例外なく皆が皆祈りを捧げる。
その様子にマリアは手を振ろうと片手をあげ。
「やめなさい」
父親により、止められる。
「なんで?」
「君と彼らでは身分が違い過ぎる」
「……でも」
「分かったね?」
「……はい」
神父の言葉にマリアは渋々と従い、巨大な雄獅子により守られるようにある十字が描かれた巨大な扉をくぐり、城内へと進んでいく。
内側から見渡す風景は、外側から見やる状況よりもはるかに絢爛豪華であり、マリアは獅子が他の動物の死体の頂上にて遠吠えをする壁画や、天に召します我らが神の彫刻。
手すり一つ一つ、燭台に掘り込まれた聖書のワンシーンに逐一感動をしながら、さらに奥へと進んでいく。
「何度見ても……ここはすごいところだね、お父様」
「ははは、そうだよ。ここは聖都……神の子であるマリアにとって、ここはマリアの為にあるようなものなんだから」
「へぇ」
マリアは嬉しそうにスキップをしながらふらふらと前を歩く衛兵についていく。
王城を歩く兵士や、上級兵に護衛されながら道を行く執政官でさえも皆、マリアに祈りと敬意を表した挨拶を送り、これに返事をすることは父は許し、マリアは元気に返事を返す。
そんなことを繰り返し、長い階段を登り終えると、ハルバートを構えた黄金の甲冑を身にまとった兵士が守護をする扉の前にて、衛兵は立ち止まり。
「テレジア神父および、神童 マリア様をお連れいたしました」
と、上級兵士に向かって叫び。
「ご苦労……国王がお呼びです」
二人の上級兵は、その巨大な扉を二人だけの力で開く。
古き扉は威厳のある重厚な音を響かせながら来訪者を丁重に招き入れ、マリアと神父はゆっくりと中へと入っていく。
長い赤いカーペットが伸びる道。
王へと続く道は黄金と白銀の甲冑を身にまとった近衛兵が交互に整列し、マリアと神父の入場と同時に腰に差した獅子の紋章が刻まれたロングソードを抜き放ち、向き合った兵士の刃を上へ振りかざし重ね、アーチ状の刃の道を作る。
客人は 剣によりもてなされ、剣によりもてなされた者は神に愛されるべきものである。
先代の王が残した言葉であり、この国ではこの道を通る者は皆こうしてもてなされる。
既になれた通路をマリアと神父は歩み、王の前にて跪く。
「……召喚の命令に従い、参上いたしました」
「王様、ご機嫌麗しゅう」
「よく来た……おぉ、マリアよ。 マリア……マリア」
「さ、マリア、行っておいで」
「はい」
年老いた老王は、まるで孫をかわいがるかのように無邪気に飛びつくマリアを抱き。
「マリア……マリア~」
うつろな瞳のままマリアをなで続け、口元からよだれを垂れ流す。
「……王様、いかに神の子となれど神託により王権を賜わりしあなた様はさらに神に選ばれし存在……やすやすと触れることを許すのはどうかと存じますが」
その様子を、隣で見ていた法衣を身にまとった男が諌めるような口調で少し離れたところで言い放つが。
「マリア~……そなたは良い子だのぉ」
聞く耳持たずと言った様子で王はマリアを愛でつづけ、法衣を身にまとった男はいらだたしげに舌打ちを漏らす。
「……こほん。 さて、テレジア神父よ。貴公を呼んだのは他でもない」
マリアを愛でる王の姿に微笑を漏らしながら、隣に座していた男が立ち上がる。
「……偉大なる我が父レオ十一世のお言葉だ……しかと受け取るがいい」
立ち上がり、高らかにそう宣言した第一王子は隣に控えている赤いマントを身にまとった騎士に目配せをすると、騎士は声を張り上げて手に持った書状を読み上げる。
「神父 聖テレジア。神の子を授かることを神に許されたそなたは、必ずしも徳は泉があふれんが如く、その信仰心は千尋の谷よりも深い。その心常に神に近く、その言葉神の最も信頼における立場であることを我は疑いなき物とし、そなたに~最高執政官~の位および、神託者の称号を授ける」
高らかに宣言された王子の一言は宮殿に響き渡り、同時にマリア、王……そして王子以外の人間すべてのものが、驚愕の色を顔ににじませる。
最高執政官とは、王の側近と同程度の発言権を有し、さらに信託者とは、法王でさえもその意見を無下にすることが出来ない程、教会での発言権を有することになる。
……つまり、神父はこの時、神の子の父親と言うだけで政治面においても宗教面においても、最高位の権力と地位を手に入れたのだ……。
「ば……バカな!王様、失礼ながら申し上げさせていただきますが、このような下賤なスラム街の神父が、国政に携わることになるなどこの聖都生まれてから一度もありません!奴は下賤で、下品で、低俗な場所に生息する学も、知恵も何もない人間。それをこのように国の重要機関に置くなど……」
「……貴様、神につかえるものでありながら、神の子の父を下賤と申すか?……それは神、さらには神を生みたもうた、聖母をも愚弄する行為ぞ」
王に喚き散らしながら講義をする教会の長に対し、王子は振り返りその眼光鷹の如き瞳で射抜き殺す。
「ひっ!」
その眼光に射抜かれた神官は無様にその場にて腰を砕かれ、足を滑らせてゴロゴロと階段を墜落していく。
失墜していく最中……神官は見る。
その神父の唇が、不気味に吊りあがっていることに。
「王様、ケンカ?」
「いいやいいや、違うよマリア……」
不安そうなマリアの言葉に、王はにっこりと笑みを零してマリアをなでる。
その様子は孫を溺愛する祖父に見えなくもないが……豪傑と謳われたレオ十世を知る者ならば誰しもが、この王の行動が異常であることに気付くだろう。
「聖テレジア……前へ」
「はっ」
ニコニコと涎を垂らしながらマリアを抱きしめる王に見守られ、神父は王の玉座に続く階段を一歩一歩踏みしめるように登って行く。
名誉を。栄光を。名声を、そして権力を。
「この信託者の十字ある限り、そなたの行いは神の代行。 そなたの言葉は神の神託……そして、その身は絶対に汚されることは叶わない不浄の身と永久に認識されるであろう」
黄金で作られ、縁取るように散りばめられた宝石が輝く十字……。
跪く神父に対して、王子は首にその十字をかける姿を見た後。
「ここに今! 聖テレジアは、信託者となり!名実ともに、マリア テレジアは神の子として認められた!」
マリアをおろし、その巨躯を揺らしながら立ち上がった豪傑は、うつろな瞳のまましかし巨獣でさえもその牙を収めるほどの大声にて、そう宣言をした。
と。
【うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!】
取り計らったわけでも、計画をしていたわけでも……はたまた何百年と続くならわしでもなく、アーチを作っていた刃を振り上げ、忠実な兵士たちは信託者の誕生に歓喜の雄たけびを漏らし、思い思いの喜びを表現する。
城が大きく揺れているのではないかと錯覚してしまいそうな大声の中、聖女マリア テレジアは何が起こっているのかよく理解できないまま……父親の名誉に素直に笑顔を零し……そこに居た人間達の、うつろに歪んだ瞳をいつまでもいつまでも見つめていた。
◆
帰り道。
信託者となった神父と神の子と正式に認められたマリアは、騎士団長に護衛されながら帰路についていた。
馬車はカタカタと揺れながら赤色の煉瓦をゆっくりと進み、右を見ても左を見ても……多くの人間がマリアに対して祈りを捧げていた。
「やれやれ、王子の誕生日パレードよりも人が集まっていますね、この量は」
マリアと神父の向かいの席に座る男は、ニヒルな笑みを浮かべながらそう苦笑を漏らす。
メルヴィルと同じ獅子の紋章を背負ったその男は、王直属の騎士団の紋章であり背に負う赤いマントは団長を名乗ることを許された証。名実ともにその国一番の豪傑であることを認められた証である。
そんな人間に護衛をされながら、マリアと神父は外を眺めながらスラム街へと戻って行く。
「そんな、滅相もないですよ。王子のパレードは外国や田舎の人々も集まりますが、ここにいるのは聖都の人だけ……王子に比べれば大したことなどありませんよ」
「がっはっは……と言いつつも、あなたの顔は満足げだ」
「そんな……」
「いやいや、良いんだよ良いんだよ。人間のし上がってなんぼ、欲があろうがなかろうが、実際人を救えてるのは事実だ。俺から言わせてもらえば、欲のある奴の方がまぁだ何考えてるか分かる分だけ信用できる……かくいう俺も、聖都の正騎士団の聖騎士団長なんて肩書があるが、ここまでのし上がるのに随分とまた汚ねーことに手を染めてきた。仲間を見捨て、侵略戦争の時には捕虜を人質にして生き延びたり……戦争を終わらせるために隣の国のお姫さまを暗殺したり……恨まれるようなことなんて腐るほどな」
愉快そうに笑顔を見せる騎士団長はニコニコと笑いながら、目前の少女の頭を軽くなで、
大きなごつごつした掌の感触にマリアは満足げな表情で笑みを返す。
「……可愛い娘さんだな本当に」
「……えぇ」
「どうした?さっきから人の事をうかがうような表情して?」
「いえ……失礼ですが、団長さん。 あなた、どこか体の一部で悪いところはありますか?」
騎士団長の質問に、神父は相手の顔色を窺うようにそう問いかけると。
「ほう、良く気付いたな。誰にも気取られたことはねーんだが、実は俺は嗅覚がない。先天性の病気らしいんだが、まぁ困ったことはねぇな。戦場ではどんなものでも食えた方が得だ、むしろ俺にとっては才能だと思ってるよ」
「ははぁ、そうでしたか」
合点が行ったという風に神父は表情を明るくし、それに対して逆に合点がいかないと言った表情の騎士団長は神父に問う。
「しかしなんで気づいたんだ……あんた?」
その質問に対し神父は。
「神は全てを見ておられます」
そうにこやかな笑顔で答え、騎士団長もうさんくせぇなと一言漏らすだけで、それ以上は追及をしなかった。
◆