聖都のスラム街を聖女は歩く
「ねぇヨハン。ここって、本当に聖都なの?」
黒く染まった煉瓦を踏みしめながら、マリアは首を傾げてそんなことを聞く。
「はぁ?何言ってやがんだマリア?そうに決まってんだろ?ほら見てみろよ、あそこにちゃんとあるだろ十字鐘楼塔。あの鐘の音でお前も俺も今日朝目覚めたんだろうが」
「あ……本当だ。でも、私の家の周りは灰色だけど……町の方は真っ白と赤しかないのに、なんだかここは真っ黒だよ?」
「あぁ……そりゃそうさ。ここはごみ処理施設。都市のいらない物ぜーんぶまとめてここで焼き払ってんだ……煤と煙で汚れてんのは当たり前」
「へぇ……じゃあ私が食べ残したご飯とかもここで燃やされちゃうの?」
「あぁ、そうしてその分煙が増えて俺達はさらに真っ黒になるんだよ」
「……そうなんだ。もうお野菜残さない」
「まったく、貴族ってのはお気楽でいいもんだね~」
マリアの的外れな感想にヨハンはやれやれと首を左右に振り、都市の色がさらに黒くなる方向へと歩んでいく。
と。
「ついた。 ここが俺の仕事場さ」
そこにあったのは筒のような真っ黒な塔。
焦げたような塔はあちこちから煙を吐き出しては、周りに熱を吐き出しており。
塔の周りを巻きつく蛇のような階段状の脚場には、ヨハンよりも歳が上の老人たちが真剣な表情で塔のあちこちを点検して回っている。
「おーい!おっちゃん!俺だー、ヨハンだー!一番炉を開けてくれー」
ヨハンは塔の上を仰ぎ見て、一番近くにいる老人にそう声をかけると、老人は面倒くさそうに片手を上げて何かのレバーを引く。
と。
「え?」
開かれた扉から漏れ出す熱気は、太陽とは違う熱がマリアの肌をなで、赤々とした劫火が少女の網膜に映し出される。
「離れてな。なんかくっせーらしいから。ごみ処理施設で一番くせーここが、俺の仕事場。
死体処理施設だ……つっても、焼くのはこいつら。野良犬とか猫とかの死体だけどな」
そういうと、ヨハンは煌々と燃える火の中に鉄の棒を突っ込み、数回かき回すような動作をすると、燃え上がる火の中からころころと白い球体の物と、棒状のものが現れる。
「それ、なぁに?」
始めてみたその白いものに、マリアは首を傾げて聞くと。
「これは、死んだ生物のなれの果て……骨だよ」
「骨……って、これが?」
「そ」
燃えた骨を冷やし、拾い上げた白いものをマリアに渡す。
「ひっ!?」
ころりと猫の骨は掌で転がり、目のあった部分の二つの穴と目が合い、小さな悲鳴を上げる。
「はは、そうだよなぁ。貴族には縁がないもんだよな」
「ど……どうしてこんなことをしてるの?」
「さぁなぁ……俺は生活の為にこの仕事をしてるんだけどよ、お偉いさん曰く。猫とか犬とかの死体を放っておくと、町の人が病気になりやすくなるんだと。だから俺はこうやって町の排せつ物やしたいとかをここに持ってきて燃やしてんの」
手に持っていたバケツの中身の黒々とした物は、どうやら人や動物の糞尿らしく、その周りをハエが飛び交う。
そして、その中にまみれるようにして前足を伸ばしているものは、動物の……まだ生まれて間もない子犬の死骸であり、ヨハンは何でもないと言ったような表情のまま。
「よいしょっと」
まるで乾いた地面に水を撒くように、糞尿と一緒にその子犬を日の中へと放り込む。
「最近はどこもかしこも疫病が流行ってるからな。いつもなら畑のオッチャンが買ってくれるんだけど、お偉いさんに止められちゃっててな……とよし。 おーい!おっちゃん、閉めてくれー」
ヨハンは轟々と燃える焼却施設の扉を閉じて、笑いながらマリアの方へと向き直る。
と。
「……なんで?」
「ん?」
「なんで動物さんを……そんな汚い物と一緒に捨てちゃうの?」
マリアは震えるような声でそんなことをヨハンに尋ねる。
「可哀そうだよ。この世界に生きる者は全て神様に愛されてたんだよ?それを……あんな汚い物まみれにしちゃうなんて……せめてお墓を作ってあげなきゃ。死んじゃった動物をそんな風に扱ったら、神様だって……」
「はんっ」
マリアの言葉にヨハンは一度鼻を鳴らしてマリアの言葉を遮り。
「放っておいたら疫病を発生させるんだ……この死体と糞尿……何が違うんだ?」
そんな言葉を投げかける。
「そ!それは、神に愛されこの世に生を受けたか否か!」
「関係ないね。こんなあどけない子犬をコロッと殺しちまうんだ。神様の気まぐれなんて不確かなものにすがってる余裕なんてないんだよ俺らは。 ただ今分かることは、この死体と糞尿は放っておけば必ず人に害をなす……ならばまとめて同じように処理をすれば、その分だけ効率も上がるし、この町の人たちを守れる。それとも何か? 貴族様は人の命と動物の死体を秤にかけるのか?」
「……う……でも、それは……」
マリアはヨハンの言葉に押され、少し口ごもると、ヨハンは諭すような口調でマリアに対して言葉を紡ぐ。
「……いいかマリア。何かを得るためには、必ず何かを犠牲にしなければならない。
例えば今回の、人の命と、動物の命の尊厳のようにな。 俺はこの町が好きだから……人を守るために仕方なくこの犬たちの尊厳を踏みにじっている」
「……そうなの?」
「あぁ、俺だって本当は墓をつくってやりたいさ……だけど、その結果みんなが死んでしまったらそれこそ嫌だ。……だから俺は、動物の尊厳を奪うと決断したんだ」
「……決断?」
「そうだ。 決断だ……自分の正しいと思ったことの為に……何かを切り捨てること。それが決断だ」
「……私にも決断する時が来るの?」
「……あぁ。誰だって必ず訪れる」
「そっか……そーなんだ」
マリアは何か思うところがあるのか、得心が行ったといった表情のまま、伸ばされたヨハンの手を取る。
「さ、悪いな寄り道させちまって……あんたの家に帰ろう」
ヨハンは泥まみれの手のまま困ったようなマリアを連れて、裏路地のスラム街を闊歩する。
連れまわされるマリアはどこか少し困ったような表情で、汚らしい街には似合わない装飾のドレスを揺らし……その口元は、心なしか春を知った小鳥のように……幸せそうにほころんでいた。
◆
「よっし抜けたぞ!」
「あ……ありがとう」
ヨハンに手を引かれながら走るマリアは息を切らせながら、余裕の表情を浮かべる少年にお礼を言い、辺りを見回す。
スラム街の黒色は既にその色を失い白くなっており、人一人通らない路地裏だというのにレンガ造りの道のひび割れから生える雑草も、それどころか埃一つない。
その町で浮いているのはマリアではなく、ヨハンの方になっていた。
「しっかし、本当に汚ぇ町だよなぁ」
そんな街を見ながらヨハンはそう毒づき、埃一つない街につばを吐く。
「……そうなのかなぁ?私は綺麗だと思うよ。真っ白で、汚れも何もなくて」
「それが気に食わねえんだよ。光があるところに影があるみたいに、綺麗な物の裏には必ず汚い物がある。本当に綺麗っていうものは、その両方を受け入れて初めて成り立つものなんだよ。現に、スラム街なんてもんがあるのに、この町はそれを全部隠してやがる。それは綺麗なんかじゃない。だから俺は、この町は嫌いだ」
「へー」
マリアは、良くわからないというように首を傾げて、少し離れた場所からヨハンを見る。
ボロボロの服を身にまとい、動物の糞尿にまみれた姿で、町を汚いと罵り続ける少年がそこにはいた。
と。
「マリア様。探しましたよ」
低い重厚な声が路地裏に響き渡り、気づけばヨハンとマリアの背後には、長剣を携えた浅葱色の衣服を身にまとった騎士が立っていた。
「メルヴィル!?」
「し、知り合いか?」
「うん、私の護衛騎士でね、メルヴィルっていうの。紹介するわ、彼はヨハン。道に迷ってるところを助けてもらって……」
瞬間、白銀の閃光が走り、ヨハンへと走る。
「いっ!?」
刹那。
動作も、剣を引き抜くさいの鞘引きの音が聞こえるよりも早くヨハンの眼前に、十字の紋章が掘り込まれた刃は突きつけられた。
「なるほど……王城へと続く道にマリア様がいないと思ったら……貴様がたぶらかしていたのか……。大方マリア様の神威に当てられた愚物だろう……正気に戻って苦しむのもかわいそうだ……一瞬で殺してやる」
「え……は?」
何が起こっているのか、突然現れた男が何を言っているのかも理解できず、ヨハンは唯々言葉にならない声を零し。
マリアの制止する……という選択肢が湧き上がるよりも先に、その騎士の一撃は音もなく炸裂する。
ゆるりとした動きから引き戻された直剣は、振りかぶられた形から四十五度の角度で袈裟に振り下ろされる。
単純なその一撃。だがそれ故に、その異常さが分かる。
「祈れ!」
「あ……は……!?」
避けられることは不可能。 見切ることなど尚不可能なその一撃は。
「はっくし!?」
くしゃみをして前に傾いたヨハンの体を傷つけることなく、その隣に積んであった丸田を両断する。
「ちっ……うまく避けたな……だが、これで終わりだ!」
ガラガラと崩れ落ちる丸太の間をかいくぐり、メルヴィルは一瞬でヨハンへと踏み込み、
振り下ろした刃を返し、逆袈裟にヨハンへとその刃を振るう。
が。
「止まりなさい!メルヴィル!」
崩れる丸太の音で状況を理解したマリアから発せられた言葉により、メルヴィルの刃は首元で止まる。
「……マリア様?」
ガラガラと崩れる丸太。 光る刃。
何が起こったのかも、どうしてこうなったかも理解できないヨハンは。
「……どういうことなの?」
ただその一言だけを呟いた。
◆
「……なんと、マリア様を助けていただいたとは……ご無礼をお許しください」
マリアに事の顛末を説明されたメルヴィルは、ヨハンに対して深々と頭を下げる。
「まぁ……怖いとかむかつくとか感じる前に目の前に刃物があったからなぁ……なんも感じねえからいいんだけどよ」
「ごめんねヨハン。メルヴィル、腕は立つんだけど少し早とちりさんで」
「……誠に申し訳ない。しかし、マリア様の容姿にひかれ、これまで幾度となく下半身を露出した人間がマリア様に性交を要求してき続けて来たので……つい」
「俺がいつ下半身を露出したよこのやろー」
「……いえ……その、ボロボロだったので、どうせ穿いてないだろうと」
「あんた、謝る気ないよね、むしろバカにしてるよね?生まれて初めてだよ、どうせ穿いてないだろうって憶測で殺されかけたの」
ため息交じりのヨハンはそう文句をメルヴィルに対してもらした後、踵を返してスラムの方角へと戻って行く。
「まぁいいや、じゃあなマリア」
「え?……どうして?」
背中を向けて手を振る少年に対して、マリアは困ったような声でそうヨハンを呼び止めると。
「迎えが来たんだったら、俺はもう必要ねーだろ?」
「え!?もっとお話ししたいよ!」
「……俺はお前と違って働かなきゃいけないんだ……。そろそろ仕事に戻らなきゃ、御飯くいっぱぐれちまうんだよ」
「……そんな……」
「マリア様」
駄々をこねようとするマリアの頭をそっとメルヴィルはなでて静止をし、小さくヨハンに手を振りかえす。
「ねぇヨハン!……また遊びに来ていい?そしたらもっともっとお話しよう!今度はお友達のエレノアを連れてくるから!ね!三人で遊ぼう!」
メルヴィルの腕の中で大声で騒ぐ純白のドレスを着た少女の声は、聖都に響き渡らんがごとき勢いではなたれ。
「好きにしやがれ!」
そのすぐ後に、負けず劣らずの大声が、スラム街より貴族外へと響き渡った。