防災リリー
いくら後悔しようとも、水着のお姉さんの季節は終わってしまったのだ。
ひまわり畑に浮かぶ、麦藁帽子を被った白ワンピースの美少女も帰ってこない……。
そして訪れる季節は秋、時は9月。その最初を彩るのは防災の日。
いまだに夏休みボケが抜けてない中、私はスマートフォン越しの母の命令を受けて、高校から自宅へ直帰した。
そうして母愛用の軽の中古車に乗せられて、街の大型スーパーまでやってきたのである。
「今日の防災フェア、一人じゃとても持ちきれないと思うからアンタも協力しなさいよッ」
そうだ。母は特売とわかれば品物も確認せずに買い込む人だった……。
まあ、それだけなら自由に使えるお金が減って父がひっそり泣くだけで済むのだが、友人との楽しい放課後の時間を親権ハンマーでぶっ潰した罪は重いぞ。母よ。
私はきわめてふて腐れた表情で、順調に物が増えていく買い物カートを運んでいると、ふと見知った人影に気づいた。母も気づいたようだ。
「あらあ、ソナエちゃんじゃない」
ソナエ。十の苗と書く変わった名前の私の従姉は、私たち親子の姿を見て笑顔になった。
「こんにちは。おばさま、守美ちゃん。ふふ、夏休みが終わってすっかり絶望ね」
そう言えば、大学生の十苗さんはまだ夏休みなんだっけ。9月いっぱいまで休みとか私から見れば羨ましいふざけんなと言いたいところだが、おそらくその分の絶望も計り知れないに違いない。いずれ私が従姉のブーメランを笑ってやるぞ。
私が脳内で邪悪な小計略を巡らせている間も、母と従姉の会話は続いていた。
「姉さんから聞いたわよ。研究発表で教授たちからべた褒めされたんだって? スゴいわね~。あなたも防災用具を?」
「はい。乾パンをどれにするか迷ってしまって……」
味なんてどれも一緒だろ、とやさぐれ気分で私は無言ツッコミを入れる……と、その従姉と目が合った。
「守美ちゃん、今から家に来れない? 防災のことで手を貸してほしいのよ」
自分が防災に関して何の役に立つんだ。そう思ったが即座に了承したのは、一刻も早くこの不愉快な時間から脱したいから他ならない。
「もちろん喜んで! じゃあ母さん、後はヨロシク~♪」
お説教など、過ぎてしまえば大したものはない。
そう信じて私は従姉さんに無理矢理くっついて母の元から離れたのだった。
年は離れているものの、私は十苗さんのことは気に入っていたし、十苗さんも私のことを妹のように可愛がってくれていた。
そして、私は十苗さんのあるヒミツを知っている……。
「さ、さ、守美ちゃん。ここに息を吐きかけてちょうだい。思いっきり、ふぉおおってね」
(まさか、こんなことをやらされるとは思わなかったよ……)
十苗さんのアパートで、私は差し出されたビニール袋を持って愕然としていた。
いつからか、そもそも親は知っているかは知らないけど、十苗さんは女の子……特に私に対して強い執着心を抱いている。いちおう小物などの報酬をくれるので、私にとっては悪い話でもないが、さすがにこのようなことを要求されるとなると、従姉の人間性とやらを疑いたくなる。
だが十苗さんは私の思いなどまるで気づかぬようで、嬉々として自分の特殊な性癖をさらけ出している。
「もし災害が起きて、守美ちゃんとしばらく会えなくなったら辛いでしょ? だから、災害に備えて守美ちゃんの空気を保管しようと思うのよ。とりあえず一月分はお願いね♪」
「災害が起きる前に死ぬんだけどそれは!」
私は馬鹿らしくなってビニール袋を放り投げた。従姉の顔面に。それでむしろ嬉しそうになるのが呆れを通り越して寒気さえおぼえてくる。
「ええ~、ざんねん~。じゃあじゃあだったら、これに唇を思い切り当ててちょうだい。守美ちゃんの口の形が半永久的に残るから」
次に差し出されたのは……正直よくわからない。ぱっと見、運動会にあるような粉の中に飴が入っているアレに感じたのだが、目の前にあるのは小麦粉ではなく乳白色のゼリーにも見えた。まったく、この従姉は大学で何を研究してるのだろうか。
さすがに付き合いきれなくなって、私が声を荒げようとしたとき。
震動と長い長い鈍い音。
「うわわわわわ……」
まるで今日が何の日か知っているかのような地の謀りよう。私もうろたえて言語化不能のうめきを上げたが、その三倍以上の勢いで。
「いやああっ! 地震よおおっ! 死んじゃうううっ!!」
従姉が別ベクトルで暴走を始めていた。まったく、小学生でもここまで取り乱したりはしないと思うぞ。
揺れが収まっても、従姉の暴走はおさまらない。しかも。
「きえぇぇえいッ! 死なばもろともおおっ!!」
十苗さんはいきなり私にブローをかますという奇行に走ってきた。
不意打ちというか予想外すぎる行動に、私は対抗策を出す前に床に沈み込む。
おまけに二次災害として、そこそこ重量のある柔らかいものまで重なってくる始末。
(……っ!?)
それは思ったより大きかった。何とか聞くな。
従姉がブレザーを着たときはそうでもなかったのに、時は人を外見だけでも成長させるのだなあ。
というより。
「むーっ! んぐーーっ!!」
私の前に生命の危機が迫っていた。右手で従姉を揺さぶり、左手で床を必死に叩きつける。
巨乳に顔を押し付けられて窒息死なんて冗談じゃない。死ぬ気は微塵もないが死ぬならもう少し常識的な死因にしてほしいものだ。
幸い、従姉はすぐに目を覚ましてくれたので、なんとか息を乱すだけで済んだが。
「お、おさまった……?」
「おさまった、じゃないよ。あーあ、十苗さんの胸で死ぬとこだった……」
「本懐でしょ? それともキスのほうが良かった?」
「まずは謝れよ!」
半ば以上、私は本気でキレていた。気づいたときには平手で十苗さんの頬に人災を浴びせていたが、私の怒りは収まらない。
謝らないことももちろんあるが、それ以上に腹を立てていたことがあったのだ。
真剣な顔で、私は半泣きの従姉を見る。
「……それから、私の息とか口の形とか残すのはやめて。まるで私が死ぬことに対する準備に見えるじゃん」
「そ、そんなつもりじゃないのに……」
従姉の反論を一睨みで封じてから、私はため息交じりに続けた。
「防災って、五体満足で生き延びるための準備でしょ。だったらもっとマシなものを揃えるべきだと思うんだよね。そんな残り香に頼らなくても、息なら再会したらいくらでも吹きかけてやるし、キスぐらい……まあ、してやらなくもないから」
「ほ、ホント!?」
「ただし、ほっぺたにね!」
「…………」
「露骨にがっかりした顔しない!」
私にそっちのケはないんだよ!
まあ、なんやかんやで従姉は私の息や唇を諦めてくれたし、私の怒りもしだいに収まってきた。
後日買い物に付き合う約束を交わしてから、私は十苗さんのアパートを出て、夕焼け空の下を歩いた。
「生き延びるための準備、かあ……」
自分で言っておきながら深いな、と感じていたが、正直、私もあまり威張れるものではない。
なんだか今回に限っては、母の買い物に最後まで付き合えなかったのが申し訳ないような気がした。
(なんか、親子お揃いで使える防災グッズはないかな……手頃な値段のヤツで)
そんなことを考えなから、私は帰路の途中にあるスーパーにぶらりと立ち寄った。