LOG.18 絶望と失望、そして希望
暗闇の中、濃い霧が立ち籠っていて、前がよく見えない。
皮肉にも、今の俺が頼れるのは、霧の向こうから響く「奴」の怒声だけか。
「B26!!」
右胸の貫通傷から、青い血がポタポタと泥を汚していく。
ジョシュの身体強化装置は水没して使い物にならない。
もはや、このボロボロの機体だけだ。
[×HOSTILE:カミラ・マクレーン]
「ようやく、見つけたぞ、B26……」
霧の中から現れたその姿は、実に無惨で、弱々しいものだった。
剥がれた頬、失った左手。
右手には武器すら持っていない。
「あの女はどこにいる?」
「教えるかよ」
エネルギーの供給が絶たれ、青い光を失った剣をギュッと握り締める。
ここで、すべてを終わらせる。
「うらぁっ!」
渾身の一撃を放つが、紙一重でかわされる。
交わした勢いのまま、カミラが蹴りを入れた。
[×WARNING:左から蹴撃]
「ぐはっ……!」
[×WARNING:腹部損傷]
視界が火花で明滅する。
もう一度、無理やり剣を振るう。
カンッ!
ああもう、刃が通んねえ。
[×WARNING:右から打撃]
[×WARNING:左胸部損傷]
普通にやり合っても太刀打ちできない。
狙うは一点。
あいつが計算を上回る、一世一代の騙し討ち。
剣を振り下ろしたその瞬間、その手をパッと離した。
意表を突かれ、カミラが避ける軌道がわずかに歪む。
空いた右拳をもう一度握り締め、剥き出しになった奴の顔面に向かって、全力で殴りつけた。
鈍い音と共に、眼窩の奥に右拳がめり込み、衝撃が脳幹を揺らす。
そして、火花を飛び散り、カミラは泥の中へと沈んだ。
[×WARNING:右手フレーム大破]
感覚が消えた右手を捨て、俺は落ちた剣を拾い直した。
一歩、また一歩。
倒れ込むカミラへと歩み寄る。
あと、もう少し。
この剣を突き立てれば、終わる。
俺が腕を振り上げた、その時だった。
「……はは、ははははっ」
カミラが、笑い出した。
いや……よく見れば、彼女は泣いていた。
俺は剣を構えたまま、凍りついたように固まってしまった。
どうして泣いているのか、ただそれだけが気になった。
「B26……。
お前、元人間なんだろ。
その不条理な戦い方を見ればわかる」
赤い髪を泥にまみれさせ、欠損した目から火花を散らしながら、彼女が俺をじっと見た。
「なあ、人間。
……『愛する』って、どんなだ?」
彼女の声からは冷徹さを感じられなかった。
その声はただ純粋に愛を知らない乙女の軟い声だ。
そうか、彼女はずっと笑うふりをして、泣いていたのか。
ただ純粋に……『愛する』ということを知りたくて。
だが残念。
聞く相手が悪い。
朝日が登り始め、泥から飛び出した赤い髪が浮き出た。
「……俺が、知るわけないだろ。
俺の人生は、ろくなもんじゃなかった。
いや……いい人生にするチャンスだってあったはずなのに、俺はそうしなかった」
「なぜだ」
「俺が、不条理だからだ」
「……ふん。つまらんな」
霧の向こうから、無数のヘッドライトがこちらへ迫ってくるのが見えた。
追手のドロイド軍だ。
「私はどうせ降格するだろう。
生き恥を晒すくらいなら、死んだ方がマシだ。
だから……さっさと殺せ」
カミラは冷たい声で俺に向かって言った。
俺は剣を握る手に力を込め、自分に問いかけた。
……そして、決めた。
「俺は、あんたを殺さない」
「……なんだと?」
「その代わり、約束してくれ。
俺が死んだと……B26は完全に破壊したと、上に報告しろ」
「そんなこと、私が聞くわけが……」
[×HOSTILE:E4ドロイド部隊]
「いたぞ!目標確認!!」
銃声が闇を切り裂く。
俺はカミラに背を向け、銃弾の雨が降る霧の奥深くへと、その姿を消した。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その頃、エミリーに場違いの陣痛を訪れていた。
ベンのデニムのシャツを腰にかけ、血の混じった泥の上でルナが声を張り上げる。
「ああああぁああ!!」
「大丈夫、体の力を抜いて。
ゆっくり、ゆっくり息を吐いて……!」
「もう少しだ、エミリー!頑張れ!」
「ふーふー」
「頭が出てきた。
あともう少し……」
「はあ、はあ」
荒い呼吸と悲鳴。
エミリーが二回、深く息を吐き出した瞬間。
水平線から鋭い陽光が差し込み、それと同時に新しい「命」の産声が響き渡った。
「ううぇーん!ううぇーん!」
ルナが震える手で赤子を抱き上げた。
膝のホルダーからノアのナイフを抜き、臍の緒を切り離す。
ベンは、エミリーの細い手を握りしめたまま離さない。
「エミリー……女の子よ。名前は?」
「ホープ……」
「ホープ……いい名前ね」
ルナはホープを母の元へと渡そうとした。
だがエミリーは手を閉ざし最後の言葉を放った。
「あなたが……育ててあげて……」
「え……?」
「おい、エミリー!
しっかりしろ!
頼む……エミリー……」
ベンが必死に呼びかけるが、握り続ていた手の温もりは、朝露のように儚く消えていった。
[×TARGET:死亡]
俺が霧の中から辿り着いた時、視界に最初に表示されたのは、その冷徹な二文字だった。
ベンは叫ぶことも泣くこともなく、ただ無言で立ち上がり、水辺へとふらふらと歩き出した。
それを見たルナが俺に赤子を渡す。
[×SCAN:人間]
……温かい。
「ベン……」
ルナがその名を呼んだ、その時。
彼は拳銃を自らのこめかみに突きつけた。
震える指が、引き金にかかる。
だが、弾丸が死を運ぶよりも早く、ルナが彼に覆い被さった。
彼女の手も、ベンと同じように激しく震えている。
「邪魔するな……」
それでもルナは、声を振り絞って叫んだ。
「もしも私が、あなたと同じ立場なら、きっと同じことをするかもしれない。
でも……そんな時、私はこの言葉を求める。
生きろ!
やるべきことをやれ!
あんたはまだ……死んでないでしょ……」
言い放つと、ルナの瞳から涙が溢れ出した。
残酷なほどに明るい朝日が、動かなくなった母と、泣き叫ぶ赤子を照らし出す。
やがて、ベンは立ち上がった。
何も言わず、ただひたすらに、陽の昇る方へ向かって歩き出した。
彼は進み続ける、ENDEAST(東の果て)まで……
転生篇 〜完〜




