インパクトの強いキャラは、生かすのが難しい
何ヵ月前だったか覚えていませんが、『メメントモリ』という言葉を知る機会がありました。
筆者の無知を曝す事になりますが、聞いた事のない言葉でした。
非常に興味が沸いた為、パソコンで調べました。
ミスターチルドレンのヒット曲、『花』のサブタイトルにも使われているという事で、とても驚きました。
他にも、モンスターストライク(モンスト)にも出てくるそうで、ガンダムの兵器にもあると知った時は、びっくりしました。
テレビや映画、カフェなどのお店にも使われているという記事も読みました。
筆者は、テレビを見る事が極端に少ないので、映画で知る機会も、ありませんでした。
『メメントモリ』は、ラテン語です。
ラテン語は、現代において、日常言語として使われる事は滅多にないと思っていたのですが、1998年の岩波書店出版の広辞苑第五版によると、
『現在もわずかにヴァチカン市国で公用語として使われている』と記載されていました。
今年は2025年なので、27年前の情報になります。
現在はどうなのか、Wikipediaによれば、ヴァチカン市国は、『公用語はラテン語であり、公文書にはラテン語が用いられる。通常の業務においてはイタリア語が主に話され、外交用語としてフランス語、その他スペイン語・ポルトガル語・英語も常用されている。また、警護に当たるスイス人衛兵たちはドイツ語を用いる』
ヴァチカン市国は、当然ながら知っていますが、使われる言語においての知識は、全くありませんでした。
大学生の頃、学生寮で知り合ったベトナムの留学生が、次の事を教えてくれました。
「ベトナムは、フランスの植民地にされていたことがあるから、おばあちゃんは、今でもスイス語が話せる。私は、話せないけど」
これを聞いて驚きました。
またも無知を晒していますが、ベトナムの人が、スイス語を話せるとは思いも寄らなかったのです。
ラテン語は、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派に属しています。
フランス語も、同じくインド・ヨーロッパ語族です。
留学生の話を聞いて、植民地時代に、植民地にされた国に及ぼされた言語の影響は、後々まで残るほど大きかったのだと知りました。
皆が皆、スイス語を覚えていて話せたかは分かりませんが、イタリアの植民地にされた国にも同じ事が言えるのでしょうか。
イタリア語も、インド・ヨーロッパ語族のイタリック語派の一つですが、フィレンツェ方言を中心に、俗ラテン語から発達した言語です。
長々と書きましたが、『メメントモリ』は、memento mori と書きます。
『死を想え』『死を忘れるな』という意味です。
調べた所、西洋に古くから伝わるラテン語の格言と書かれていましたが、
『メメント』は、英語でいうところの『メモリー』又は『メモライズ』で、心に留める、忘れないといった意味にあたるそうです。
警句とも言えるメメントモリ(memento mori)は、中世ヨーロッパ芸術の主題として用いられ、いくつかの様式が生まれたと書かれた記事も見つけました。
古代ギリシャの調和美を追求したルネサンスが終わると、流動的で過剰な装飾を特徴とするバロック様式がヨーロッパで起こりました。
『メメントモリ』は、バロック期の精神を表し、16世紀~17世紀初頭に興ったバロック芸術の主題としても多く用いられたそうです。
『バロック』は、歪んだ真珠を意味し、ヨーロッパで高まったルネサンス様式から派生したものとして、批判的な意味で使われていました。
また、宗教戦争などで荒廃、分裂した不安定な時代の精神を表したものだったようです。
バロック期には、常に死を想う『メメントモリ」』や、全ては虚無であるとする『ヴァニタス』などの様式が好まれたとのことでした。
『メメントモリ』という言葉の時代背景、その始まりを知る事は、論文一つで、まとまりきるレベルではないと思います。
研究論文が、山ほど書けそうな気がします。
『メメントモリ』を簡潔に言えば、『死を想え』『死を忘れるな』という意味である、とそこで終わりですが、その背景にある膨大な歴史、宗教、芸術、様々な知識があってこそ、真の理解に至ると思います。
改めて、死というテーマの重みを感じました。
この『メメントモリ』は、自分が表現している作品が、どういったものであるのか、自分という人間が、どんな人間であるのかを見つめ直す良い機会になりました。
自分の作品を、『メメントモリ』形式で見ると、結構いい線を行っているなと思います。
投稿済みの『お盆休みと、赤目守りを救え!』は、大切な人の死と向き合う子供たちの姿を書いていますが、死は、新しい始まりでもあるという事を伝えたくて書いた作品でもあります。
始まりだからこそ、死を忘れてはならない、恐れてはならないのだという思いを表現したくて書きました。
メメントモリは、自分の作品の中には、既に入り込んでいると思います。
それならば、それをより深い形に持っていけるように、これからも最善を尽くそうと思います。
知識勝負はできません。
筆者の父親は、『薬屋のひとり言』を、よく褒めますが、携帯小説やライトノベルを認めているわけではなく、『薬屋のひとり言』だけは特別だと言います。
「知識が豊富で素晴らしい。ああいうのなら、携帯小説でも納得のいく話だ。おまえの話は、アイデアがあっても、それに続く知識がないから、ダメだ」
厳しく言われますが、知識云々を言われたら、言い返せません。
その通りですが、『薬屋のひとり言』のような大人気作品と比べられても困るなあ、とは思います。
インパクトの強いキャラを生み出して、そのキャラを最大限に生かす為にも、大胆なバロック美術のような力強さで、自分の内に秘める情熱的な変わらぬテーマを持って、信念が揺らがない小説を書こうと、改めて思いました。