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「B・P・S・D」  作者: 富嶽
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第10話「ソファーと監視者」

七月二日、水曜日。十二時を少し過ぎた頃、彼──赤城さん──はいつものように自室と共有スペースを行ったり来たりしていた。ドアの音がやけに響く、昼の静けさ。


十八時五十分頃、刈谷さんが眠前の薬を持ってきた。僕が「夜中に、こっそり窓から抜け出して、深夜の公園を散歩したいなぁ」などと冗談めかして言うと、「頑張って夜に歩けるようにしてください」と、少しだけ笑って彼は言った。


翌日、午後四時半頃、事件が起きた。理さんがデイサービスの帰りに玄関の段差につまずいて転倒。眉間を手すりの金属に打ちつけ出血。古田さんが手際よく止血し、僕は中尾さんに連絡した。理さんのケアマネではないかと思ったからだ。


七月四日、金曜日。朝七時二十分。


散歩から戻り、ソファーに腰を下ろすと、赤城さんが部屋から出てきた。そしていつもの定位置に立ち、僕をじっと見つめてくる。挨拶しても無反応。


「理さんの血、止まったそうです。午後には病院の先生が来ますよ」と声をかけると、ようやく「そうか、そうか」と小さく言い、理さんの部屋へ見舞いに行った。


八時頃、また彼が出てきた。無言で、またあの定位置。僕が「朝食は食べましたか?」と聞いても返事はない。数秒の沈黙の後、突然彼は怒鳴りだした。


「ソファーに座るな! 長時間座るなと言われてるだろうが! フジコ!フジコ!」


その言葉に僕は立ち上がり、「どうぞ座ってください。20分ずつに区切って座っています」と説明し、自室へ戻った。


その後、彼はソファーに座ってブツブツ文句を言ってから外へ出て、二十分ほどで戻ってきた。しばらくウロウロして、自室のドアをバンッと乱暴に閉めて、中で何かを叩きはじめた。


午前九時十分。僕が散歩から戻ると、赤城さんはテレビを大音量でつけっぱなしにし、玄関横の大窓からこちらを睨んでいた。僕が「ただいま」と言ってもその視線は外れず、やがて彼は共有スペースで物を蹴飛ばし、ブツブツ言いながら再び自室へ。そしてドアをバンバン叩き、叫び声。


十時十分頃、また外に出た彼は戻ってくると、ソファーに座る僕に話しかけてきた。


「今日は暑いから気をつけろ」


「今日は先生の回診があるから、遠出はしません」


「風は吹いているか?」


──なぜ風にこだわるのだろう。長袖とマスク姿の彼が、肌で風を感じるとも思えないのに。


午後三時四十分。僕がソファーでスマホをいじっていると、また彼がやって来て、ぴったり真横十センチに立つ。無言。怖いので僕も無言。


時折しゃがんで僕の顔を覗き込み、嘲笑のような笑み。やがて椅子を運び、僕の斜め前に腰を下ろす。肖像画でも描きたいのか? ゴッホか?ピカソか?


二十五分ほど観察された末、僕はようやく自室へ退避した。


七月五日、土曜日。新しい職員、キャサリンさんが入った。挨拶回りをする中、赤城さんの部屋の前では、津山さんが一歩引いて待機し、キャサリンさんが単独で挨拶。過去に何かあったのだろうか?


夕食後、またソファーに座っていると、赤城さんが飛び出してきて怒鳴った。


「何度言ったらわかるんや! さっきからずっと座っとるやないか! フジコフジコ!」


僕は立ち上がって「五分ほどです。どうぞ座ってください」と言ったが、彼は「座りたいから言ってるんちゃうんや! ボケ! アホ!」と暴言を吐き、僕の部屋のドアを叩いた。「うちわを忘れているぞ!」と叫びながら。


うちわは確かに忘れていたが、今まで彼が僕のドアを叩くことなどなかった。鍵の壊れたドアが、今になって怖くなった。


夜十時、理さんの部屋から物音。トイレのドアが壊れたらしい。僕が声をかけると、赤城さんも出てきて、なにやら小松さんの部屋を叩いている。


彼が僕の部屋のドアを叩いて、「電話したんやろ?誰が来るんや?」と聞いてきた。寺崎さんだと告げると、しばらくして職員がやってきた。


七月六日、日曜日。朝七時頃、バイタルチェックをしてもらっていると、赤城さんが出てきて「ナメてんのか!」と叫んだ。理さんの見舞いの後もまた怒鳴り、共有スペースを三十分もウロウロ。


午後五時前、スマホをいじっていると、また話しかけてきた。


「何してるんや?」


「過去日記を書いている」


「そんなもん書いて面白いか?」


彼の質問は続く。テレビ、風呂、仕事…。話を曖昧に返していると、職員前山さんが入って来て、「2人で漫才してるんやね」と笑った。


──あんたとコンビを組むつもりは、これっぽっちもないのに。


午後四時過ぎ、また彼がやって来て、椅子を持ってきて僕のそばに座り込む。会話の中で、彼が「越後屋」というお菓子の会社で45年働いていたことが分かった。


やがて沼田さんが夕食を持ってきて、「男2人で何してるの?」と冗談を飛ばすと、赤城さんは「ちちくりあっていた」と笑った。


──僕はホモじゃない! 妻子持ちだ!


だが、彼の人間性を少しでも知れたのは、収穫だったかもしれない。

少なくとも、ただのストーカーではない──たぶん。


それでも、次はどんな言動が飛び出すのか、油断はできない。

僕の神経は、ソファーに座るたびに、音もなくすり減っていく。

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