55:この国で生きていく
《聖域》の奥深くに佇む壮麗な神殿は、かつての精霊女王がその生涯を過ごした神聖な場所だ。
陽光を受けた白い壁面が宝石のように輝くのを見ながら、私はゆっくりと神殿に近づいた。
私の周りには精霊たちが集まり、無数の光の粒子となって踊っている。
身に纏った純白の儀礼衣は重い。
おまけに裾が長いため、うっかり踏んづけてしまいそうになる。
――ここでこけては儀式が台無しになってしまう。
精霊たちのさざめきが歌のように響き渡る中、私は慎重に歩いた。
精緻な彫刻が施された扉をくぐると、高い天井が目に飛び込む。
天井は色鮮やかなクリスタルでできていた。
クリスタルを通して差し込む陽光はホールの中央にある泉を照らし、泉のそばに佇む女神の彫像を複雑な色に染め上げていた。
さらに奥へ進むと、玉座の間に辿り着いた。
いまは空席となった玉座の周りには精霊たちが集っている。
玉座の間の中心には精霊女王の力を凝縮したと言われる結晶が鎮座しており、淡い金色の光を絶え間なく放っていた。
神秘的な光を放つ結晶の前には儀礼衣を纏ったラザード様がいた。
イリスフレーナにおいて教主も兼ねる国王の背後には六枚の翼を持つ四柱の大精霊たちが控えていた。
向かい合って立つ私たちの横には、ルーク様を始めとする王族と、フィルディス様たちが参列している。
皆、緊張した面持ちで儀式を見守っていた。
「大聖女リーリエ」
ラザード様が低く、重々しい声で呼びかけてくる。
「そなたはこれより《聖域》の守護者としてその責務を果たす。尊き精霊と大聖樹を守り、その恩恵をイリスフレーナに生きる全ての者に行き渡らせることがそなたの役目である」
私は深く頭を垂れ、心を込めて答える。
「大いなる使命をお授けいただき感謝いたします。私は全身全霊を捧げ、この務めを全ういたします」
ラザード様が手を掲げると、大精霊アクシスが前に進み出て、その手に光を放つ小さな実を置いた。
「この実はそなたと大聖樹を結ぶ。これを飲むことで、そなたは大聖樹と一つとなり、守護者の資格を得る」
私はラザード様の手から実を受け取って口に運んだ。
実を飲み込んだ瞬間、全身に力が満ちていくのを感じた。
身体の隅々にまで目に見えないエネルギーが行き渡り、一つ一つの細胞が目覚めていくようだった。
神聖力を使ったときのように全身が金色の光を放ち、玉座の間を柔らかく照らし出す。
その光景に、参列者は一様に驚きを浮かべ、そして微笑んだ。
「大聖樹もまた、そなたを受け入れた」
ラザード様は満足げに頷き、周囲の精霊たちが一斉に歓声を上げて舞い踊る。
「リーリエ、大聖女にして大聖樹の守り手よ。そなたがイリスフレーナを繁栄へと導かんことを」
儀式の締めくくりとなるラザード様の言葉を合図に精霊たちがやってきて、私の頭に金色のティアラを載せてくれた。
大聖樹が放つ光から紡がれたと思しきそのティアラは、羽根のように軽かった。
真夜中の鐘が鳴り終わってから、どれくらいの時が経っただろうか。
なかなか寝つけず、ベンチに座って夜空を見上げていると、足音が聞こえた。
「どうしたんだ、リーリエ。もう夜も遅いのに。眠れないのか?」
聞き慣れた声に振り向くと、左肩にイグナを乗せたフィルディス様が立っていた。
服装は身軽そうな夜着に変わっているけれど、それでも腰から剣を外さないあたり、彼らしい慎重さを感じさせた。
「はい。今日は色々あったので、脳が興奮しているのかもしれません」
「昼間は凄かったからな」
フィルディス様は笑って私の隣に腰を下ろした。
今日の昼、私は王都にある大神殿で《聖域》と同じ儀式を繰り返した。
荘厳な鐘の音が響く中、神殿の外に続く大扉が開かれた瞬間――。
「大聖女リーリエ様!」
「ようこそイリスフレーナへ!」
「王女様を救ってくださってありがとう!」
「どうか末永くこの国をお守りください!」
広場にいた人々から大歓声が沸き起こり、待ち構えていたかのように花びらの雨が降った。
母親の腕の中で無邪気に手を叩く子ども、涙を浮かべて手を組む老人、精霊を伴い笑顔を向けてくる商人たち――彼らの顔には私への感謝と敬愛が満ち溢れていた。
予想外の光景に驚きながら、私は笑顔で手を振った。
すると歓声はさらに大きくなり、津波のように私を包み込んだ。
――この国を守らなくてはならない。
使命感にも似た思いが、心の奥底から湧き上がった。
イリスフレーナに生きる人々、精霊たち、大聖樹――全てを守りたいと、強く思った。
「王女を救い、悪魔王を封印したリーリエの功績は広く民衆に知れ渡った。いまやみんながリーリエに夢中だ。人間も、精霊もな」
フィルディス様は私の左手を優しく握り、悪戯っぽく笑った。
「でも、リーリエは誰にも渡さないから」
「はい。たとえこの先何があろうと、この国で私と共に生きてください。私の騎士様」
微笑んでその手を握り返す。
「もちろん。変わらぬ愛と忠誠を誓うよ、我が主」
穏やかな夜風が二人の間を吹き抜ける。
私たちを見守る大勢の精霊たちが、まるで祝福するかのようにきらきらと光を放った。
《END.》




