54:私の選択
「そうだよリーリエ。それに、《黒の森》に送られたからって絶対に死ぬわけじゃない。害虫はしつこいと相場が決まってるからね。しぶとく生きてるかもしれないよ?」
「言い方は酷いが、エミリオの言う通り《黒の森》から脱出して生き延びている可能性はゼロじゃない」
フィルディス様は私の肩を優しく叩いてから、気遣うような瞳でエミリオ様を見た。
「お前は大丈夫なのか?」
「ぼくのことは気にしなくていいよ。あんな奴、父親だと思ったこともない」
「父親?」
ルーク様は首を傾げたが、すぐに察したらしく目を見開いた。
「……エミリオ、君は」
「はい、そうです。意図せず国王のお手付きになった哀れな女官が生んだ子どもです。おかげで最高に幸せな家庭環境でしたとも。最終的には冬の山に置き去りにされましたけどね」
エミリオ様は自嘲めいた、乾いた笑みを浮かべた。
――ああ、やっぱり私の予想は当たっていたのか……。
エミリオ様がどれほど悲惨な境遇で育ったのか、想像するだけで胸が締め付けられる。
置き去りにされた冬の山は、どれほど寒かったのだろう。
どれほど恐ろしく、どれほど心細かったのだろう。
小さな少年が身を震わせながら凍える空の下で孤独と戦う光景を思い浮かべ、目頭が熱くなった。
息をするのも憚られような、重い沈黙が落ちる。
賑やかに騒いでいるのは空気を読まない精霊たちだけだ。
「……なんでリーリエが泣くんだよ。本当にお人よしだよね君たちは」
ハンカチで目元を拭っていると、苦笑じみた声で言われた。
「すみません……泣きたいのはエミリオ様のほうであって、私が泣くのは違いますよね。でも、どうしても止まらなくて……」
涙声で謝りながらも、『君たち』という単語が引っ掛かった。
――もしかして、フィルディス様もエミリオ様の過去の一端を聞いたときに泣いたのかしら?
「いや、別に謝らなくてもいいけどさ。自分のために誰かが泣いてくれるっていうのは、まあ、悪い気はしないしね」
エミリオ様は人差し指で頬を掻いた。
「さっきフィルにも言ったけど、ぼくのことは気にしなくていいんだって、本当に。いまが幸せだから過去のことは心底どうでも良いんだよ。ぼくにとっては終わった話。胸を痛める価値もない。リーリエもそうじゃない?」
「……はい。レニール様のことも、エヴァのことも、生きていてくれれば良いとは思いますが、それだけですね。私は大聖女である前に、ただの一人の女です。私の死を願った人たちを命懸けで救いたいと思うほど、お人よしではありません」
レニール様たちを助けるならばフィルディス様とエミリオ様の協力が必須になる。
でも、その選択は取れない。
だって、私はレニール様たちより二人のほうが遥かに大事なのだ。
私を無情に切り捨てた人たちのために、怪我の一つも負ってほしくない。
だから、レニール様たちが《黒の森》に送られたと知っても、何もしない。
たとえ冷酷だと言われようと、それが私の選択だ。
「それに、フィルディス様と約束したんです。あの人たちのために流す涙のほうがもったいない、記憶から存在ごと抹消すると」
「それで良いと思う。あいつらがどんな憂き目に遭っていようと、リーリエには関係ない話だ」
フィルディス様は微笑んだ。
「はい」
全てを許されたような気がして、私も微笑み返す。
――ああ、きっと、フィルディス様がいれば大丈夫だ。
自分の醜さも弱さも受け止めてくれるフィルディス様がいれば、この先どんな困難も乗り越えていける。
そう思いながら、私はルーク様を見た。
「ルミナスのことは心配ではありますが、私はイリスフレーナで生きていくと決めました。これからはルミナスではなくイリスフレーナのために尽くしたいと思っています」
「その言葉が聞けて嬉しいよ。では、心は決まったと思って良いだろうか」
私を見つめるルーク様の眼差しは柔らかい。
ルーク様もまた、私の選択を受け入れてくれたのだと理解できた。
「はい。大聖樹の守護者という大役、謹んでお受けしますと陛下にお伝えください」




