51:トラブル発生
フィルディス様と談笑しながら辿り着いた広場には大きな泉があった。
精霊たちが子どものリクエストに応えて見事な噴水を作り上げている。
噴水前の広場のベンチは人で埋まり、あちこちで笑い声が弾けていた。
「どこを見ても精霊がいますね」
「ああ。本当にこの国は、精霊と共に暮らすのが当たり前なんだな」
人々と精霊たちが笑い合う姿を見て、フィルディス様は目を細めた。
「ルミナスにいた頃は、こんな景色があるなんて知らなかった。リーリエがまた精霊と話せるようになることを願ってはいたけれど、まさかおれまで精霊が見えるようになるとは思わなかったよ。リーリエと知り合ってからおとぎ話が現実になった」
フィルディス様は広場を抜けて横道へと入った。
この先にあるのは王都で一番大きな雑貨屋だ。
出発前に私が行きたいと言ったことを、ちゃんと覚えていてくれたらしい。
「ふふ。イリスフレーナに来てまだ半月しか経っていませんが、この半月の間に色々ありましたよね。始まりはミラさんたちに馬車を止められたことでした。それからオルゴールに憑いた悪魔を祓って、アンネッタ様をお助けして、悪魔王を封印して……」
指折り数えていると、フィルディス様が笑った。
「軽く言ってるけど、リーリエは歴史的な偉業を成し遂げたんだよな。イリスフレーナに平和をもらした女神さまだ。そういえば、陛下に《大聖樹》――引いては《聖域》の守護者になってほしいと言われたらしいな?」
「はい。でも、正直、迷っています」
煉瓦で舗装された道を歩きながら、私は顔を伏せた。
「《大聖樹》はイリスフレーナを象徴する生命と魔力の源であり、精霊を生む大切な母体です。王国の運命を左右するほどの重大な役割と聞かされては、私でなくてもためらうと思います。私があの楽園の守護者になれるかどうか――きゃ!?」
前方から歩いてきた男性とぶつかって、私はたたらを踏んだ。
「痛っ!」
右胸を押さえて大げさな声を上げたのは、無精ひげを生やした三十歳くらいの男性だった。
襟元が黄ばんで汚れたシャツに穿き古したような脚衣。
お世辞にも清潔感があるとは言い難い男性の顔と腕には大きな刺青が入っていて、凶悪な人相をしていた。
一目で関わってはいけない人種だと悟り、血の気が引いた。
「も、申し訳ございませ――」
「謝る必要はない。ぶつかってきたのはその男だ」
フィルディス様は私の腕を引っ張って下がらせ、背後に私を隠した。
「おいおい、言いがかりは止しなよ兄ちゃん。俺は見てたぞ。俺のダチに頭突きしたのはお嬢ちゃんのほうじゃねえか」
どこからともなく、暴漢の仲間らしき二人の男性が現れた。
発言者の手にはこれ見よがしにナイフが握られており、もう一人の男性の手には金属製のナックルが嵌っている。
「あー、いってえなあ。骨が折れたかもしれねえぞこれは。責任取ってもらわなきゃ困るなあ」
私とぶつかった男性は自分の胸を叩いてみせた。
本当に骨折しているなら触らないと思うのだが、追及したところで無駄だろう。
「綺麗な髪飾りだなあ。そんなもんつけてノコノコ歩いてるってことは、どっかの貴族さまだろ? 家名に傷をつけられたくなきゃ、慰謝料はたんまり弾んでくれよな」
「あんたら、逆らわないほうがいいよ。奴らはベンデルク家の連中だ。逆らったら何をされるかわかったもんじゃない」
私たちの近くにいた老婆が顔を寄せ、小声で忠告してきた。
腰の曲がった老婆は左手で杖をついている。
「大丈夫です。リーリエ、そのご婦人と下がっていてくれ」
「はい……」
「おっと、逃げるんじゃね――」
私を追おうとした男性はその先の言葉を言うことができなかった。
フィルディス様が目にも留まらぬ速さで腹部を殴りつけたからである。
「てめ――」
顔色を変えた二人の男性もまた、最後まで言い終えることはできずに地面に倒れ伏した。
瞬きした後には、いつの間にか剣を抜いたフィルディス様が二人の男性の前に立っていた。
彼の右手に握られた剣に血はついていない。
斬ったのではなく、剣の側面で殴打したのだろう。
「……なんてことを。どんな報復をされるか……」
老婆は青ざめている。
「心配は無用です。おれたちは他国出身で血縁者はいませんし、普段は王宮で暮らしているんです。ベンデルク家がどれほどの組織であろうと手出しできるわけがありません――そこの精霊。リーリエに触れたら斬るぞ」
話し相手の老婆に顔を向けたまま、フィルディス様が急に真面目な調子で言った。




