50:百花祭
窓から差し込む春の朝陽が部屋全体を明るく照らしている。
百花祭当日を迎えた『白の宮』には侍女たちの笑い声が響いていた。
「リーリエ様、こちらの髪飾りはいかがでしょう?」
マーサが差し出したのは蝶を模したサファイアの髪飾り。
下部にはダイヤモンドが連なり、星のように煌いていた。
「とても素敵だと思うけれど……そんな高価なものをつけて城下を歩いては、ならず者に狙われないかしら?」
「大丈夫でしょう。リーリエ様には素敵な騎士様がついているのですから」
「ええ。フィルディス様なら、たとえ暴漢に襲われても返り討ちにしてくださいますよ。むしろ襲った暴漢のほうが心配になりますわ」
「ハルン公爵邸では大活躍されたと聞きましたわよ。十人もの護衛をたった一人で瞬く間に倒されたとか。フィルディス様と共に乗り込んだ騎士隊は出る幕がなく、手柄を奪われたとぼやいていたそうではないですか」
「大切な恋人を傷つけられたのですからね。いくら温厚なフィルディス様でも怒るに決まっていますわ」
「愛ですわね、愛」
はしゃぎながらも、侍女たちはテキパキと手を動かして最後の仕上げに取り掛かる。
ドレスの裾を整え、装飾を確かめると、侍女の一人が笑顔で告げた。
「準備は整いました。ご確認ください」
マーサが抱えて持ってきた姿見には、薄紅色の花模様のドレスを身に纏った自分が映っていた。
派手さよりも動きやすさを重視した軽いドレスだが、光を受けるたびに銀糸の刺繍が輝き、なんとも美しい。
首をひねれば、後頭部には蝶を模した髪飾りがつけられていた。
「相変わらずあなたたちの仕事は完璧ね……文句などつけようがないわ」
ほう、と感嘆の息を吐く。
「お褒めいただき光栄ですわ。行ってらっしゃいませ」
『行ってらっしゃーい』
精霊たちも手を振る。
彼らはフィルディス様と二人きりでデートしたいという要望を聞き入れてくれた。
「ええ。行ってきます」
深呼吸をし、気持ちを整えてから廊下へ向かう。
扉を開けると、腰に剣を下げたフィルディス様が廊下の壁に寄りかかっていた。
祭りにふさわしい装いをしたフィルディス様は私を一目見た瞬間、その顔を綻ばせた。
「今日のテーマは花の妖精だな。よく似合ってるよ、可愛い」
「あ、ありがとうございます……フィルディス様もとても素敵ですよ」
頬が熱を帯びるのを感じながら、私ははにかんだ。
「じゃあ行こうか」
「はい」
当たり前のように差し出された手を嬉しく思いながら、私はその手をしっかりと掴んだ。
イリスフレーナの王都フルーメンは精霊と人間が手を取り合って築き上げた歴史ある街だ。
どの建物の入り口にも精霊を歓迎するための花があり、路地の壁には『精霊文字』と言われる特殊な模様が刻まれている。
整然と立ち並ぶ家々の前にはランプが吊り下がっていた。
陽が落ちると精霊たちが自主的に家々を回り、ランプに光や火を灯して回ってくれるのだと、王都まで私たちを運んでくれた馬車の御者が教えてくれた。
「見てくださいフィルディス様。精霊たちが踊ってますよ」
昼下がり。
高級料理店で昼食を終えた私は上機嫌で通りを歩きながら前方を指さした。
多くの人で賑わう通りの道端では精霊たちが楽しげに踊り、花壇の花を咲かせている。
『あ。大聖女さまだ』
人々に混じってその様子を眺めていると、派手なパフォーマンスをしていた精霊たちが私に気づいた。
『大聖女?』
『本当だー!』
精霊たちがわらわらと集まってくる。
精霊たちの話によると、《聖紋》を宿す者は常人とは異なるオーラを放って見えるらしい。
精霊たちは花に誘われる蝶のように、本能的にその輝きに惹きつけられてしまうそうだ。
「大聖女?」
「本当だわ、額に金色の《聖紋》がある!」
近くにいた女性が私の額を見て仰天している。
「逃げるぞ、リーリエ。このままここにいたら面倒なことになりそうだ」
「はい!」
フィルディス様に手を引かれて走り出す。
そのとき、鼻先に白い花びらが降ってきた。
「なんだ?」
フィルディス様も次々と舞い降りてくる花びらに驚き、走りながら空を見上げた。
「あの子たちが犯人みたいですね」
私たちが揃って見上げた先――青空の彼方では、精霊たちがくすくす笑っていた。
あの子たちだけではなく、たくさんの精霊たちが空を舞い、王都中に花の雨を降らせている。
フィルディス様に手を引かれてしばらく走った後、私たちは屋台の果実水を飲んで休憩し、再び手を繋いで通りを歩いた。
ふと、香ばしい香りに誘われて右手を見る。
通りの角にあったのは一軒のパン屋だった。
開け放たれた窓から見えた厨房では、火の精霊と風の精霊が窯の内外で協力して働く様子が見えた。
左手にある八百屋では水の精霊が野菜を潤し、劣化と乾燥を防いでいる。
土の精霊が農作物を育てる手助けをしているためか、軒先に並ぶ野菜や果物がルミナスで見るそれよりも鮮やかで大きいのが印象的だった。




