47:《聖域》へ
《聖域》へと続く転送魔法陣は慰霊塔の中に在った。
『地』を表す茶色と、『風』を表す緑色の二色で造られた慰霊塔は、《ラグナ・コラプト》により命を落とした二柱の大精霊のためにラザード様が建てたものらしい。
『そうか。ミルヒトーレとアグラカンの死を悼む者は確かにいたのだな……』
イグナはなんとも言えない顔で慰霊塔を眺め、フィルディス様の肩から下りた。
心の整理がつくまでは、かつて暮らしていた《聖域》には行きたくないそうだ。フィルディス様もそれを了承した。
フィルディス様はもう『精霊眼』をかけていない。
おとつい、事件の首謀者であるハルン公爵を自ら捕らえたことで、もう敵を欺く必要はないと判断したのだ。
よって、私たちの中で『精霊眼』をかけているのはエミリオ様だけだった。
「こちらですわ」
アンネッタ様の案内に従ってらせん状に続く石造りの階段を上ると、やがて小さな部屋に着いた。
家具も何もない、ただの殺風景な部屋の床には複雑極まりない転送魔法陣が描かれている。
「へえ、ガストローデンの第七魔法符号か。初めて実物を見たよ」
エミリオ様は屈んで魔法陣を見つめた。
「中心に刻まれた幾何学模様はただの装飾じゃないね。アコルダ理論の応用かな。なるほど、それぞれの線、角度、円で魔力の流れを制御し、安定させてるんだ。となると、この部分が転送先の座標設定か。ねえフィル、外周の三重円に気づいた? 内側の円は魔力の集中、真ん中の円は魔力の変換、外側の円は魔力の拡散を担ってるんだよ。これらが絶妙なバランスを保つことで転送が可能になるんだ。もしこのバランスが崩れれば転送に失敗して異空間に飲み込まれるかもね」
「いや、そういう講釈は良いから。というか、さらっと怖いことを言わないでくれ。異空間って何だよ……」
「大丈夫なんですよね……?」
「え、ええ。毎日宮廷魔導師が点検しておりますので……問題ないはずですわ。参りましょう」
アンネッタ様は少々引き攣った顔で答えた。
勇気を出して転送魔法陣に乗ると、魔法陣から青白い光が立ち上った。
内臓が浮き上がるような、一瞬の浮遊感。
光が収まった後で目を開ければ、私たちは庭園の一角にある東屋に立っていた。
「わあ……!」
私は思わず胸の前で手を組んだ。
『すごーい!!』
『きゃー!!』
私の周りにいた精霊たちも大興奮して歓声を上げ、四方八方に飛んで行く。
まず目についたのは、天を突くほど巨大な樹――大聖樹。
その枝葉は星明かりを宿しているかのように輝き、樹皮からは黄金の光が漏れ出している。
大聖樹から放たれる光の粒子は精霊たちの源。
つまり大聖樹は精霊を生む母体なのだ。
この世のものとは思えないほど神秘的で美しい大聖樹を囲むように広がるのは庭園。
そこは全て精霊たちの遊び場だった。
点在する湖では水の精霊たちが泳ぎ、時折水しぶきを上げて踊っている。
庭園を彩るのは虹色に光る花々や草。どれも見たことのないものばかりだ。
さらに、庭園の空中には小さな島――浮遊島とでもいうべき島がいくつもいくつも浮かんでいた。
風の精霊や光の精霊が島と島を行き来しながら戯れている。
浮遊島のあちこちには小さな泉や滝があり、そこから流れる水は空中で光の粒子に変わり、雨のように降り注ぐ。
風が枝葉を揺らす音、水の流れる音、精霊たちの笑い声。
それらが渾然一体となり、心地良い音楽を奏でていた。
「……なんというか……凄いとしか言いようがないな。まるで異世界に迷い込んだ気分だ」
「死後に善人だけが導かれる楽園――レムリア教会の言う『セレイエの園』って、実はここがモデルじゃない? セレイエの園にも浮遊島があるって聞いたし」
フィルディス様もエミリオ様も感激した様子で辺りを見回している。
「ふふ。そうかもしれませんわね。みなさま、こちらへどうぞ。大聖樹の根元で大精霊さまがお待ちです」
艶めく金色の髪を揺らして、アンネッタ様は東屋の階段を下りていく。
私たちは景色に圧倒されながら足を進めた。
『ようこそ、大聖女さま!』
『お待ちしておりました!』
精霊たちは私たちを温かく歓迎してくれた。
中には舞を披露してくれたり、虹色に輝く光の鱗粉をまき散らしてくれた精霊もいた。
しばらく歩くと、大聖樹の傍に四柱の大精霊がいるのが見えた。
背中に六枚の翼を生やした四人の美男美女が大精霊の根元に立っている。
私たちと対話するためにあえて人型を取っているのであろう彼らの周囲には精霊と無数の光の粒子が漂っていた。
『ようこそ、皆さま。お待ちしておりました。私は水の大精霊アクシスといいます。あなたたちから見て右端から、風の大精霊ウィンディア、地の大精霊ルギス、火の大精霊ロットです』
左端にいる青髪の美女――アクシスが言った。
彼女の声は耳ではなく心に直接響くようだった。
穏やかで優しく、包み込むような温かさを持ったその声を聞いて、アクシスこそが起きろと警告してくれた相手だと確信した。
『まずはお礼を言わせてください。ウィンディアとルギスを呪いから解放してくれてありがとう』
『ありがとうございました』
『ありがとう』
緑の髪を持つ美女ウィンディアと、茶色の髪の美青年ルギスが頭を下げた。
赤い髪を持つ美青年ロットも無言で目礼した。
『そして、ごめんなさい。大精霊として、この者の無礼をお詫びします』
この者――というのは、大精霊たちの前にいる白い精霊のことだ。
これは降伏後の本人の供述によりわかったことだけれど、人間の身体を乗っ取ることができるのはこの白い精霊だけらしい。
だからハルン公爵はこの精霊に目をつけ、私を殺すように唆した。
私の身体を直接乗っ取ることができれば話は早かったのだろう。
でも、神聖力に守られているせいか、聖女の身体を乗っ取ることはできなかった。
イグナが睨みを利かせていたことに加えて、フィルディス様本人の勘が異常に鋭いためフィルディス様には近づけず、そこでエミリオ様の身体を乗っ取ることにしたそうだ。
『すみませんでした』
鳥のような翼を生やした幼い精霊は地面に跪いたまま、深々と頭を下げた。
「………………」
私たち全員の視線がエミリオ様に集中する。
私とフィルディス様は既に精霊を許している。アンネッタ様もそれを知っている。
よって、一番怖いのはエミリオ様の反応だ。
やむを得ない事情があったとはいえ、自分を操った相手を、彼は笑って許すだろうか。




