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46:幼い精霊の懇願

 重い沈黙がサロンに落ち、雨の音だけが流れる。


 ――薔薇園で私たちを見ていたのは、ハルン公爵配下の精霊なのだろうか。


 あのときハルン公爵は私とルーク様を結婚させようとしていた。

 だから、私とフィルディス様が結ばれたのを見て、監視役の精霊が怒った――そう考えるとつじつまが合う。

 人間でなく精霊の視線だったから、フィルディス様は気づけなかったのだ。


 あの視線の持ち主は、マーサの身体を乗っ取った精霊と同じだったのかしら。

 それとも、また違う精霊――複数の精霊が私を見張っているのかしら。

 だったらそれは、どれくらいの数なのだろう……。


 考えると辛くなってきた。

 俯いていると、テーブルの下でフィルディス様が手を握ってくれた。

 その手の温もりが、冷えた心をも温めてくれた。


「……大精霊に呪術がかかっていると知っていたなら、できれば気づいた時点で言ってほしかったが。愚かな祖父の被害者にそれを求めるのは筋違いだろうな」

 ルーク様は沈痛な面持ちで言った。


『ああ。私はお前たちも裏ではハルンに加担しているのではないかと疑っていたからな。だがフィルディスに言われた。ルークもアンネッタもそんな人間ではない、もう一度人を信じてくれと』

「それぼくも言われたなあ。懐かしい」

 エミリオ様が小さく笑い、それを見てルーク様も笑顔を取り戻した。


「……どうやらフィルディスには人たらしに加えて精霊たらしの才能まであるようだな」

「え」

 心外だったらしく、フィルディス様は青い目をぱちくりさせた。


 しかし、私は知っている。

 他国からやってきたフィルディス様の帯剣に反対する大臣が一人もいなかったことを。

 鬱状態にするほど酷いことをしたのに許された精霊たちは、いまやすっかりフィルディス様に夢中であることを。

 フィルディス様の周りに人や精霊が集まるのは、全て彼の人徳によるものだ。 


「イグナ。私を信用し、話してくれたことを感謝する」

「わたくしも。心から感謝いたします、イグナ様」

 ルーク様とアンネッタ様はイグナに頭を下げた。


『ならば、呑気に茶など飲んでないで速やかにハルンの悪事を暴け。過去の悲劇を繰り返すな』

 イグナは喜びも怒りも悲しみもない平坦な口調で言った。


「無論だ。今日中に証拠を掴んで牢屋に入れる」

「国の守護者たる大精霊に呪いをかけるなど言語道断です。己の過ちをたっぷり後悔させてやりましょう、お兄さま」

 ルーク様とアンネッタ様は決然とした表情で立ち上がった。

 直後、突然エミリオ様がぐらりと身体を揺らして椅子から落ちそうになった。


 異変に誰よりも早く反応したのはフィルディス様だった。

 滑り込むように屈んで手を伸ばし、エミリオ様の身体を片手で支える。


「どうしたんだ、しっかりしろ――」

「――だめ。行かせない。みんなここで死ぬの」

 フィルディス様を突き飛ばすようにしてエミリオ様は立ち上がり、虚ろな表情で言った。

 突き飛ばされた衝撃でフィルディス様の『精霊眼』が床に落ち、小さな音を立てる。


「!!」

 アンネッタ様は青ざめ、ルーク様は素早く彼女の前に移動した。

 エミリオ様を睨む金色の瞳には妹を守ろうとする強い意志が宿っている。


「昨日はしっぱいしちゃった。でも次はだいじょうぶ。だってこの人、すごく強い魔法使いだもん」

 フィルディス様が無言で剣を抜いた。その表情は険しい。


「……あなたがマーサに取り憑いて私を殺そうとした精霊ね?」

 エメラルドグリーンの瞳で見つめられ、私は身を強張らせた。

 いつから精霊はエミリオ様に取り憑いていたのだろうか。全く気付かなかった。


「そうだよ。だってそうしないとあのおじさんに大精霊さまが殺されちゃうもん……私、大精霊さまのためならなんだってするって決めた。だからみんなここで殺す……」

 エミリオ様は私に向かって手のひらを向けたものの、それきり動こうとしない。

 数秒が経過しても、手の先に光が灯る気配すらない。


 ――もしかしたらエミリオ様の意識が内側から精霊を抑えているのだろうか?

 そう思ったけれど、次にエミリオ様の口から出た言葉は予想とは全く違うものだった。


「…………。えーと……魔法ってどうやって使うの?」

 あろうことか、エミリオ様――もとい、エミリオ様の身体を乗っ取っている精霊は困ったような顔でフィルディス様に尋ねた。


 時間が、止まる。

 ルーク様とアンネッタ様は毒気を抜かれたような顔をし、フィルディス様は苦笑した。


「おれも知らないし、それはエミリオだけが知るべきことだ。あいつがこれまで積み上げた努力の結晶を気軽に使われて堪るか!」

 言うや否や、フィルディス様は剣の柄でエミリオ様の腹を殴りつけた、らしい。

 動きが早すぎてよくわからなかったが、とにかくエミリオ様は気絶した。


 倒れ込んだエミリオ様を再びフィルディス様が支えた、そのとき。

 昨日と同じように、エミリオ様の身体から何か白いものが飛び出した。


「イグナ!」

『わかっている!!』

 イグナは羽根を広げて飛翔。

 宙を飛ぶ白い精霊に体当たりし、悲鳴を上げて落下した精霊をサロンの床に押さえつけた。


『離して! 離せ!! 大精霊さまが――』

 背中に鳥のような翼を生やした白い精霊は必死に叫びながら暴れている。

 その間に、フィルディス様はエミリオ様をサロンの長椅子に寝かせた。


「安心しろ。大精霊を苦しめる悪いおじさんは私がいまから捕まえる。君が大好きな大精霊も助ける」

 ルーク様が歩み寄り、精霊の目線に合わせるように跪いた。


『……本当?』

 ルーク様を見つめる精霊の瞳には疑念と希望が混在していた。


「ああ。さっき私たちはその話をしてたんだよ」

 ルーク様の声は優しい。

 その理由は、精霊が一目でわかるほど幼いからだろう。


『そうなの? 話がむずかしくてよくわかんなかった……』

「信じてほしい。大精霊は私が必ず取り返すよ」

『……でも、リーリエを殺さないと大精霊さまを堕とすって……』

 白い精霊が私を見た。

 そのとき、フィルディス様が精霊の視線から守るように私の前に立った。


「そんなことはありえない。大丈夫だ」

 頼もしい背中の向こうで、ルーク様の説得は続いている。


『……信じてもいい?』

「ああ。約束するよ」

『……わかった。信じる。殺そうとしてごめんなさい。あやまる。なんでもするから、お願い。大精霊さまを助けて』

 幼い精霊の懇願は、強く私の胸を打った。

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