44:イグナという大精霊
『私は予想がつくがな』
――と。
この場にいる誰よりも低いバリトンが聞こえた。
いつの間にか、私の左肩の上にトカゲの形をした精霊が浮かんでいる。
「あなた、王族が嫌いなのではなかったの?」
私は少なからず驚いた。
トカゲの精霊はルーク様やアンネッタ様の前には絶対に出ようとしなかったのに、どういう心境の変化だろうか。
『そうだ。私は王族が嫌いだ。嫌う元凶となったイリスフレーナの王族には憎悪すら覚えていた』
淡々と言って、トカゲの精霊はテーブルの上に載った。
ルーク様もアンネッタ様も無礼を咎めることはせず、黙って彼を見つめている。
『だが、朝早くから真摯に政務に向き合い、精霊も人も等しく大切にしようとするラザードやルークの姿を見て少々考えが変わった。何よりリーリエが殺されそうになったのだ。これ以上傍観者に徹しているわけにもいくまい。フィルディスとも契約したことだしな』
「えっ? ちょっと待って、契約ってことは……あなたは大精霊だったの!?」
私はこの前のお茶会で、ルーク様に詳しい精霊の成り立ちを聞いた。
精霊たちは始め、光の粒子として誕生する。
光の粒子を自らの中心――《精霊核》として大きくなり、やがて名も無き低級精霊となる。
さらに月日が経つと、低級精霊の中に精霊女王に名を与えられて大精霊へと昇格する者が現れる。
大精霊に昇格する条件は精霊自身にもわからないらしい。
短時間で大精霊になる者もいれば、低級精霊のまま寿命を迎えて消える精霊もいるそうだ。
大精霊は『名持ち』となり、霊体と実体を自分の意思で切り替えることができるようになる。
人間が精霊と契約するための条件は『精霊に真名を教えてもらうこと』。
つまり人間の契約相手となれるのは、自分の名前を知っている大精霊限定なのだ。
『そうだ。お前とは二年以上の付き合いになるが、森によくいる低級精霊に似た見かけに騙されたようだな。その点、エミリオは初見で見抜いたぞ』
「えっ」
「だって、大勢いるリーリエの取り巻き精霊の中で、こいつだけ露骨に知能が高いじゃない。霊体と実体を切り替えることができるなら、低級精霊に擬態するくらい簡単だろうなと思って」
視線を向けた私に、エミリオ様はあっさりと言った。
「ちなみにフィルディスに大精霊と契約を結ぶよう忠告したのもぼく。この国でリーリエの護衛として生きるなら、『精霊眼』がなきゃ精霊が見えないっていうのは致命的な弱点になるでしょう? 知らなかっただろうけど、精霊と契約したら『精霊眼』がなくても精霊が見えるようになるんだよ」
「でも、いまフィルディス様は『精霊眼』をかけておられますが……?」
混乱してフィルディス様を見る。
「ミラさんに頼んでレンズを変えてもらったんだ。つまりこれは伊達眼鏡。最悪、リーリエの傍にいる精霊の中に味方のフリをした敵がまぎれているかもしれないだろう? 油断を誘うために『精霊眼』がなければ見えないふりをしてた」
フィルディス様は眼鏡を摘まんでから、「言わなくてごめん」と付け加えた。
「……いえ、謝る必要はありません。フィルディス様の行動は理にかなっていると思います。敵を欺くには味方から、ともいいますし……」
ただ、次々と判明する新事実に頭がくらくらしているだけだ。
――二年以上も一緒に居たのに、大精霊だと気づかないなんて……。
情けなく思っていると、ルーク様がトカゲの精霊を見つめて問いかけた。
「大精霊ならば名前があるだろう。教えてくれないか」
『イグナ』
無論、それは仮の名前だろう。
精霊にとって真名は命も同然。
よほど信頼した相手以外に真名を明かすことはない。
よくフィルディス様はこの気難しい精霊の信頼を勝ち取り、契約できたものだ。
この精霊は王族が嫌い、というより、人間そのものを嫌っている節があった。




