42:深夜の大騒動
『……て。起きて。起きなさい、早く!!』
誰かの切羽詰まった声が聞こえた――ような気がして、私はハッと目を覚ました。
ここは『白の宮』の三階にある自室だ。
眠る前と変わらず、私は毛布にくるまり、寝台に横たわっている。
カーテンが引かれた部屋は暗く、精霊たちの気配はない。
――では、私を起こしたのは、一体誰?
不思議に思った直後、ねっとりと全身に絡んでくるような粘着性のある視線を感じた。
――ひた、ひた、と。
暗闇に乗じて何かが近づいてくるような気がして、全身に鳥肌が立った。
耳をすませば、わずかに衣擦れの音が聞こえる。
――誰かが部屋にいる!
私はとっさに枕を掴んで上体を起こし、気配がするほうに向かって放り投げた。
「誰です!?」
叫びながら、手探りでそこにあるはずの紙片を探し当てて掴む。
念のため枕の下に、エミリオ様から貰った魔法スクロールを忍ばせておいたのだ。
私が魔法スクロールを掴むのと、『誰か』が私の肩を掴んで寝台に押し倒すのはほとんど同時だった。
激しい揉み合いの中、口を塞がれて叫べなくなる。
首筋に押し当てられた冷たい感触が何を意味するか悟った瞬間、戦慄が全身を駆け巡った。
首筋に痛みを覚えながら、私は無我夢中で魔法スクロールを破った。
凄まじい衝撃波が生まれて、私と『誰か』は同時に吹き飛ばされた。
暗い上に手元を確認する余裕もなかったため、『誰か』だけに魔法を当てるという調整はできなかったのだ。
私の場合は寝台に敷かれた分厚い敷布がそのまま衝撃を和らげるクッションとなってくれた。
一方、私の首筋に刃を突き立てようとした『誰か』は派手に吹き飛んで壁に激突したらしく、ドン、という鈍い音がした。
『誰か』が再び襲い掛かってくる様子はない。
――どうやら結構なダメージを負ったようね。取り押さえるならいましかないわ。
私は痛みを堪えて寝台から下り、急いでカーテンを引き開けた。
窓から入る月明かりで視界を確保し、振り返って絶句する。
壁の前で横向きに倒れているのは覆面を被った怪しい暗殺者などではなく、侍女のマーサだった。
マーサから少し離れたところに細長い短剣が転がっている。
私は慌てて短剣を拾い上げ、両手で握り締めて後ずさった。
そのとき、意識のないマーサの身体からすっと、何か白いものが出て行くのが見えた。
――悪魔、ではない。精霊……かしら?
では、マーサはあの精霊に操られていただけなのだろうか?
「……ください! お待ちくださいと言っているでしょう!! 深夜に許可もなく女性の部屋に入るなど――」
「リーリエの無事を確かめたらすぐに出て行く!!」
部屋の外から騒ぎがすると思ったら、扉が勢いよく開け放たれた。
そこには、トカゲの精霊を引き連れて息を切らしたフィルディス様と、『白の宮』の侍女たちの管理を任されている年老いた侍女長がいた。
他にも数人の騎士や侍女の姿がある。
「こ、これは一体……!?」
倒れたマーサと、彼女の前で短剣を握る私を見て、皆が絶句している。
「ま、まさか、大聖女が侍女を殺害――」
「リーリエがそんなことをするわけないだろう!」
震えながら言った侍女長をフィルディス様が一喝した。
「フィルディス様……」
彼の姿を見た瞬間、緊張の糸が切れた。
私は短剣を放り投げ、泣きながら彼に抱きついた。