30:羽根つきトカゲのような精霊
「そこで、私が提案するのは『多層型循環式結界』です。一体何のことだと思われるでしょう。私が独自考案したものですからね。試しに展開するのでご覧ください」
エミリオ様はチョークを置いて目を閉じ、自分を包む大きな魔法陣を描き出した。
複雑かつ精密に描かれた魔法陣を見て、魔導師たちが息を飲む。
感嘆のため息や声もあちこちから聞こえた。
「この結界は複数の小規模な結界を重ね合わせ、それぞれが相互に力を補完し合います」
エミリオ様はエメラルドの瞳を開けて言った。
彼の周囲では眩い光の線がいくつもいくつも走っている。
「仮に一部が損傷したとしても他の層が即座にその隙間を埋め、全体の防御力を維持できます。単なる多層構造ではありません。この結界は精霊の力だけに頼らず、魔素の循環効率を高める特殊な魔導式を採用しています。精霊たちの負担を軽減しながら結界の持続力と防御性能を大幅に向上させることが可能です」
「エミリオ様」
と、若い魔法使いが手を上げた。
「多層型の結界を運用するとなると、その制御は極めて複雑かつ困難になります。下手をすれば魔導師の脳が焼き切れる危険性がありますが、どう克服するおつもりですか?」
「この結界には『自己調整機構』を取り入れています。各層が互いに魔素の流れを検知し、不均衡が生じた場合には自動的に修正する仕組みです。結界自体が最適化を図るため、魔導師が意識容量を飽和させることはありません。従来の結界と同程度の労力で維持できます」
魔法使いたちは感心しきった様子で頷き合い、立ち上がった。
「見事です!」
「まさに新時代の結界ですね! これならば王宮の守護もより強固になるでしょう!」
「さすがはルミナスの大魔導師様! いやー、勉強になりました!」
拍手喝采を聞きながら、私は静かに扉を閉めた。
……無理だ。
この空気の中で出ていく勇気などあるわけがない。
『エミリオに会いに来たんじゃないの?』
『帰るのー? なんでー?』
無言で引き返す私を見て、精霊たちが声を上げる。
「とても話せる空気じゃないもの。話すのは後にするわ。急がなくても、時間はたっぷりあるのだし――」
『リーリエ。ルークがお前を探しているようだぞ』
廊下の壁から突然、トカゲの形をした精霊が飛び込んできた。
「!!」
精霊は霊体だということはわかっているけれど、いきなり壁を貫通して出現されると心臓に悪い。
「る、ルーク? 誰かしら?」
大騒ぎする胸を押さえ、私は上ずった声で尋ねた。
『忘れたのか。イリスフレーナの王太子だ』
フィルディス様よりも低い声で答えたのは、真っ赤な皮膚と金色の目を持つ羽根の生えたトカゲだ。
羽根つきトカゲとでもいうべきこの精霊は、他の精霊に比べて知能が高い。
ただし本人――本精霊?――はあまり話すのが好きではないらしく、普段は無口だった。
「王太子様のことだったの!? 精霊といえど王太子様を呼び捨てにしては駄目よ、呼ぶならルーク様と呼んでちょうだい――って、ちょっと待って? ルーク様が私を探しておられるの? 何故? 王宮で緊急事態が起きたの?」
『知らん。私に人間の心を読み取る力はない。本人に直接聞け』
言うが早いか、トカゲの精霊は飛び去った。
そういえば、トカゲの精霊は王族がいる前では姿を現さなかった気がする。ルミナスでもイリスフレーナでも。
ひょっとして王族が嫌いなのかしらと思いながら、私は急いで七階分の階段を降りた。




