10:大聖女の奇跡
「――――っ」
現実という名の鉄槌に頭を殴打された。
私は無我夢中で上体を起こし、フィルディス様の胸の上に両手を重ねた。
肘を伸ばしたまま体重をかけ、繰り返し強く圧迫する。
――レムリア様、どうかフィルディス様をお助けください。セレイエの園に導かれるには早すぎます。どうか私の元に彼をお返しください。
必死で圧迫しながら祈っても、フィルディス様は無反応。
――泣く暇があったら動け!! 心肺蘇生は一秒が勝負だ!!
折れそうな自分を叱咤してフィルディス様の鼻をつまむ。
口を大きく開けてフィルディス様の口を覆い、息を吹きかける。
初めて触れたフィルディス様の唇は氷のように冷たかった。
フィルディス様が死ぬなど、一生会えなくなるなど、嫌だ。
絶対に、絶対に嫌だ。
――嫌だ、嫌だ、嫌だ!!
意思が炸裂する。
それは魂のこもった、強烈な『否』の言葉。
額が燃え上がりそうなほど熱くなり、私を中心として凄まじい風が沸き起こった。
「!!?」
この場の誰もが仰天している。
真っ白だった私の髪は銀色に輝き、神秘的な虹色の光を纏い始めた。
――不意に。
『リーリエ、困ってる?』
耳元で、声。
『困ってるみたいだねー』
『困ってるなら、あたしたちが助けてあげようか?』
『うん。みんなで助けてあげよう』
声は一つだけではない。そこかしこから聞こえた。
はっとして顔を上げれば、数えきれないほどの精霊たちが私を取り巻いていた。
頭に花を乗せた人型の精霊、トカゲの姿をした精霊、水の玉のような形の精霊。
黄金の光を纏った精霊たちの姿は多種多様だ。
視界を埋め尽くすほどの黄金の光の中心で、私は目を瞬いた。
一体どこからこんな数の精霊たちが集まってきたのだろう。
まさか、全員ルミナスからついてきたとでもいうのだろうか?
『私もリーリエ好きだから助けるー!』
『そうだね、助けなくっちゃねー』
無数の精霊たちが、異口同音に『助ける』と囁いている。
「…………」
今度こそ涙が溢れたけれど、私は手の甲で目元を拭った。
感動に浸っている余裕はない。
精霊たちとの再会を喜ぶのも、フィルディス様が助かった後で良い。
――ええ、お願い。どうか私を助けて。あなたたちの力を貸して。フィルディス様は私の大切な人なの。絶対に失いたくない人なの。
精霊たちに懇願しながら、私はもう一度フィルディス様の唇を自分の唇で塞ぎ、息を吹き込んだ。
『フィルディス、起きろー!! リーリエが泣いてるぞー!!』
『リーリエを泣かせちゃダメなんだよー』
『そうだ、起きろー!!』
『おっきろー!!』
耳元で鳴り響く『起きろ』の大合唱。
そして。
「――げほっ」
フィルディス様の身体が跳ねた。
「!!!」
私は目を見開き、重ねていた唇を離した。
「フィル!?」
エミリオ様が身を乗り出して名前を呼ぶ。
フィルディス様は苦しそうに咳き込んだ後、私を認識したらしく目を見張った。
「それ……」
フィルディス様は私の額を見て唖然としている。
鏡を見なくてもわかる。私の額には金色の《聖紋》が浮かび上がっている。
しかし、そんなことはどうでも良い。
「身体の調子はどうですか!? 違和感は!? 痛いところはないですか!?」
覆い被さるようにして、フィルディス様の顔を覗き込む。
『ないですかー?』
『かー?』
精霊たちも私の真似をしてフィルディス様に近づき、大勢で取り巻いた。
「い、いや、どこも痛くない」
互いの睫毛が触れそうなほどの超至近距離に、フィルディス様は動揺しきった様子で答えた。
さっきまで真っ白だった顔がほんのり赤い。
「至って元気だ。ほら、この通り」
フィルディス様は手をついて上体を起こした。
左腕の裂傷も、右肩に空いていた穴も、もうどこにもない。
見る限り、完全回復していた。
「すげえ。起きた」
「俺はいま奇跡を見たぞ」
「私も。これが聖女様の力か……」
近くにいた男女の呟きを聞いて、フィルディス様は申し訳なさそうに私を見た。
「……もしかしておれ、死にかけてた?」
「死んでたんだよ馬鹿っ!!」
エミリオ様がフィルディス様の肩をべしっと叩いて怒鳴った。
エメラルドグリーンの瞳には涙が浮かんでいる。
『フィルディス起きたー!!』
『起きたー!!』
精霊たちが飛び回ったり、手と手を取り合って踊ったりと大はしゃぎする中。
私はフィルディス様を力いっぱい抱きしめて号泣した。