アヴァロンで過ごす春休み
総じてひねくれている
これが僕の僕に対する総評だ。
僕の物の見方には決まったパターンがある。
まず大抵、辛かったことや不幸な出来事という理由があるからこう思う、という風に自分の素直になれなさに理由をつける。
楽しそうにしている人やリラックスしている人を見て悲しくなるのは自分が1番そうしたいから。
なのにできない。
できないというよりひねくれている。
悲しみとは諦めから来るもの。
ーー
光が差している。
アスファルトの黒い地面と対照的にみずみずしく冷たい花と木の香りが混ざる空気を感じる。
この時間だけは何も気にせず落ち着いていられるというかけがえのなさに逆に焦る。
リラックスしたいのに気が詰まる。
その事実に気が滅入る。
今はとある春休みの一日。
学年と学年の狭間の、学生ではなく自分としていられる(と僕は都合よく解釈することにしている)唯一の自由時間だ。
僕は毎年この長期休みには何も気にせず、ただ歩きながらこの冷たくてみずみずしい植物と空気を感じ取る時間を過ごすようにしている。
そして今日もそのためだけの時間を取っていた。
ところだった。
なのに
なのにどうして
僕は宙を舞っている。
確かにこの時間が好きみたいなことを考えてはいたけど、物理的に飛ぶほど浮かれてはいない、はず…(恥ずい)。
それになんだか視界が暗い。
宙を舞っていたかと思えば、地面は遥か下でもなく全方位何も見えない。
ついに息の根でも止まったのか。
光が差している
見えないけど一応地面がある。
足をつけばまた少しの力で電線くらいの高さまで浮く。
少しずつ前に進む以外にコントロールはできない。
なんだなんだなんだなんだ…!?
現実と幻想の境が曖昧になっていくこの現象を当時その場にいた僕は説明できるほどに理解ができていない。
人くらいの大きさに見えた光の中には世界が存在していた。
光に向かって進んでいたのに光と僕の間に距離という概念はそんざいしていなかった。
要は進んでいると思い込んでいた。
周囲に同じような光が無数に存在することに気がつく。
選べる、と打算的に思った。
光を選べば世界を選べるのではないか、学校に行かなくても自分らしく生きられる、そんな世界がこのどこかにあるんじゃないか、と。
この巡るましく移り変わる状況でそこだけ冷静に考える自分に呆れながらも僕は色んな光を覗いてみる。
段々と扱いがわかってきた。
望んだとおりとまでは行かないけれど、必要な時に光の方が近づいてくる感じだ。
覗いているうちにすこしわかったことがある。
光は世界を覗き見させてくれる穴のようなもので光の向こうには、元いた世界や恐らく違う世界のものもある。
学年と学年の合間の季節を感じる瞬間に僕は閉じ込められている。
ひねくれ者で春休みに囚われたいと願う僕くんは悠久の物見櫓に囚われてしまいました。
彼は主人公になるのか
それともこの物語をこの塔から眺め続ける傍観者となるのか
僕も知りません。シャワー浴びてきます。