第7話
この世界でも季節の流れは前世と同じで、気持ちの良い春が過ぎればジメジメとした梅雨がきて。
そして季節は夏になった。
「アニエスは今年の夏休暇をどう過ごすんだい?」
仕事がひと段落済んでユーリ殿下と恒例となった休憩のお茶を楽しんでいる時だった。
夏休暇というのは、前世でいうところのお盆休みのようなもの。この時期はかきいれ時で、この一週間はどこもかしこも賑やかになる。
「毎年領地に帰っています。今年は従兄も一緒に行くというので賑やかになりそうで楽しみです」
「……そうか」
家に居候しているハンスも付いてくるらしい。せっかくなら叔父様たちと過ごしたらいいのに、今後のためにも領民と話をしておきたいのだとか。あと甥たちに振り回されるからゆっくりしたいらしい。
「ただあそこは毎年暑くて。私暑さには弱いんですよね」
ここから南の方角にある領地はここよりも暑く、立っているだけでジワジワと汗をかいてしまう。
前世よりもマシな暑さではあるのだけど、淑女は素足を出してはいけないという世界なので夏でも足元まであるスカートを履かなくてはならない。ミニスカートが恋しくなる。
「なら私の別荘に来ないか?」
「え?」
「あそこは避暑地だからここよりもだいぶ涼しい」
「ですが……お邪魔になりませんか?」
普段なにかと忙しい殿下が別荘に行くということは、誰にも邪魔されずにゆっくり過ごしたいということではないのだろうか。
それに王家所有の別荘に私が行っても大丈夫なのだろうか……。
「構わない。話し相手がいた方が楽しいからな。それに――」
殿下は紅茶を一口飲んで私に微笑みかけてくる。
「別荘の管理を任せている男が王宮お抱えシェフよりスイーツの腕がいいんだ」
「お抱えのシェフよりも…!?」
その言葉に無意識に喉を鳴らす。だってお城のお抱えシェフといえば過酷な試練を乗り越え、たくさんの屍を乗り越え認めれた人たちだと聞いている。
その料理を食べた者はもう二度と普通の料理を食べれなくなるという噂まであるのだ。
そんなすごい人たちよりも殿下が認めた人のスイーツ……すごく食べてみたい!だって私はすごく甘いものが好きなのだ!
迷惑ではないのだろうか。でも食べてみたい。二つの気持ちで揺れ動いてのだけど、殿下の「特にチーズケーキが絶品なんだ」の一声で私の中の天秤は完全に傾いた。
◇◇◇
そして出発の日。屋敷の中は大騒ぎになっていた。
「お、お嬢様!王弟殿下がお越しになりました!」
「今行くわ!」
ぱんぱんに詰め込んだトランクを無理やり閉めてバタバタと淑女らしからぬ足取りで階段をバタバタと降りると、エントランスホールにユーリ殿下と父、そしてハンスが立って私を待っていた。
「遅いぞ。殿下をお待たせするな」
「も、申し訳ありません」
「構わない。私が早く来すぎたんだ。では男爵、ご令嬢をお預かりする」
「未熟者でございますので不躾なこともあるかと思いますがどうぞ娘をよろしくお願いいたします。アニエス。失礼のないようにな」
「はい。お父様も道中気をつけて」
父との挨拶を済ませて出ていこうとする殿下の後に続こうとした時、一言も喋らなかったハンスに突然手を取られた。
驚いてハンスに顔を向けると、ユーリ殿下の背中をじっと見ていたハンスは怖い顔をして「……気をつけろよ」とよく分からない忠告をされる。
道中の心配をしてくれているのだろうと思って「ハンスもね」と返して馬車へと急いだ。
馬車に乗り込んで流れる景色を眺めていたのだけれど、緊張のあまり昨夜はなかなか眠りにつくことができなかった。馬車の揺れで眠気を誘われて手で隠して小さく欠伸をする。
「アニエス、隣に座りなさい」
「え!?だ、大丈夫です!」
「良いから」
強く言われてはそれ以上断ることもできず、「し、失礼します……」と殿下の隣に座ると頭に手が添えられて殿下の肩に頭がもたれかかる格好になり、「ひえっ!?」と変な声が出てしまった。
「着くまで時間があるから寝ているといい」
「でで、殿下の肩をお借りするわけには!」
「私の肩では不満か?」
「そんなことは」
「なら寝なさい。私も仮眠するから何かあったら起こしてくれ」
殿下はそう言うと腕を組んで目を瞑ってしまった。昨日までの殿下の忙しさは知っているから起こすわけにもいかず、私は「失礼します」とまた声をかけて肩にもたれかかる。
鍛えられた固い肩はとても寝心地がいいとは言えないけど、なんだか安心感がある。それに、香水なのか殿下の匂いなのか分からないけどすごく良い匂いがして。
気づいたら私は夢の世界へと落ちていた。
「――着いたよアニエス」
「ん……」
肩を揺すられ近くで聞こえてきたイケボに目を覚ますと、今までにないぐらい近い距離に殿下の顔があって驚いて後ろに飛び退くと勢い余って窓ガラスに頭を打ちつけてしまった。
「いたぁ……」
「何をやってるんだ。怪我は」
呆れた声とともに殿下の顔と手がまた近づいてくるので慌てて手を前に出して制する。
「大丈夫です!何ともありません!」
「……何かあればすぐに言いなさい」
「はい……」
私の必死な抵抗に殿下は何とか離れてくれた。耐性のない喪女なので許してください。
殿下のスマートなエスコートで馬車を降りて屋敷に入ると年配の男性が出迎えてくれる。
「お帰りなさいませ、ユーリ殿下」
「あぁ、世話になる。アニエス、こちらはこの屋敷を管理してくれているエリストンだ」
「初めまして。アニエス・マーティンと申します。短い間ですがお世話になります」
「アニエス様、どうぞごゆっくりお寛ぎくださいませ。どうか私のことはじいやとお呼びください」
「えっと……」
殿下に目をやると肩をすくめるので、私はありがたくそう呼ばせていただくことにした。
避暑地は木に囲まれていて、近くには湖もあるらしくてすごく過ごしやすいところだった。同じ木に囲まれた場所なのにうちの領地とかえらい違いだった。
「今日は移動で疲れただろうから探索は明日行こう」と殿下のお言葉に甘えることにして、私たちはユーリ殿下の案内でとある部屋に入る。そこには壁一面の本棚にたくさんの本が入っていて目を輝かせて本棚に近づく。
今回殿下のお誘いに付いてきたのはスイーツだけではない。元々ここは殿下の母方の叔父の持ち家で、この方も殿下と同じぐらいの読書家らしい。
屋敷にいる間は好きなだけ本を読んでいいという甘い言葉に誘われてほいほいと付いてきてしまった。
本棚にあるのはどれも絶版された貴重な本ばかりで否応なしに胸がときめく。一冊手に取ってみるとその重さに頬が緩み、近くにある椅子に座り、本の世界にのめり込んだ。
コン、コン、コン。
「失礼いたします。そろそろ御休憩にされてはいかがですか?」
部屋の外から聞こえてきたノック音と紅茶を持ってきてくれたじいやさんの声にハッと意識を本から戻す。窓から外を見ると、昼に屋敷に着いたはずなのにオレンジ色の光が部屋に注いでいた。
(もうそんな時間……!?そういえば殿下はどこに……)
すっかり忘れていた殿下を探すと少し離れたところにあるソファーに座り眠っている姿があった。近寄って肩を揺すると、殿下はゆっくりと瞼を開けてこちらを見上げてくる。
「殿下、休まれるならベッドで休まれませんと」
「……大丈夫だ。お前を一人にするわけないだろ?」
殿下は腕を伸ばして私の髪に触れて微笑む。寝起きでもかっこいいというのはズルくないか?思わず見惚れてしまいハッと顔を向けるとじいやさんが私たちを見て微笑んでいて居心地が悪い。
二人でソファーに座ってじいやさんが用意してくれた紅茶とチーズケーキを口に運んだ瞬間、あまりの美味しさに驚愕した。ほどよい甘さに濃いチーズの味が美味しくてほっぺが落ちるかと思った。
「すごく美味しいです!」
「それはようございました。チーズは近くの農場から分けていただいたんですよ」
「そうなんですね……!殿下がエリ、じいやさんのスイーツが美味しいと言っていたので楽しみにしていたんです」
「そうでございましたか。殿下にそう褒められたのはとても久しぶりで嬉しゅうございます」
「……そうか?前にも言っただろ」
「前とは殿下が幼少期の頃でしょうか。じいやはもう歳で記憶も朧げにですからもう一度お聞きしたいものです」
「……当分は大丈夫そうだが」
ふいと殿下は顔を逸らしたけど髪から覗く耳は赤く、私たちは顔を見合わせて笑った。
それから夜にはじいやさんお手製の豪華な晩餐で、どれもすごく美味しくてお腹が苦しくなってしまった。お風呂を済ませてベッドに入ると泥のように寝入ってしまった。
◇◇◇
次の日には約束通り殿下の案内で屋敷の近くを案内してもらった。自然豊かでこれがパワースポットってやつだ、と大きく息を吸い込んだ。
湖にいくと釣りを楽しんでいる人もいて、釣れた魚を教えてもらった上にその魚をお裾分けまでしてもらった。
屋敷に戻ると大きなお魚にじいやさんは腕が鳴りますね、とやる気に満ち溢れた顔をして、夕食にはお魚のお造りが出てきて驚いた。
食後のデザートにはお手製プリンが出てきて、また頬が落ちそうになりながら殿下と談笑していると呼び鈴が鳴った。
こんな時間に誰だろうと思っていると王城からの使いの人で、どうしてもユーリ殿下じゃないといけない案件が発生したと呼びにきたらしい。
殿下は頭を抱えてため息を吐いて、明日の早朝戻ると伝えて使者の人は帰っていった。私だけ残るわけにもいかず、一緒に帰ることにした。
「すまないアニエス。せっかく来てくれたのに」
「いいえ。十分楽しめました。ただ、本は全て読めてないのでまたご一緒してもよろしいですか?それとじいやさんのスイーツをコンプリートしたいです!」
「ははっ!もちろん。約束だ」
殿下は思い切り笑って、私の頭を優しく撫でてくる。じいやさんの手前ちょっと恥ずかしかったけど、またここに来てもいいと言われてその日が楽しみになった。