第4話
「ただいま戻りました。こちら団長から預かった書類です」
書庫室に戻り、机で仕事をしている殿下に預かった書類を渡すと殿下は軽く内容を確認して顔を上げる。
「ありがとう。今日はもう帰って大丈夫だ」
「分かりました。明日もよろしくお願いします」
「ああ、よろしく。……あ、ちょっと待ってくれ」
「はい?」
挨拶をして帰宅しようとするも呼び止められて振り返ると、殿下は机の引き出しから綺麗に包装された箱を取り出した。
それには貴族の間で最近流行っている有名なスイーツのお店のロゴが書かれていた。
「これは?」
「アニエスにお使いを頼んでる間に人と会っていたんだ。相手から土産として渡されたんが、私は甘いのが好きではなくてね」
だから貰ってくれないか?と渡された。このお店は貴族を目的としていて全部がお高い。男爵の我が家ではおいそれと手が出せる金額ではなくて。
人生で一度は食べてみたいなと思っていたのだが、まさかこんな形でその願が叶うことになるとは。
私にとっては宝石箱のように思えて目を輝かせていると目の前から小さく笑う声が聞こえて、ゴホンとわざと咳払いする。
「ありがとうございます。ありがたく頂戴いたします」
「ああ。感想聞かせてくれ」
「はい。では失礼いたします」
クッキー缶を宝物のように抱えて書庫室を後にした。閉じるドアから見えた殿下の顔は終始微笑んでいて、なんだか子供っぽくて恥ずかしくなった。
それでも浮かれた足は地面に降りず、その足で迎えにきていた馬車に乗り込んだ。
暫く走ったところにある我が家に着くと侍女が出迎えてくれた。もう父が帰ってきていると聞いて、夕食の時間だから食堂にいるかなとドアを開けると椅子に座るのは父だけではなかった。
入ってきた私に気づいてこちらに顔を向けた人物の顔に目を丸くする。
「ハンス!?」
「お帰りアニエス。お仕事お疲れ様」
そこに座っていたのは、一個上の従兄のハンスだった。その隣にはハンスの父である叔父も座っていた。叔父が来ることは父に前もって聞いてはいたけど、まさかハンスまで来ているとは。
「アニエス」と父に声をかけられて慌てて席に座って挨拶をする。
「お久しぶりです、叔父様」
「本当に久しぶりだねアニエス。綺麗になっていて驚いたよ」
「叔父様は本当に褒め上手なんですから。それにしても、どうしてハンスも?」
「こいつにもそろそろ貴族の仕事を教えさせようと思っていてね。暇していたから連れてきたんだ」
「失礼ですね父上……本当は俺が屋敷に残るはずだったんだけど兄上が領地から戻ってきたから父上に付いてきたんだ。アニエスにも会いたくてね」
「ハンス……私も会いたかったわ」
ハンスの嬉しい言葉に私も素直に気持ちを伝える。
ハンスの父である叔父は、夜会で偶然会った伯爵家の令嬢に一目惚れされ、猛アタックの末結婚した。そしてその息子であるハンスとは仲が良く、休暇のたびに遊びに来て遊んでくれる彼のことを兄のように慕っていた。
一年先に進学したハンスは伯爵家の方針で隣国の学校に留学し、私も学院に入学してからはお互い忙しくて昔みたいになかなか会えなかったから会えたことが嬉しい。
「あ、ハンスも叔父様も甘い物お好きでしたよね。ユーリ殿下にお菓子を頂いたので良ければお召し上がりになりませんか?」
「おぉ。それは私の好きなお店じゃないか。ありがたく頂こう」
「では食事の後に侍女に取り分けてもらいますね」
タイミングよく食事が運ばれ、私たちはお互いの近況話で盛り上がった。
晩餐と入浴を終え、ハンスを部屋に招き入れて一緒にクッキーを食べる。それは今まで食べてきたクッキーよりもバターの風味が濃厚ですごく美味しい。値段以上の美味しさだ。殿下にお礼を言わねば。
「そうだ。暫くここにお世話になるからよろしく」
「そうなの?」
「あぁ。俺もそろそろ伯父上の仕事覚えなきゃいけないからさ」
マーティン男爵家には私しか子供がいない。母は私が小さい頃に病気で亡くなり、母を愛していた父は後妻を取らなかったためこの家には跡取りがいないのだ。
男爵家を存続させるには養子を取るしかない、そんな話になった時に名前が上がったのがハンスだった。次男ではあるハンスは伯爵家を継げないが優秀な男である。
ハンスに打診してみると彼はその話を二つ返事で引き受けた。
そして彼は二年前に学院を卒業して家に戻ってきてからは当主としての勉強を叩き込まれているらしい。せっかく学校を卒業しても勉強三昧でうんざりしているのだと肩を落とす彼に、申し訳ないけど笑ってしまった。
「なんだか賑やかになりそう。賑やかといえば、お兄様の子供たちは元気?」
「元気元気。毎回振り回されてるよ。子供は好きだから楽しいけど容赦ないんだ、あいつら」
数年前に結婚したハンスの兄には子供が二人いる。どちらも男の子なのだがとてもヤンチャで、親戚の集まりで何回か会ったことがあるのだが振り回されてベッドから起き上がれなかった。
「ふふ。そういえばハンスって婚約者いないわよね?相手見つけないの?」
伯爵家ならそれなりに縁談だって来そうなものなのに。聞くとハンスは眉を下げて笑い、手に持っていったクッキーを口の中に運んだ。
「んー、その予定はないかなぁ。それに相手がいたらお前が居づらくなるだろ?」
それは同じく婚約者のいない私への配慮。結婚しなければ男爵家に居着くことになるので、ハンスのお嫁さんにも気を遣われる可能性が出てくる。
王都で働いているから領地の戻ることができない。でもそれでハンスが結婚しないというのはおかしい。屋根裏部屋にでも住まわせてくれればいいのだけど。
「私は気にしなくていいのに」
「……それかお前が俺の嫁さんになるか?」
ハンスの言葉の目を瞬かせる。私がハンスと結婚?
確かに他に嫁ぐ気のない私がハンスと結婚すれば小姑問題は解決するし、気心がしれてるハンスが旦那様になったら毎日が楽しそう。そんな未来に自然と頬が緩んだ。
「それも良いわね」
「だろ?」
冗談に冗談で返すとハンスも笑う。お互いに笑い合って美味しいクッキーを食べて、楽しい夜はふけていった。
こちらを見ているハンスの視線の意味には気づかずに……。