第16話
気づけば暦は最後の月になっていて、もう少しで今年が終わろうとしていた。
この日もユーリ殿下からお使いを頼まれ、休憩がてら城下を見渡せる広場で塀にもたれかかり、息を吐くと白い息が漏れてそれはすぐに消えていく。
大事な二人の告白を断って数週間が経った。あれから二人とは会っていない。
ダヴィは見習いが外れて騎士として経験を積むために常に遠征に出ている。ハンスも予定を切り上げて伯爵家に戻っていった。
これで良かったのだ。そう思ってもなかなか切り替えられずにいた。
今まで大事に築いてきた関係が一瞬で崩れてしまった。気を抜いたら泣いてしまいそうで、こうやって人目につかない場所で気持ちを落ち着かせている。
誰にもこんな情けない姿を見せたくない。そう思っていたのに。
「アニエス」
後ろから呼ぶ聞き慣れた声にビクリと肩を振るわせ、ゆっくりと振り返るとそこにはやはりユーリ殿下が立っていた。
なんでここに。私の心の問いかけなど聞こえるはずもなく、殿下は私の隣に立って同じように城下を眺め始めた。
書庫室を出る前に見た書類のタワーに、こんなところで油を売っている暇などないはずなのに。
「……こんなところでサボってていいんですか」
「それ、同じ言葉を送るよ」
ぐうの音も出ない。二人で暫く景色を眺めていたのだが冬の冷たい風が体を吹き抜ける。そろそろ戻ろうと殿下に声をかけようと思った時、肩に上着をかけられた。
「殿下の体が冷えてしまいます」
「大丈夫だからもう少しこうしていよう」
自分の上着をかけてくれた殿下は優しく微笑んでまた城下を眺める。同じように顔を戻した私の目の前には広大で綺麗な景色が広がっている。
この世界からしたら自分の悩みなんてちっぽけに思えてしまう。なんとなく殿下がここにいる理由も察して、私は自分の気持ちを吐き出すことにした。
「……好きな気持ちを断るってこんなにも辛いんですね。初めて知りました」
私の言葉に殿下は何も言わなかったがどこにも行こうともしないので、そのまま続けることにした。
「二人とも真っ直ぐに伝えてくれたのに、私はそれに向き合えなかった。それは本当ならあるはずのない感情だから。私のせいで私のことを好きになってしまったから……」
そう。本来なら彼らが私のことを好きになることなんてなかったのだ。
私がヒロインとして正しい道を歩まなかったせいで歪みが生じた。バグのせいで二人は、いやこの人も私のことを……。
詳しくは話せなくて言葉に詰まらせると、今度は殿下が口を開いた。
「実はね、私がアニエスを初めて見たのは城じゃないんだ」
「え?」
「学院の司書が私の昔馴染みなことは知っているよね。そいつから私の部下にどうかって紹介されたんだ。公務もあって書庫室の管理に手が回らないことをアイツは知っていたし、友人の紹介なら変なやつではないだろうと。ただ昔から女性関係は色々面倒ごとがあったから、どんな人か見ておこうと学院に行ったことがあったんだ」
「そうだったんですか……」
知らなかった。司書の先生も教えてくれなかったし、たぶん素の私を見るためだったのだろう。
女性関係というのは恐らく王族に付き纏うもの。王族と関わりを持とうと近づいてくる貴族は大勢いる。
「で、こっそり君のことを観察してみたら、誰とも関わろうとしない。特に特定の男を避けているように見えた。クリスとかね」
「…………」
殿下には見抜かれていたらしい。あの頃は平穏に過ごすために、フラグが立たないように同性の友達や対象外のダヴィとばかり過ごしていた。そのお陰で今のバグ現象が起きてしまっているのだけれど。
「クリスを避けてるから王族とは関わりたくないのかなと思ってね。この子なら大丈夫そうだと思った君を受け入れることにしたんだ。だが初日に君の印象が百八十度入れ替わって驚いた」
「……そんなにですか?」
「ああ。目をキラキラ輝かせて興味津々って顔をして。本当に大人しかったあの子なのかと自分の目を疑ったよ」
喉の奥で楽しそうに笑う殿下に居心地が悪くなる。あの頃はゲームから解放された上に、好きな本に囲まれて過ごせることに人生で一番テンションが上がっていて浮かれていた自覚がある。
「で、念のためにアニエスのことを試したんだ」
「試す?」
「私のこと名前で呼んでくれて構わないってね」
ああ、確かに最初の頃にそんなことを言われた気がする。まさかあれが試されていたとは思いもしなかった。
「もしそれで特別扱いをされたと距離を詰めてくるようなら君の採用の取り消すつもりだったんだ」
「ええ!?」
衝撃の事実に思わず大きな声が出てしまった。だってそんな崖っぷちに立たされていたなんで、浮かれていた頃の自分が知ったら立ち直れないだろう。
王族の高度な心理戦に恐怖を覚えていると、殿下が私の頭を優しく撫でた。
「君はそんなことしないだろう? 断るどころか烏滸がましいとか言ってね。ああ、この子は私に全く興味がないんだなと新鮮な気持ちになって君に興味が出てきた」
そこでようやく殿下がこの話を始めた意図が分かり、私は大人しく耳を傾ける。
「表舞台には立とうとしない令嬢らしからぬ行動、好きなものに対しては口が止まらないところ、王族であろうと私に真っ直ぐ接してくれるところ。贈った物を大事に毎日付けてくれるところ。どんどん私の中の君への愛情が大きくなっていったよ」
ユーリ殿下がこちらに体を向けてくるのが分かり、私も殿下の方に体を向いて私たちはじっと見つめ合う。
「アニエス。私は君のことを愛している」
私たちの間に冷たい風が吹き抜ける。ダヴィとハンスの時はすぐに返事ができたのに言葉が詰まる。
言葉に迷っていると、目の前に大きな手が翳された。
「悪いけどまだ返事はしないでくれ」
「……え?」
「もう少し考えてみてくれないか? これでも私の初めての告白なんだ」
殿下は頬を染めて照れくさそうに笑うので私はぎこちなく頷くと殿下は「ありがとう」とお礼を言った。
「私……別にこれして特別なことをしたことがないのに……」
「それが良いんだよ。私みたいに無条件で相手が近寄ってくる奴からすると、自分に興味がない人を見ると逆に興味が湧いてくる」
「……そういうものですか」
「そういうものだよ」
私には難しい話だ。恋とは自分が考える以上に複雑なものなのかもしれない。
「そういえば、君の従兄と後輩の騎士くんに会ったよ」
「ハンスと、ダヴィにですか……?」
久しぶりに聞く彼らの名前に否応なしに反応すると、殿下は頷いた。
「会った日はバラバラだったんだが、彼らに呼び出されたんだ。アニエスのことを頼んだって。最初は意味が意味が分からなかったが、ようやく分かったよ。本当、お前は愛されてるね。もちろん私も負けないが」
「…………」
こちらに向けてくる殿下の視線が気恥ずかしくて俯いてしまう。なんでこの人はこんなにも真っ直ぐに想いを伝えてきてくれるのだろうか。
なんて言っていいのか分からずにいると、目の前に手が差し出される。
「そろそろ帰ろう。風邪をひいてしまったら二人にも心配をかけてしまうよ」
「……はい」
私がその手を取ると殿下は手を引いて歩き出す。
肩にかかる上着を落とさないように空いている手で握りしめると、殿下の愛用している香水の匂いが香ってきた。
目の前を歩く大きな背からは安心感とともに胸の鼓動を速くさせて、冷えた頬に熱が集まるのを感じた。