第12話
バグルートが発生していることに気づいたあの日から私は三人と極力関わらないようにしていた。
ユーリ殿下のあの夜の言葉も、ダヴィの噂も、ハンスの告白も。
本来なら発生することのなかった彼らの感情が私のせいでおかしくなってしまった。
その罪悪感が私の心を蝕んでいた。
◇◇◇
今日もできることなら行きたくなかった。でも約束をしてしまったからには行かなきゃいけなくて。
私は重々しくため息を吐いて決勝戦が行われる会場に向かった。
騎士団の決勝戦は毎年人気らしく、発売が始まると即完売だったらしい。ダヴィが送ってくれたこのチケットがなければ入れなかっただろう。
招待客専用の席に座ると会場の熱気がすごかった。それだけこの試合の期待度が高いのだろう。
……ダヴィはちゃんと落ち着けているだろうか。学院の親善試合の時は緊張からずっと部屋の中でグルグル歩き回っていたけれど。
今も動き回ってそうで小さく笑っていると、鐘の音が会場内に響く。
その音に一気に会場の歓声が上がり、現れた三人がステージの上に現れる。一人は審判。両サイドから現れたのはダヴィと対戦相手の騎士だ。
周りの人の話を聞いていると、どうやら対戦相手は前騎士団長の息子で小さい頃から英才教育を受けていて公式試合で何度も優勝している実力者らしく、入団試験では次席に圧倒的な差をつけて入団しているらしい。
これは息子が優勝だろうと笑い合う人たちの言葉に、私はぎゅっと手を握る。
――大丈夫。ダヴィが誰よりも頑張ってきたのは私が一番知っている。
審判の「それでは試合開始!」の声とともに二人が剣をぶつけあう。圧倒的だと思われていたが引けも取らない攻防に皆が息を呑んだのが分かった。
(頑張れ、頑張れダヴィ……!)
試合が始まって二十分は経過した。お互いに引かない戦いはなかなか決着がつかず、二人が疲弊しているのが遠くからでも分かる。
あの息子がただの騎士にここまで押されるなど誰が考えられただろうか。
最初の熱気はどこへやら。静まり返った会場からは二人の息遣いだけが聞こえてくるようだった。
相手が足を踏み出した瞬間、ガクッと膝をついた。その隙を見逃さなかったダヴィはどこにそんな力があったのかというように一気に相手の懐に入り、剣を振り降ろす。
キィーンと金属音が響き、剣が地面に突き刺さる。
一体何が起きたのだろうか。ダヴィの手にあったはずの剣がなくなっていたのだ。
そしてダヴィの喉元に突きつけられている剣。
誰もが息を呑んでいる中、ダヴィの「……参った」の声に一気に会場に歓声が沸き起こった。
皆が立ち上がりお祭り騒ぎで称賛を起こる中、私だけは立ち上がることができずに控え室に戻っていくダヴィの姿を見続けた。
表彰式が終わり観客が帰ったタイミングで私も会場をあとにして、ある場所へと向かう。
あのあとダヴィの控え室に行くと中から知らない騎士が出てきて、ダヴィはもう帰ったと言われた。
行き先は知らないと言われ、どこに行ったのだろうかと彼が行きそうな場所を考えたとき、彼が前に話してくれた場所を思い出したのだ。
城下町から少し離れた場所にある丘には一本の大きな生えている。私はその木の根元に立って上を見上げる。
「ダヴィ」
そう声をかけると上から葉が擦れる音とともに人影が落ちてきた。立ち上がって気まずそうに彼は笑う。
「やっぱりここにいた」
「……よく分かりましたね」
「前に訓練で辛いことがあったらこの木に登って、街が一望できるこの景色に勇気づけてもらってるって言ってたでしょ」
「覚えててくれたんですね……あんな他愛のない会話だったのに」
ダヴィはぎこちないに笑みを作るので私の胸が痛む。彼は私に顔が見えないように背を向けて、無理に明るい声で喋り出す。
「あーあ! 良いところまで行ったんだけどなー。やっぱあいつには勝てないみたいです。でもさっき上層部の人たちが控え室に来て、俺の戦い見て隊長候補に入れてくれるって言ってくれたんですよ。嬉しくてしょうがなくてちょっとウルッてきちゃってー」
痩せ我慢なのが分かるぐらい早口で喋る彼に何と言っていいのか分からずにいると、ダヴィは崩れ落ちるように背を向けてしゃがみ込んだ。
「……せっかく先輩が来てくれたのに俺格好悪いなー」
頭を抱えて吐き出された言葉に、私は彼を後ろから思い切り抱きしめた。ビクッと彼の背中が跳ねたが気にせず私は口を開く。
「格好悪くない。誰よりもカッコ良かった。ずっとダヴィのこと見てきたんだよ。騎士になりたいんだって照れくさそうに教えてくれた時のこと、騎士団の入団試験に受かって私に会いにきてくれた時のこと、私はずっと覚えてる。入団してからも人一倍練習してたことも知ってる。強い相手にも立ち向かって誰よりも頑張ったダヴィット・フィールドのことを馬鹿にするのは例えダヴィでも許さない」
「…………」
静かに私の話を聞いていたダヴィの背中が震えていることに気づいた。
「……本当は悔しかった」
「うん」
「すごくすごく悔しかった。勝てると思った」
「うん」
「先輩に優勝したところ見せたかった」
「うん」
「優勝して、先輩に好きだって堂々と言いたかった」
抱き合う私たちの体を冷たい風が吹き抜けていく。何も言わない私にダヴィから苦笑いが聞こえた。
「……気づいてましたよね。ここ最近避けられてる感じだったし。仲間に優勝したら告白するんだーって言いふらしてたし」
「…………うん」
「ははっ、…………」
また私たちの間に静粛が訪れる。聞こえるのは風で揺れる葉の擦れる音、そしてお互いの呼吸音だけ。
「ダヴィット」
「……はい」
「…………ごめんね」
その言葉に、抱きしめているダヴィの体から力が抜けたのが分かった。ダヴィは腕の中から逃げ出そうとせず、私の話を聞いてくれる。
「私はダヴィの気持ちを受け入れることはできない」
「…………」
「そしてここからは私の我儘。これからも変わらず一緒にいてほしい。あなたは私の大事な友人だから」
「…………はー、先輩はずるいなぁ。それ、振った相手に言います?」
ダヴィは呆れたように手で顔を覆って笑った。
――うん。私はずるい女なの。一人になりたくなくて傷ついたあなたを捕まえるひどい女。
ふと抱きしめる手に熱い手がそっと触れて、私は彼から腕を離す。
「俺、暫くここにいるので」
「……うん」
私は立ち上がって彼を残して丘を下ろうとした時、後ろから「先輩」と呼ばれて振り返る。ダヴィはまだ私に背を向けて座っていた。
「好きです。大好きです。……勿論友人として!」
「……うん。私もダヴィのことが大好きだよ。勿論友人として!」
ダヴィの告白の同じように返すとダヴィは「ははっ!」と大きく笑った。それがいつもの彼の、私の好きな笑い声で。
私は涙で彼の背中がにじめ始めて、強く目を拭って一人丘を降りた。