第1話 能登兄妹の日常会話? ~現実世界編~
「ここはバイオハザードなんていう非日常とは無縁の平穏な日本。
そんな鳩を愛でる習慣がある平穏な国に、長女を可愛がって長男を大事にしない能登一家が、古くて汚い賃貸マンションの一階に住んでいました。
長男の能登譲は、LED豆電球一つの狭くて暗い四畳の部屋に。
長女の能登穂乃香は、シャンデリアのある広くて明るい十二畳の部屋に。
……さて、この差は一体なんでしょうか?
――いや、あんさ、こっちが聞きたいっての……このバカゆず兄!」
クシャクシャ……ポイッ、とすっかり丸められた原稿用紙は、ソファからリビングのゴミ箱付近の床に落ちた。
「ア、俺がせっかく書いた原稿用紙になんてことをしやがる……この生意気穂乃香たんめ!」
ソファに座る俺は頭を抱え、隣で怒鳴ってきたチビな妹の穂乃香に怒鳴り返してやった。
中学二年生にしては大人びた容姿の黒髪ショートヘアの穂乃香は目をむいたまま、頬を引きつらせた。
「うっわ……実の兄が妹にたん付けするとか、マジない、きっも」
「し、しまった。俺としたことが、昨日読んだ至高のセクシーな漫画に出てくる幼馴染のほのかたんと間違えてしまったぞ……?」
「ぎゃああああああ! まさかの同名、許すまじ」
「一生の不覚!」
「そのままテクノブレイクして、一生を終えろっ」
はあはあ、ぜえぜえ……。
「ストップ……ちょっと息切れ」
「オーケー。なんなら、俺も息切れだ」
俺と穂乃香は呼吸を落ち着かせるため、二人して呼吸に集中する。
今は八月上旬、季節は夏。
学生なら、今は夏休みに入って落ち着いた頃合いだろう。
そんな夏の昼過ぎ――ここ、賃貸マンション一階の十畳リビングでは、貧乏な我が家が取りつけたエアコンはなんとも無力で、ひたすらに涼しさを感じなく、一言でいえば、マジ暑かった。
呼吸するのもしんどいとは、まさにこのことを言う。
はあはあ……。
はあ……。
「よし、俺のほうは大丈夫だ」
「ちょっと待って……うん、アタシも大丈夫になった」
めでたしめでたし。
「……いや、じゃ・な・く・て!」
穂乃香は先ほど床にポイ捨てしたクシャクシャの原稿用紙を、ビシッと指差した。
「……で? なんでまた、アタシにこんなアタオカな内容のブサイクな原稿用紙を見せよう、だなんて思いついたのよ。アタオカな内容で同情を引こうとしたんだったら、マジあんた〇す」
「えっ、この俺に何するって? とまあ、それはともかく……面目ない。ただ単にだな、俺は物語が書きたかったんだ」
「物語ぃ? 書きたかったぁ?」
胡散臭そうに俺を見てくる穂乃香に、俺は言ってやった。
「ああ、そうさ。……こんな無職で底辺な友達のいない俺でも、ブラゲ―『日影血戦』のような壮大なストーリーを書けるのかも、と思ったらさ、いてもたってもいられなくなってな」
「ふーん……まあ、伸びしろがないのは確かだけど、アタオカのセンスならあったよね、ほんと。うんまあ、どうか人には迷惑かけないでね」
最後らへんはわざとらしい笑顔で言うと、穂乃香はソファから立つ。
その穂乃香を、無理にでも座らせる俺。
「……なんですか? 乱暴はおやめください、通報しますよ」
「なぜでしょうか……? 変な言い方をするのはやめてください、ソファに座らせただけですよ。そもそも俺の話はまだ終わってない」
舌打ちをした穂乃香はスマホを取り出すと、SNSの画面をスクローズしながら「てかさ、聞きたいことがあるんだけど」と俺に質問してきた。
「さっきの原稿用紙には『シャンデリアのある広くて明るい十二畳の部屋』って書いてあったと思うんだけど……それって一体、誰の部屋なんよ」
「お前の部屋だろ、常考」
パコン、と俺は穂乃香から容赦なく頭を叩かれる。
「暴力はおやめください……今すぐにでも泣きますよ」
「むしろこっちが泣きたいくらいよ、ねえ!? おどれはアタシの部屋に何度も忍びこんでるくせして、どういう部屋かも理解できないような脳みそ空っぽ人間か、おい? それともアタオカ選手権チャンピオンか、なあ? まさか脳内お花畑だったりするの、ねえ?」
「いや、だって……お前の部屋、LED豆電球一つの暗くて狭い俺の部屋に比べれば、まさに天国じゃんかよ」
グイッ、と俺は穂乃香に胸ぐらをつかまれる。
「これはまさか……妹による家庭内暴力、まさか反抗期か?」
「おんどれ……今すぐにアタシの部屋、見てこい、な!? シャンデリアはないし、十二畳もない六畳の部屋だし……それに、な……? そんなゴミ部屋で汚くて臭いアタシの部屋、踏み入ってこい、な……? そして生還しろ、な……? そんでもって、どこが天国だったのか、このアタシを納得させろ、な……? いい、な……?」
「ヒエッ……おっしゃるとおり、あそこは地獄です。反論なんて、あるはずがありません。きっとあそこは、手前のような天国に住まう者には一生縁のない部屋であり、二度と忍びこもう、などとは思いませんよ」
「……でしょうね」
穂乃香は胸ぐらからパッと手を離し、何事もなかったかのようにスマホでSNSをスクローズ、タップ、スクローズ……。
おっかない妹だ、今は話しかけるのはよそう。
俺はソファから立ち上がると、足音を立てないようにリビングから自分の部屋――LED豆電球一つしか電気がない狭くて暗い四畳の部屋に引っこんだ。
暗い部屋の中、俺は窓から入ってくる光を頼りに、汗臭い布団に座り、まずは床に置かれた小型の扇風機に当たることにする。
「涼しい、とは言い難いな。不合格」
などと不満を言いながら、俺は布団の前に置かれた折り畳みのローテーブルに向き直り、愛機のノートパソコンをスリープから立ち上げた。
机の上にあるブルートゥースマウスを使い、画面を操作していき、デスクトップにあるブラウザゲームのショートカットアイコンをダブルクリック。
そしたら、ほら――今日の朝、サービス開始したばかりの放置系チャット型ゾンビブラウザゲーム「日影血戦」が立ち上がるんだ。
ゲーム内オープニングムービが終わると、画面には醜悪なゾンビと立ち向かう二次元のキャラクターたちがいて、それを画面越しで見た俺は、言葉にしたら泣いてしまうようなある種の感動を覚えた。
少しゲーム画面を操作すると、サーバー選択画面にたどり着く。
俺は第1サーバー――「日影地区」を選択。
今度はログイン前のアカウント選択画面になった。
ちなみに現在サーバーは10サーバーあって、同じサーバーでのアカウントは三つ作れるが、今のところサブアカウントは要らなかった。
俺はアカウント選択画面にて、現在のアカウントアイコンである「日影血戦」主人公、安室令奈のアイコンをクリック――する前に、独り言をつぶやいた。
「……そうさ、俺の名前は能登譲じゃない。――救世主ゆず様、それが俺の名だ」
気分よく独り言を言い終えると、俺は救世主ゆず様のアカウントを選択し、「日影血戦」の第1サーバー――「日影地区」にログインした。