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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

坑道のカナリア

作者: ノブオカ

一、


……本件において請負人が当該職務に就いたことが、なんら国家権力に基づく強制を伴うものではなく、あくまで請負人それ自身の意思に基づいて行われたことを鑑みるに、生命の量的勾配を吟味することが信義則上看過され得ないこと以上に、その意思は尊重されなければならないと鑑別することもできる。

ましてや当局は請負人を当該職務に就かせるにあたって、意思確認を複数回にわたり実施したと主張するのであって、正式な手続きを入念に踏襲せしめた以上は、請負人の意思が尊重されるにつきさしあたって違法性はないようにも思われる。

しかしながら、生存権が基本的人権の根底をならしめる重要な権利であることは自明の理であって、それがあらゆる人間に遍く認められる権利であることも改めて確認しなければならない。翻って、一人の私人と全世界に依拠する市民との生命を比較衡量することはそれ自体が多大なる疑義をもたらす以上重大な禁忌であり、かつ法の判断するところではないことも改めて確認しておかなければならない……


(最高裁大法廷判例から抜粋)




二、


「うっす。うーっす」

ひょいひょいと手刀を振りかざしながらのチャラいご登場にもいい加減慣れてきたというものだ。ましてやこの百年、同様のことが繰り返されていればなおさらのことだ。

向日葵色めいた髪をした少女が身にまとう一つながりの衣類は〝ツナギ〟と呼ばれる前世紀の衣類らしい。なんでも前世紀半ばごろまでは、工具を扱い機械類をメンテナンスする部類の人間はこぞって〝ツナギ〟こと作業服を着込んでいたのだそうだ。「らしい」と伝聞調であるのは当の少女、……失礼、私の上官であられる玲於奈様からのご教授によって知ったからである。聞いた当時オンラインライブラリにあたったところ、事実である証拠史料が次々に見つかったため玲於奈様の仰ったことは事実なのだと理解している。

時折嘘とも冗談ともつかない軽口をたたくことが常態化していた玲於奈様のため、ムダに疑ってかかってしまった。

「汚れたツナギは機械エンジニアの誇り」であるらしい。もっとも玲於奈様が就かれた当職は油汚れの発生する仕事ではない。当職はいわば「インフラエンジニア」(当該私信を閲覧しているあなたの時代を考証して言葉を選んでいる)であり、サーバとネットワークの整備・保守がメインの仕事だからだ。ただ玲於奈様のアイデンティティが、前職である機械エンジニアにあるというだけの話だ。

そんなわけで玲於奈様はポリエステルだの綿だので構成された、旧態依然とした〝作業服〟を着込むことを好む。いくら勧めてもスマートウェアを身に着けようとしない。「服に健康管理された上、勝手に能力を高めるとかキモイ」らしい。さっぱりわからない。前世紀の人間の考えることは、私の理解の範疇を超えている。


申し遅れました。私はValiantと申します。

はい。読みは〝ヴァリアント〟で合っています。

そうです。お察しのとおり旧EU圏出身の人間です。

はい。私に心中を読み透かされたと驚くあなたの反応までデータにより予見済みです。

そうですね。AI自動翻訳により、自動的にあなたの母語に変換されています。

そういえば玲於奈様はあなたの所属国、日本の岡山市出身であられるとのことです。時折方言が飛び出すのはそのためだそうです。方言は翻訳チューニングがバグるのでお止めいただきたいのですが、「つい出るんやって。勘弁してよ」とのことらしいです。

……あ、玲於奈様がお呼びですのでいったん離席します。ここまでお読みいただきありがとうございました。私があなたに私信をこうして送信している理由は、また後ほど説明します。


「お呼びでございますか」

「うん、呼んだ呼んだ。なあなあヴァリアントさん、」

屈みこんでいた玲於奈様は、肩越しに振り返ると私に問いかけた。

「このケーブル、交換したほうがいいかなあ?」

「はあ……」

「この位置でサーバに繋いだんはまずったわ。私ときどき踏んでもうたもんなぁ」

「必要でしたら、資材部に替えのケーブルを用意させます」

「いやそういうことじゃなくてやなぁ、」

玲於奈様はすっくと立ち、見上げるようにして私を真っすぐに見てくる。

「あなたの〝眼のよさ〟を確認したいんよ。どうなん?」

きらきらと輝く翡翠色の眸と好奇心に満ちた表情は、玲於奈様をいっそう幼く見せる。

〝眼のよさ〟というのは玲於奈様特有のレトリックだ。つまりこのケーブルが今後の使用に耐えうるかどうかを判別できる、審議眼の有無を私に問うているのだ。

この百年で玲於奈様、もとい前世紀の人間が使用する言い回しにもだいぶ慣れてきた。

「……私には申し上げかねます。秘書官である私から玲於奈様の職務に提言をすることは局からも禁止されておりますので」

「かたいこと言わんでやぁ~、大丈夫よ、もう私の中で結論は出とるけん。ヴァリアントさんの返答によってそれは揺るがん。ヴァリアントさんの眼のよさを確認したいだけなんやって~、頼むわあ~」

「しかし……」

「そこをなんとか~! 責任持つからあ~!」

玲於奈様の執拗なケーブルコールにいい加減辟易してきた私は、ようやくのことで口を開いた。

「そうですね……経年劣化も進んでいるようですし、交換されたほうがよろしいかと。重要なネットワークですので、事故は防止するに越したことはないかと思いますが……」

全世界の人命が懸かっていることを思えば、ケーブル一本など至極安いものです、という言葉を寸でのところで吞み込んだ。

見た目の軽薄さとは裏腹に、やたら責任感の強い玲於奈様によけいなプレッシャーを与えてはならない。秘書官は玲於奈様の身の回りのお世話はもとより、心理的な支柱となることを職掌としている。玲於奈様の心をいたずらに波立たせてはならない。


どうやら正解だったらしく、ウヒョー! と玲於奈様が素っ頓狂な喜びの声を上げる。

呆れ果てる私をものともせず、奇怪な小躍りを始めた。

すでに玲於奈様の中で結論に達している簡易な事項を言い当てたとて、一体なんの意味があるというのか。なにこの小芝居。なんのための時間だ、これは、

まあこれもいつものことなので、私は小躍りを続ける玲於奈様をさておいて、ルーティンであるスケジュール読み上げの準備に入る。

「よかった。これで引き継げるわ」

ぽつりとした玲於奈様の呟きを危うく聞き逃すところだった。

――今、〝引き継ぎ〟と仰ったか?

眼を細めて玲於奈様のほうをじッと見つめる。玲於奈様は相も変わらず無我夢中で奇妙な小躍りを繰り広げており、呟きに関しなんら説明を加えようとしない。

――気のせい、だよな。

〝引き継ぎ〟などというワードは玲於奈様にもっとも似つかわしくない。なぜなら玲於奈様の職務は〝未来永劫〟続くからだ。

内閣府直属特命技術官、――水護玲於奈。

契約上は請負ではあるが、玲於奈様の身分は特別公務員にあたる。

人類を司るAIシステム〝Canary〟。および周辺機器を運用・管理し続けるため、玲於奈様は〝永遠の生命〟を当局より与えられているのだ。

百年前に秘書官に任命された折より、玲於奈様はいっこうに歳をとられない。幼い少女姿のままだ。

といっても玲於奈様の身体年齢は「18歳」であるらしく、前職時より幼く見られてきたと憤慨している。

私は違う。私は身体年齢30歳であり、かつ玲於奈様と違って永遠の生命など得てはいない。秘書官を拝命したために、当局より寿命延伸の処置を受けているのみだ。

そして機密情報秘匿の意味も込めて、秘書官は任命から百年で〝廃棄〟される。

私の生活年齢は現在129年、本来であればとうに寿命を迎えているこの身体は、来年の任期満了をもって寿命延伸処置が停止される。つまり解任後は一気に老い、死へと至る。

慌てて付け加えておくが、当局に悪しきイメージなど抱かないで欲しい。129年という平均寿命を遥かに凌駕した人生を全うできただけで私は満足である。秘書官に志望したのもあくまで私の意思であるし、この99年、私は玲於奈様のお世話が出来て本当に幸せだった。玲於奈様と、おちゃらけつつも重要な仕事を行った大切な日々。

すでに引継書は万全の状態で格納してある。デジタルエンディングノートもしかるべき法曹の手にある。

感謝こそすれ、悲しみなどあるはずもない。そして私亡き後、玲於奈様は次の秘書官とまた明るい百年を歩まれる。

満足だ。私は非常に、満足だ。




三、


「ヴァリアントさんの髪はきれいやなあ、」

玲於奈様のベッドの傍らで雑談の相手をしていたところ、唐突に玲於奈様が呟いた。

「そう……ですか? 黒くて真っすぐで、面白みに欠けると思いますが……」

私は制帽を取り、戸惑いながら髪をくしゃりと掴む。

18歳であられる玲於奈様は当然普段はお独りで眠られるのだが、時折猛烈な寂しさに襲われるらしい。寝付くことなどできるはずもなく、そうなると私が呼び寄せられ会話のお相手をすることとなる。睡眠薬も玲於奈様はお嫌いなので、いわば私が眠り薬代わりだ。

「私はだめなんよ。くせ毛だから伸ばすこともできない。まあ、機械に巻き込まれないようにショートカットにしたというのもあるけどな」

「とても明るくてきれいな御髪です。太陽のような……私は好きです、」

きょとんと眼を見開いた後わずかに顔を紅くする玲於奈様を見て、しまったと思った。うっかり感情をあらわにしてしまった。秘書官としてあるまじき行為だ。

このところ玲於奈様の枕元へと呼ばれる回数が増え、少々不安定になりかけているのではと心配だったのだ。元気づけたい一心で、うっかり思ったことをそのまま口にしてしまった。

嬉しそうにくすくすと笑う玲於奈様。珍しく少女らしいふるまいだ。若干明るさを取り戻されたのを見て、まあいいか、と心中独り納得した。

「……宇宙の果てには、なにがあるんかなあ……、」

円形で成る天窓からは、満点の星々が見える。時折きらりとした瞬時の輝きを放ちながら、すぐさま弧を描き流れてゆく星もあった。

「ヴァリアントさん……教えてや。宇宙の果てにはなにがあるん?」

星々に勝るとも劣らない煌めきを湛える翡翠の眸で、わくわくとした声色で私に問いかけてくる。

本来幼年期に済ませておくべき議題ではあるが、好奇心の旺盛な玲於奈様は延々と宇宙の秘密を追いかけているのかもしれない。

機械が好きで、AIが好きで、自ら志望して当職に就かれたという玲於奈様を象徴するかのような問いかけだ。

「宇宙の果て――ですか、」

現実主義者である私には当然縁遠い議題で、私はおもむろにオンラインライブラリを探索する。

「旧プリンストン大学の研究によると……」

「ふむふむ」

「……一説によると、『宇宙の果て』などというものは存在しないようです。すべての地点が繋がっていて端がない。つまりわれわれが宇宙の果てに向けて今から出発したとしても、途方もない時間を経て現地点へ戻ってきてしまうもののようです」

「そうなんや」

「そして宇宙の、俗に言う〝外側〟には――別の宇宙がまた点在しているようです。多元宇宙論ですね」

「ほえ~~」

ひとしきり驚いた後、玲於奈様はしみじみと味わうかのように言葉を発した。

「宇宙はたくさんあるのに……この宇宙から別の宇宙へは、行けないんやな」

ようやく眠くなってきたらしく、うとうとと瞼が重くなり始めている。

「……さあ。わかりませんよ。別の宇宙に行く方法があるのかもしれません、」

玲於奈様の夢を損ないたくなく、私は小声で少々おどけて見せた。

「そっか…………ヴァリアントさん…………一緒に、……逃げよう……別の宇宙へ……」

やがて玲於奈様は静かな寝息を立て始めた。私は頃合いを見計らって毛布を玲於奈様の肩まで引き上げる。

「……そうですね。一緒に逃げましょうか、別の宇宙へ」

戯れの囁きは当然玲於奈様には届いていない。椅子を直していると、扉をノックする音が響いた。

せっかく玲於奈様が寝付いたばかりだというのに、お目覚めになるかもしれない不用意な音を立てないで欲しい。私は若干不機嫌になりながらマルチモニタで迷惑な来訪者を確認する。

「……はい」

『夜分失礼します。局長が秘書官をお呼びです』




四、


「ここに貴殿を呼んだ理由は当然わかっているな?」

ガラス張りを背後にしている局長と対峙していた。

夜間電灯のみであるにもかかわらず、差し込む星の光によって巨大な室内は仄かに青白い。つい今しがたまであれほど美しいと思っていた星々も、環境が一変するだけでこうも興ざめするものなのだなと妙な納得をしていた。

「さあ……皆目見当がつきません」

「相変わらず狐だな」

くく、と押し殺した笑いが不快だ。局長はすぐさま、貴殿の日課であるはずの報告データのことだよ、と続ける。

「報告データはスケジュール通りアップロードしたはずですが」

「そんなことは当然だろう。完璧な貴殿のことだ、いつもどおりの緻密な文章で定刻の一時間前に格納されていたさ。私が言いたいのはそうじゃあない、」

執務室の隅に控える秘書官の視線が刺さる。

「技術官室の監視モニタが途絶した10時27分から10時30分の〝空白の三分間〟のことだよ。この間なにをしていた?」

「ああ……あれですか。局長ともあろうお方が珍しいですね。報告データをお読みになってないので? 上官によるケーブル交換が行われたため、一時的に予備システムに切り替えた際のロスと記載したはずですが」

「それは本当に10時27分からなのかな?」

「仰っている意味がよくわかりませんが……」

「当日の報告データに改訂の履歴が残っている」

「それは単純に誤入力を修正したためですが」

「完璧な貴殿が誤入力を?」

「局長は私を買いかぶり過ぎですよ。誤入力だって当然します。しがない人間ですので、」

ましてや私は来年でスクラップになる老体ですからね、と自虐的に続ける。

凝り固まった無気味な笑顔のまま局長はしばらく黙っていたが、決定的な証拠には欠けていたらしく、ようやくのことで執務室から解放された。

閉まる自動扉を後にし、とりあえず内心胸をなでおろす。

あの様子では、玲於奈様の〝引き継ぎ〟云々といった言葉までは掌握していないようだ。あるいはあの言葉は本当に私の気のせいであって、玲於奈様はなにも仰っていなかったのかもしれない。いずれにせよ咄嗟に監視システムを途絶させた事実はなんとか誤魔化しきれた。

急ぎ部屋に帰らなくてはならない。私信の続きを入力しよう。今の私にできる唯一の行動は私信の入力だ。

送信しよう、玲於奈様の命を救って欲しい、というSOSメッセージを――、




五、


「ヴァリアントさん」

はい、とキーボードから指を離し、私はカバーをぱたんと閉じた。未だ眠ることのできない玲於奈様へと向き直る。

「……まだ仕事しとん…?」

「いえ、これは私用端末による〝私信〟です。ただの『ヤボ用』ってやつですね、」

笑って見せる。

そう……とうつらうつらなりながら玲於奈様は、まあ私のお守りをするのも仕事やもんなぁ、と寂しそうに笑う。

私は咄嗟に玲於奈様の両手を握りしめたい衝動に駆られた。対外的には仕事であるかもしれない。だが玲於奈様の安寧をお守りすることは仕事以上の、もはや私にとり〝使命〟ですらあるのだ。私情が絡んでいることは否定しない。私は玲於奈様をお守りしなくてはならない。そう、自らのすべてを差し出してでも。

「私……なんか……もっと生きたくなってもうた」

自らの思いを見透かされたかのような言葉に、私はぎくりとしながら慌てて玲於奈様に視線を合わす。大きな翡翠色の眸にはうっすら涙が湛えられていた。

「存分に生きればよろしいではないですか、玲於奈様は永遠の生命をお持ちなのですから。〝Canary〟がある限り、玲於奈様はいつまでも……」

「ヴァリアントさん、『坑道のカナリア』って知っとる……?」

思いがけない言葉に私は絶句する。当局のおためごかし程度の倫理観により、寝室には監視システムが導入されておらず本当によかったとつくづく思う。私は押し黙り、玲於奈様の次の言葉を待った。

「昔むかし、私らが生まれるよりもずっと前、……はるか昔の話や。炭鉱では毒ガスの発生がもっとも恐れられていた。それこそ命にかかわるんよ」

「……、」

「人間は思いついて、炭鉱の底にカナリアの籠を置いた。カナリアは常にさえずっているけども、毒ガスを検知すると鳴き止んだ。それを目にした人間は、一目散に脱出するという仕組みや。むろん、カナリアの籠を置いたままにしてな……」

「玲於奈様」

「ヴァリアントさん、いつから気づいとった……? 私は〝坑道のカナリア〟なんや。当局は無償で永遠の生命なんかくれない。機器やサーバは丁寧にメンテナンスしようともいつかは壊れる。破棄しないといけなくなる。だから私の脳に埋め込まれたタグは機器の不具合を察知する。私はそれを知らせるために死んで、〝Canary〟はアップデートされて生き残る――、」

「玲於奈様、」

私はためらったのち、喰らいつくようにして端末のカバーを開く。猛烈にキーボードを叩きはじめた。

なにが〝Canary〟だ、当局の連中の下品な皮肉めいた、おもしろくもない冗談。

させない。

私がカナリアを救ってみせる。

「ヴァリアントさん……?」

タイピングを続行しながら私は呟いた。

「玲於奈様――『外の宇宙』は存外に近くにあるはずです。証明してみせます、」




六、


……お待たせいたしました。先ほど申し上げた、続きを入力することにします。

この文面はこれを読んでいるあなたの時代の言語に合わせて自動的にチューニングされます。

私はあえて表示される時代を指定しませんでした。入力システムの無作為な選択に任せたのです。

そのほうが玲於奈様の助かる確率が高まる気がしました。根拠はありません。ただのカンです。

あえて言うならば――究極の偶然性に〝託す〟試みなのかもしれません。さしずめ祈りにも似たような。

個人に宛てて出す私信は局の検閲を受けます。ですが情報を広大な電子の海に投げ込むぶんには関与されない。大海に流す小瓶の中身を入念にチェックするほど、局も暇ではないのです。

つまりこれを読んでいるあなたは40世紀の人間かもしれないし、はたまた21世紀の人間であるのかもしれません。

玲於奈様は〝眠り人〟時代も含めると、確かに千年の時を生きたお方です。しかしその人生のほとんどを仕事に費やしてこられた。技術官に就かれてからというもの外出は禁じられていましたのでなおさらのことです。人生は長さだけでなく、その内容も重要なものだという私の主張は、あなたにも頷いていただけることでしょう。

私は玲於奈様に広い世界を見せて差し上げたい。

地平へと沈む星々を見るため、ともに大草原へと出かけたいのです――




七、


「ヴァリアント秘書官」

はッ、と我に返る。向かいには幹部の面々がずらり並んでいた。

「会議中に物思いに耽るとはいい度胸だな」

「……申し訳ありません」

「貴殿が解離している間に水護技術官の〝廃棄〟が正式に決定したぞ」

「……、」

「〝Canary〟もそろそろアップデートの頃合いだ。改修箇所はすでに技術官からのバイオフィードバックによって掌握できている。千年も生き永らえたのだ、いまさら死が怖いなどとたわ言を言ったとて聞き入れる必要はあるまい」

「……」

「貴殿も来年にはスクラップとなる。〝あの世〟とやらで再会を喜び合えばよかろう?」

局長が押し殺した嗤いを洩らすのと、私がわずかに唇を噛むのとはほぼ同時だった。

私はどうなってもいい。

玲於奈様だけは――、

玲於奈様だけは、なんとしてでも生かさなくてはならない。

局長が堪えきれず笑い声を上げたときだった。

「ずいぶんと楽しそうだな」

「!!」

一斉に自動扉を勢いよく振り返る。そこにはいつの間に入室していたのか、法務局長が気だるげに佇んでいた。

「匿名で通報があってな。当局でもひそかに調査した結果、この会議に臨場させてもらった。内閣府局長。いや……同期のよしみで吉山、とあえて呼び棄てにさせてもらおうか。吉山、貴様に裁判招集命令が出ている」

浮かび上がったディスプレイをかざし、法務局長は令状の電子押印を拡大してみせた。

「千年生き永らえたのか知らんが、人為的に人を死に至らしめるのは重大な人権侵害だ。ましてや〝Canary〟のアップデートとともに繰り返してきたとあってはな……罪は重くなりそうだぜ。覚悟しろよ、」

「本人も合意の上だ!!」

だん、とデスクを叩き局長は勢いよく立ち上がった。

「署名も得ている。入念な意思確認を、何度も何度も――」

「そういうのは法廷で主張してくれ」

半ばうんざりした様子で答えると、いつの間にか控えていた法務局執行職員らを振り返った。

「じゃ、しょっぴいてくれる?」

スーツ姿の職員らはぞろぞろと局長を取り囲むと、失礼しますと言うなり電子錠をかけた。

歯がみしながら局長が連行されてゆく。すれ違う瞬間になにか棄て台詞を吐かれたが、呆然としていたため耳に入ってこない。

自動扉が閉まるとともに、法務局長と私のみが大会議室に残された。

「……、」

口を開きかけたが言葉が出ない。

私はよろよろと立ち上がると、無言のまま深々と頭を下げた。

「……これで……、」

ようやくのことで言葉を発する。

「これで、安心して来年、死にに往けます――」

法務局長から顔を上げるよう促される。

「あなたの寿命延伸処置も続けさせます」

「え……?」

「当然です。生存権には身分差など関係ありません。あなたが生きたいと思う限り……生きてていいんです、」

技術官とともに生きてください、という言葉が決定打となり、ぶわ、と感涙を溢れさせた。

拭っても拭っても涙はとめどなく横溢し、ぼたぼたとフロアに落下する。

「……しかし、不思議なこともあるものだ。匿名の通報は作成日付が2024年になっていたんです」

打刻のバグですかね? と首を傾げる法務局長の呟きは、感激の只中にいる私には届かなかった。




八、


「わあ……すごい……」

玲於奈様が感嘆の声を上げる。

宵闇の濃紺と夕焼けの茜色とがものの見事に入り混じって溶け合い、鮮やかな紫苑色を全体に醸し出す。

濃紺に立ち現れる星々の煌めきを把握しつつ、昼とも夜ともつかない幻想的な光景が地平一杯に広がるのを目の当たりにすると、国境を始めとした明確な境界などなんら意味を持たず、世界はひとつなのだとにわかに信じ込みたくなってくる。

「あ、流れ星……!!」

玲於奈様が天空を指さしたかと思えば、瞬時の輝きを放ちすぐさま消失するに至る。

「流れ星に三回願いごとを唱えると叶うという旧い言い伝えがあるけど……」

とてもそんな暇ないなあ、としみじみ納得する玲於奈様の横に座り、同様のことを考えていた私は内心こっそりと苦笑する。

「ヴァリアントさんは言えたんか? 願いごと……」

「……まあ、私の願いはすでに叶ったようなものですからね」

「ええ? なんなん、願いごと」

「さあ」

「秘密主義!? ずるいわあ~」

笑い合いながらも星々はいっそう煌めきを放つ。さわやかな涼風が草原の緑を揺らし、大地の恩恵を其の身で受けとめながら私はもう一度天空を見上げる。


お仕えいたします。いつまでも、いつまでも――。


(了)

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