3.邪竜登場、口が悪い
「邪竜の生贄って、私に死ねってことですか!? いくらなんでも理不尽……」
「何を言う。聖女を苛めていた異世界人のお前が、邪竜に喰われることでアスダールの役に立つのだ。不要品の分際には身に余る名誉というもの。感謝するのだな」
ラスティン国王が冷たく言い放つ。
「連れていけ。生贄として準備が整い次第、邪竜に捧げよ」
「待って、待ってくださいってば!」
喚いてみたけど、私の話を聞いてくれる人は、もう誰もいなかった。
兵士の格好をした男たちに両側から腕を掴まれ、その痛みに思わず悲鳴をあげる。
王の間から引きずり出されながら見た、袴田さんの姿。
ラスティンに寄り添う彼女の顔には、嘲るような薄ら笑いが浮かんでいた。
そこからの流れは実にスピーディーだった。
いかにも生贄風の白いワンピースに着替えさせられた私は、手足を拘束され、扉に鍵のついた馬車に放り込まれた。
水くらいしか与えてもらえず馬車に揺られること、実に三日。
最後は馬も通れない険しい道を男たちが担ぐ輿に乗せられ、山深くへと運ばれた。
「恨むなよ、異世界人」
輿を運んできた男たちが、そんなことを言いながら私の体を地面に投げだす。
手足を縛られているせいで受け身がとれず、顔からまともに落ちた。
「いっ、た……」
痛みに呻いているあいだに、
「お勤め、しっかりな」
「お前の命で邪竜様を鎮めてくれ……!」
私を置いて、さっさと逃げ去っていく男たち。
たったひとり残された場所は、深い森の中だった。
(何なのよ、ここ……)
森といっても、見渡すかぎり緑はない。
木々は立ち枯れ、白骨のような枝を曇天に向かって突き出している。
草は萎れて変色し、乾いた空気の中で項垂れていた。
生き物の気配が感じられない。もちろん、花なんて一輪も見当たらない。
まさに『死の森』という言葉がぴったり。
そんなおどろおどろしい空間に、やたらと広いステージみたいな石の台座が据えられていた。
よく見ると円形のステージには、ところどころ溝のように深い傷が走っている。
(ま、まさかアレ、竜の爪あと!?)
だとしたら、すごい大きさだ。
まさに恐竜サイズ。邪竜の本体を想像すると恐ろしくて眩暈がした。
手足の自由を奪われ転がされたまま、私は今までの人生を反芻する。
こんなところで、竜に食べられて死ぬなんて。
(ああ、ろくな人生じゃなかったな……)
いつも、こうだ。
もといた世界でも、私の話なんて誰も聞いてくれなかった。
思えば子供の頃から、両親も私に冷たかったし。
妹が可愛がられる一方で、姉の私は何故か邪魔者扱い。
特に母は、事あるごとに私が嫌いと言って憚らなかった。私が喋ると、きまって不機嫌になった。
高校を卒業したら、家から出て行けと言われて。
奨学金を頼って大学へ通って、必死でアルバイトしながら卒業まで漕ぎつけて、外資系の服飾会社に就職したら、そこは世間の企業イメージを裏切るブラック労働だった。
店頭でのシフトは過酷をきわめ、退職者が続出。
人手が足りないから、残った社員は体調が悪くても出勤。休日も出勤。
おまけに毎日が製品クレームの嵐。数字にならない仕事が山積みで深夜まで帰れない。
気づいたときには同期は一人もいなくなって、同性の先輩社員たちも全員いなくなって、私は職場で最年長の女性社員という立ち位置になっていた。
辞めていった人たちは悪くない。
辛いときに辛いと言うのは悪いことじゃない。
私がいちばんの社畜だったってだけ。自ら生贄になっていただけ。
今年入ってきた新人(袴田さんのことね)は社長のコネだとかで、仕事を覚える気が感じられなかった。ミスを連発しても反省するフリすらしない。
おかげでこちらの仕事は増えるばかりだったけど、少しでも注意すると「ハラスメントでーす、社長に言いつけまーす」の脅しがくるので強く言えなかった。
(……もう、疲れた)
そもそも、東京に残っていても過労死してたかもしれないな。奨学金の返済だって、まだまだ残ってるし。
「嫌だ」とか、「無理です」とか。
そういうことが言えない性格で、人に頼るのも苦手。
生活が仕事だけになって、いつのまにか友達とも疎遠になってた。恋人だって何年もいない。
チーフなんて中途半端な肩書のもと、上司にも部下にも便利に使われ、あげくに異世界で竜の餌食。
……いや、どんな人生よ。
特に最期がひどすぎる。ひどすぎて涙も出ないわ……。
――ひとりぼっちになってから、どのくらい経っただろう。
ただでさえ薄暗い森の陽射しが、急に翳った。
頭上で大きな鳥が羽ばたくような音がする。
(……!?)
何か、いる。
上空に、とても巨大な何かが。
さすがに恐怖を感じて、必死に上体を起こした。
ザザザ……
大きな音を立てて周囲の木々が激しく揺れる。
次の瞬間、地面が揺らぐほどの重たい衝撃とともに、巨大な生物が石のステージの上に降り立った。
鉤爪のついた大きく太い足。
黒と金の混じる鬣。
黒曜石を思わせる黒い鱗に覆われた躰。その背中から視界を覆うほどの巨大な翼が伸びている。
そして、こちらを見下ろす、暗い光を宿した宝石のような紫色の瞳――。
石のステージの上で、私は、初めて遭遇する巨大生物と相対していた。
(これが、邪竜……!)
恐怖で声も出てこない。
竜のほうも鳴き声を発するでもなく、じっと凝視しているようだ。
ていうか邪竜、大きすぎ。頭部だけで私の身長くらいある。
(あの口が開いたら、食べられちゃう)
きっと牙なんか、いっぱい生えてるんだろうな。
できるだけ苦しまないで死にたいけど無理っぽいな……。
あ、竜って言葉が通じるんだろうか。
ちょっと頼んでみようかな、とか思った私は、既に恐怖で壊れてたのかもしれない。
「あ、あの……で、できるだけ痛みがすくない食べ方をしていただけますでしょうか? ど、どうかよろしく、ご検討くださいませっ」
クレーム処理みたいな口調で噛みまくりながら言う。
竜が大きな頭を上げた。天に向かって息を吐く。ゴウッと風が鳴り、木立がまた大きく揺れた。
「ひゃっ……」
いよいよ食べられる、と思ったところで、高いところから声が聞こえた。
「喰わねえよ、ヒトの肉なんか」
「……へ?」
男性の声だ。
いま喋ったの、誰?
「お前、あれか。俺への生贄とやらで連れてこられたのか。要らねーよ勘弁しろよ、めんどくせえ」
お前、って言った?
え、私のこと?
「お前に言ってんだよ、人間の女。びびって口もきけねえか。てか俺は何も喰わなくても生きていけるんだよ、竜だからな」
見上げれば、ギラギラ輝く大きな二つの瞳とマトモに視線がかち合ってしまう。
竜が妙に人間くさい仕草で首を左右に振った。
やっぱり……この竜が話してる!!