白雪姫の継母
フローラの様子が気にかかることが増えていった。
見た目や言動に大きな変化があったわけじゃない。
けれど以前ほど勢いがないというか、何かを堪えているような……そんな感じがするのだ。
無理に聞き出すような真似はしたくなかったけれど、どうしても心配が募る。
ようやく私は、勇気を出して口を開いた。
「あの、フローラ……! 何か、悩んでいたり、困っていることがあるんじゃないですか? もし辛いことがあるのなら、話だけでも聞かせてください。私じゃ、まるで頼りないですが……いつもフローラには、力になってもらうばかりで。だから今度は私に、フローラのために何かさせてください!」
本心からの言葉だった。
少しでも、欠片だけでも、力になれたなら。
「近頃のフローラは、『らしくない』です。どこが、とは言えないけれど……。それに、これも私の押し付けに過ぎませんが……フローラには出会ったときみたいな、ちょっぴり傍若無人なところのある、完全無欠なオネェでいてほしいんです!」
あの頃よりも変化に気づけるくらいには、気を許してくれているんだと思いたい。
私の気にし過ぎだと、笑い飛ばしてくれるならそれだっていい。
でも……そうじゃないことはわかってる。
願望めいた私の言葉は、フローラの気持ちを動かしたのだろうか。
「ヒルデ。貴女は……」
思わず、といった感じでフローラの口から言葉が漏れた。
「アタシと家族になるのは、嫌かしら?」
ようやく聞き出したフローラの言葉に、冷水を浴びせられたような心地がした。
***
フローラと、家族。
――白雪姫は、王子様と末永く――
「あ……」
一体私は、何を勘違いしていたのだろう。
フローラと過ごすうちに、都合の良い夢を見るようになっていた。
大切な人を、奪われる痛み。
遠く離れたところにいるフローラとなら、そんなものは感じずにいられると思っていたのに。
私の、家族。
それなら、フローラは婿入りしてくるということになる。
政治的な結びつきのためなのか、それともおとぎ話とよく似た世界だからなのか。
もしかして、私がブランカの愛らしさを何度も伝えていたから、フローラも惹かれたのだろうか。
なら私は、二人のキューピットということになる。
あぁ……なんて滑稽なの。
別に、かつてのように奪われるわけじゃない。
誰が悪いわけでもない。
フローラにとっても、ブランカにとっても、慶事なのだから。
美しいフローラと可愛らしいブランカの並ぶ姿は、目が潰れそうなほど眩いに違いない。
きっと集まったときには、それは賑やかで楽しい時間になる。
なんて残酷なんだろう。
奪われるよりも、ずっとたちが悪い。
いっそのこと……本当に私の目が潰れて、見えなくなってしまえばいいとすら思ってしまう。
フローラは、気まずそうに視線を逸らした。
いつもの自信に満ち溢れた姿は、そこにない。
言いにくかったことを口にさせた罪悪感が押し寄せてくる。
私のこの醜い想いを――フローラは知っているの?
だから、言えなかったの?
恐れが、全身に広がっていく。
とてもフローラと、顔を合わせてはいられなかった。
***
気づけば、鏡の向こうに映るフローラの姿は消えていた。
かつてフローラは、魔法の鏡はお互いを受け入れる気持ちがなければ繋がらないと言っていた。
どうやら、それは本当だったらしい。
私の心が、フローラと会うのを拒否している。
――これまでの私にとって、唯一信じられる存在だったのに。
鈍くくすんだ鏡が、虚ろな私の姿を映す。
あぁ……私はなんて醜いんだろう。
眩いまでに美しいフローラと、そもそも共にいられるような存在ではなかったのだ。
あんなにも、助けて、救ってもらったのに。
それなのに、フローラの幸せを応援してあげられないなんて、醜悪すぎる。
どうして、今更気づいてしまったんだろう。
これまで誰にも抱いたことのない感情を……よりによって、今更。
***
「――ルデ、ヒルデ。どうしたの?」
「あ……」
そうだ、今はブランカと陛下と……お茶を飲んでいたのだった。
つい、ぼんやりとしてしまった。
最近は、こんなことが多くなっている。
私は、魔法の鏡を使わなくなっていた。
フローラと……とてもではないが、顔を合わせることができなくなった。
早く、繋げなければ。
早く……フローラを応援していると、そう言わなくては。
思えば思うほど、勇気はしぼんでいく。
私の必死の嘘など、きっとフローラにはすぐに見抜かれてしまう。
私の……醜さに、気づいてしまう。
それは、嫌だった。
目の前のブランカは、心配そうな顔で私を見ている。
あぁ……私って、最悪だ。
こんなにも優しい子なのに、知らないところで眩しがられて、妬まれて……。
「……考えて、いたのです。ブランカ、貴女の花嫁姿を。きっと、とても美しいだろうと……」
「私の? それは、かなり気が早いのではなくて?」
「ふふ……そうでしょうか?」
怪訝そうな表情を浮かべるブランカに、思わず笑みがこぼれた。
今はまだ、わからないかもしれないけれど。
美しい白雪姫は、素敵な王子様と結婚して、ハッピーエンドを迎えるの。
皆に祝福されて、幸せになるのよ。
――そのときは私に、真っ赤に焼けた鉄の靴を履かせてくれたらいいのに。
***
しばらくして、私はお茶の席を辞した。
部屋に戻ると、私は鏡の前に座って、ぼんやりとそれを眺める。
ここ最近の、私の日課。
今日も鏡は、私の姿をくすんだ鏡面に映している。
フローラのおかげで、変わった私。
けれど……私は、変わりすぎてしまった。
あのころのままでいられたなら、きっとこんなに苦しくはなかったのに。
***
去っていくヒルデを、ブランカはジッと見つめていた。
「……やっぱり、様子が変よ。元気がない、なんてものじゃないわ」
「……あぁ」
部屋には、ブランカとルシャードの親子二人だけが残っていた。
ここ最近のヒルデの様子がおかしいことには、気づいていた。
「急に、私の結婚の話なんか……そんなの、まだ先のことじゃない」
一連の騒動について、少しずつ明らかになってはきているものの、未だブランカは謹慎中の身である。
婚約者も決まっておらず、それどころではないというのが彼女の感想だった。
ブランカはふぅ、と椅子の背もたれに身体を預け、俯けていた視線を上げる。
温室の天窓から差し込む陽は、柔らかく暖かい。
「ねぇ、お父様。私たちは……いつになったら、あの方を解放して差し上げられるの?」
ブランカの問いに、ルシャードも重苦しい溜息を吐き出す。
今の環境が、ヒルデに多大なる重圧を強いていることは十分理解していた。
「私たちの都合にばかり巻き込んで……こんなところに、縛り付けて。ヒルデには、助けてもらってばかり」
彼女は優しくて、我慢強い。
どんな理不尽にも、悲痛な表情を見せたことなんてない。
そうさせてきたのは、他ならぬブランカたち親子であった。
ヒルデは一度限界を迎え、乗り越えた。
そして今、再び限界を迎えつつある。
ようやく、そのことに気づけた。
「……だが、ただ離縁してここから出せばいいという話ではない。更に余計なものまで背負わせてしまうだけだ」
形だけの夫婦とはいえ、ヒルデは王妃である。
離縁となれば、ありもしない非を責める者も現れるだろう。
彼女にとって、不名誉な流言が増えるだけだ。
今のルシャードがヒルデに対して抱いているのは、これまで感じたことのない罪悪感だった。
空席となった王妃の座を埋めてくれる女性。
ただそれだけの存在だったが、最近は違ってきている。
交流する機会が増え、彼女の人となりや新たな一面を知るほどに、これまできちんと目を向けてこなかった自らの愚かさを実感していた。
謝って、許されることではない。
謝ることすら、許されないのだから。




