引きこもりの理由
「ヒルデ、アンタ……この数日、部屋から出ていないみたいだけど、引きこもり過ぎじゃないかしら?」
「うっ……!」
朝食の際、丁寧に摩り下ろされたフローラ特製スムージーを飲んでいると、またしても耳が痛い指摘を受ける。
正直なところ、この絶賛引きこもりライフはストレスフリーで大歓迎だったのだけど……フローラには通用しないだろう。
「えーと、あの……まだ仕事の復帰について、何も言われていなくて――」
「別に働けとは言ってないわ。そういうのは周りの都合ってものもあるでしょうし。アタシが言いたいのは、部屋にい・す・ぎだってコト。少しは外に出て、太陽の光を浴びながらお散歩でもしてきなさいよ」
「うーん……」
乗り気ではない私に、フローラが片眉を上げる。
「アンタ、痩せてるからって運動が不要だと思ってるなら大違いよ!? 適度な運動が身体と美容に良いのは勿論だし――何より、アンタのその青白い顔! 美白どころの騒ぎじゃないわ。もっと陽に当たりなさい!」
全てフローラの言う通りなのだけど、私にも素直に頷けない事情というものがあるわけで。
決して、ニート最高! とか、思ってるわけじゃない……はず。
いや……ううん、それは別にしても、控えめに言って今の私に望み得る最高な環境だと思う。
私にはそれくらい、部屋を出たくない理由がある。
「毎日テラスに出るようにはしています。それに日焼けしない体質なので、長時間陽に当たっても肌が傷むだけです」
「軽く歩くだけだし、日傘を差しなさい。運動不足なのよアンタ」
「デスヨネー」
遠い目をする私に、フローラは腕を組んで首を傾げる。
「なぁに、ヒルデ? 今日はやけに素直じゃないわね。どうしたの? 散歩できる庭園の一つや二つ、シュヴァルツの王宮にもあるでしょう?」
「ええ、それはもう素晴らしい庭園がありますとも……!」
「なら、何が不満なの? ちょっと庭園を散策して、季節の草花を楽しんでくるだけじゃない」
解せぬ、とでも言いたげな表情を浮かべるフローラから目を逸らす。
そう思っていた時期が、私にもあった。
息抜きに庭園を散歩するなんて、ありふれた気晴らしの一つのはず。
だけど――。
「以前、散歩のために庭園を歩いていたら……姫を酷く怒らせてしまったことがありまして」
「はぁ!?」
フローラが驚くのも、無理はない。
当時は私も驚いたし混乱した。
事情を知れば納得……まではできなくても、関わらないように対策することはできる。
「ブランカ姫とは義理の親子という関係上、仕方ないのですが……元々折り合いが悪くて。好かれていないことはわかっていましたから、私もなるべく顔を合わせないようにしていました。……いえ、今もなるべくそうするようにしています」
突然義娘との関係を語り出した私に、フローラは難しい顔をしながら静かに話を聞いてくれた。
「姫は花や小さな動物が好きだということは、誰でも知っていることです。当然、毎日のように庭園に通っています。なのであの日の私は、散歩中に万が一にも彼女に出会わないように、なるべく寂れた隅のあたりを歩いていました。今は……それが大失敗の原因だと、わかっているのですが」
広い庭園の中からあえて選んだ、寂れた片隅。
そこが前王妃の……ブランカの母親の庭園だと、当時の私は知らなかった。
誰も教えてくれなかったというのは、言い訳に過ぎない。
ブランカに会わないため、彼女を不快にさせないために良かれと思って歩いていたのに、まんまと私は彼女の地雷を踏み抜いてしまった。
その一角は、ブランカの母が手ずから管理していたそうだ。
自分で植えるものを選んで、植えて、水をやって……そうした土いじりが、彼女にとっての癒しだったのだろう。
亡くなってからは、枯れ果ててしまったとしてもそのままにしておいて欲しいというブランカたっての願いで、王宮の庭園としては在り得ないほどのうらぶれた一角と化していた。
十歳を過ぎたくらいの子供の考えだと、笑うことはできない。
ブランカにとってはきっと、母親との思い出の場所を誰にも触れられたくなかったということだと思う。
そうまでして守ったつもりでいた場所を、新しくやって来た継母が我が物顔で踏み荒らしたわけだ。
少なくとも、ブランカにはそう見えたのだろう。
母親との思い出の場所は、当然ブランカの巡回コースに入っていた。
だから彼女に出会ってしまったことも、必然だったのでしょう。
何も知らず、呑気に神聖な場所を歩いていた私は――激昂して泣きじゃくる彼女に散々責められることとなった。
「ここはお母さまのお庭なのよ!」「やめて! 壊さないで!」と、散歩していただけなのに詰られた私は、真っ青になって部屋に戻るのが精一杯だった。
その後にようやく侍女長から事情を聞き……それからは片隅どころか、庭園に足を踏み入れる気にはとてもなれなかった。
庭園が視界に入る度に、ブランカの泣き叫ぶ声と、あの日の苦々しい気持ちが脳裏を過る。
「――だから、庭園には行きたくないのです」
ポツポツとこれまでのことを話して、そう締めくくった私に……想像はしていたけれど、案の定フローラの雷が落ちた。
「馬ァっ鹿じゃないの!?!? なーに言ってんのアンタ、王妃のクセに怖気づいてるんじゃないわよ!」
身体を竦めて俯く私に構わず、フローラは続ける。
「アンタの義理の娘が怒ったのは、その寂れた一角に入ったからでしょう? 思い出の場所の件は……仕方ないのかもしれないわ。だけど、子供の言うことに過剰反応してるんじゃないわよ! 別に庭園の出入りを禁じられたわけじゃないでしょう!? 相手を尊重する気持ちもわかるけど、アンタの健康を犠牲にすることじゃないわ!」
たった一度の失態で散歩することを諦めた私に、フローラの怒りは収まらないらしい。
王妃としての自覚が足りないと、尚も言い募る。
「義理の娘はお姫様でしょうけど……アンタだって、王妃でしょうが! 王が禁じていないのなら、王宮でアンタが足を踏み入れてはいけない場所なんて、一つも無いのよ! 前王妃の庭園だろうが、お姫様の思い出の場所だろうが、アンタはただ『配慮』しているだけ。望むのなら好きなだけ入り浸ったとしても、文句を言われる筋合いは無いわ!」
そしてフローラは鼻息荒く、ドアを指差した。
「いいから――四の五の言わずに、散歩に行きなさい!」
確かにフローラの言う通り、私が過剰反応し過ぎている感は否めない。
王宮の庭園は広いし、敷地内に複数ある。
いくらブランカが庭園好きといっても、広い王宮内で同じ時間帯に同じ場所にいるなんて、滅多なことでは起こり得ないだろう。
私は自分にそう言い聞かせ、フローラに「行ってきます」と告げて通信を切ったのだった。