第4章 クローン病
高校を卒業し、僕はパン工場に就職した。
まさかこの後に、地獄が待っているとはこの時は知らない。
入社してすぐに、お腹が痛くなったのだ。
最初は酒の飲みすぎかと思っていた(未成年の方、酒やタバコは二十歳からです)
だが、痛みは激痛となり、さらに嘔吐や高熱、体重減少など体に異変が起きた。
さすがに働けないので、僕は3ヶ月経つか経たないかくらいで会社を辞めた。
そして地元の病院で検査をしたが、医者からは五月病だとか精神的な痛みだとか言われた。
当時クローン病は、今以上に知られていないため、誤診を受ける患者さんが結構いました。
親もただ事ではないと思い、祖父が通っていた大学病院で検査入院をし、クローン病と診断されたのです。
最初は治らない病気と聞いて、心の中で「死にたい」と思っていました。
クローン病の治療は、点滴による絶食や薬物治療、そして外科的治療である。
入院して1ヶ月くらい経った頃、僕は狭窄(腸が一部細くなっていた)のため腸閉塞
起こし、緊急手術となりました。
術後は地獄でした。
次の日には、腸を早く動かすため、歩かされるのです。
鼻やお腹にたくさんの管が入って、しかもお腹を切っているためすごく痛かったです(痛み止めも使用していたが、手術前に毎日使っていたため、効果がなかった)
だが、時と共に痛みも消え、回復したので、僕は内科に戻りました。
肉体だけでなく、精神的にも楽になり、僕は久しぶりにタバコを吸いに喫煙所に行きました(この時やめればよかったのに)
そこで、たくさんの仲間が出来ました。
患者さんだけでなく、小さなお子さんの親御さんとも仲良くなり、そのお子さんや、他の難病と闘う子供たちと入院中によく遊んでいました。
だが、悲しい事もあります。
ある日、喫煙所に僕や他の患者さんに、ご両親が挨拶に来たのです。
ご両親の顔から、その子がどうなったか分かりました。
小さな体で病気と闘い、そして空に羽ばたいていった。
また、入院中、よくしてくださった患者さんの何人かも空に羽ばたいてしまいました。
生きることがどれほど大切かを知る事が出来ました。
悲しい事もあったが、退院に向けて、栄養士から食事の事を説明されました(でも未だに何を食べていいのか分かりません)
「エレンタールというまずい栄養剤を中心に、油の多いものや繊維のあるもの、刺激物などはやめてください」と言われました。
この時、「ファーストフードも良くないです」といわれたのですが、僕はその時ファーストフードが何か知らなくて、自分で勝手に訳し、「最初の飯、ああ朝飯の事か」と思っていました(後に本で調べたら、ハンバーガーなどと書かれていた)
また「肉より魚のほうがいいです」といわれ、僕の中では肉の中に、鶏肉、豚肉、牛肉そして魚肉が入っていたので、肉と魚の違いが分からなかったのです。
これも親に聞いて「肉屋に魚が売っているか」といわれ、納得しました(そんな僕でも調理師の資格を持っている)
約4月という入院生活をしていたため、退院前は、ちょっと寂しくなりました。
退院後、僕は真の強さを手に入れたくて、弟が習っていた空手を習う事にしたのです。