第3章 高校時代は修羅場だった
中学を卒業したら、僕は就職するつもりだった。
人はどうせいつかは仕事をしなければいけない。
それなら今から仕事をしようと思ったのだ。
だが、親や教師から「今の時代高校や大学は出たほうがいい」と説得され、僕は高校に進学する事にした。
しかし、今まで勉強をしていない僕が入れる学校があるのか担任と相談した。
担任は「手に職を持つといい」といってきたので、僕は調理師の資格が取れる高校に進学したのだ。
だが、この学校で僕の性格は変わってしまう。
願書を出しに行ったとき、回りはヤンキーそうなやつらばかりだった。
僕と一緒に願書を出しに行った友人に「規則がない学校かなあ」と話をしていた。
だが、僕の予想とは違っていた。
入学式の日に、教師から「やる気のないやつは今すぐ辞めろ」といっていた。
この学校の教師からすれば、生徒はクズだという事だ。
校則も厳しかった。
頭髪検査で2度引っかかったら、坊主だし、また手袋も禁止。
さらに昼食は学校の中で食べなければ、始末書を書かされる。
しかもインスタントものを買って食べてもダメだった。
始末書も何枚か書いたら、坊主だ。
教師は暴力教師ばかりだし、生徒は馬鹿ばかり……
特に1年の時は修羅場だった。
毎日のように喧嘩が起きていたのだ。
そして僕自身、平気で人を傷つけられる人間になってしまった。
弱い生徒に暴力をふるい始めたのだ。
僕自身、周りが暴力を振るっているから、悪いとは思っていなかった。
とにかく高校時代はいい思い出がなかった。
だがある日、友人の家でルナシーの「ロージア」という曲を聴かせてもらった。
この時は何も感じなかったが、ゲームセンターで聞いたとき、いい曲だと思い、CDを買いにいき、ルナシーファンとなった。
それからいろいろなヴィジュアル系の音楽を聴くようになった。
ヴィジュアル系以外にも、当時の流行の曲やアニソン、クラシックなども聴いていた。
バンドはやりたいと思ったが、回りでやっているツレもいないし、金がかかるし、めんどくさいからやらなかった。
ドラムはでもやりたかった。
父親が音楽をやっていた人だから、昔は家にドラムやギターがあったのだが、僕が音楽に興味を持つ頃には、捨てたのか、あるいは誰かにあげたのかは分からないが、ドラムのスティックしかなかった。
しょうがないから、モノをたくさん置いて、リズムの練習はしていた。
でもこの頃は楽しいと心から思えなかった。
学校がホントに行きたくなかった。
僕は河村隆一さんに憧れていたから、染めたりはしなかった。
だが、片方だけ剃りを入れていた(片方の髪を立てていたから)
2年の時、僕は2度頭髪検査に引っかかり、坊主に近い頭にされた。
自業自得なのかもしれないが、僕は悔しくて心の中で泣いた。
また、よく担任や他の教師から叩かれたり、殴られたりした。
今はどうか分からないが、とにかく暴力教師ばかりだった。
職員室など、どこかの事務所みたいだった。
ホントに生徒の事を思ってくれた教師もいたかもしれないが、僕には皆、暴力教師としか思えなかった。
悪い事をして、生徒の事を思い叩くのは僕も暴力とは思わない。
だが、生徒をクズ扱いし、殴ったり、蹴ったりするのはやはり正しい教育とはいえないだろう。
だが、1度だけ教師が教師を止める事件が起きた。
ホームルームの時間、違うクラスからすごい音がした。
慌ててうちの担任も止めに入ったのだ。
そのクラスのツレに聞くと、何でも机を投げたといっていた(これは大げさに友人が言っているのかもしれない)
結局、その教師は解雇された(辞任したのかもしれないが)
まあ、地獄の3年間を過ごし、何とか卒業し、調理師の資格も取れたのだが、さらにその後、別の地獄が待っているとはこの時は知らない。