表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

作者: 青花蚊帳

 場所は大学の教室だった。

 そこは柔らかな日差しが窓から入り込み、教室内を包んでいて、私はそこに座っていた。チョークが黒板に当たる音がし、教室の前の方では先生がしゃべっていて、いままさに授業をしているところだった。

 シャーペンを握っているその人の手が伸びているシャツの袖口、机の上に手と頭と肩を載せ、顔を前に向けているそのたちと机とノートの間に、わたしはいた。

 どこか、教室の人たちは顔が見えず、わたしもただ、そこで授業を聞いているだけだ...ー

先生が口を開く。聞くに新しい講義のなか、みんな、それぞれ一様に修学の時を過ごしていて、その前で時間は、普段よりのうこくに、緩やかに流れているようだった。おそらく皆、喉元になにかがあるように、そのなかを息苦しくしていた。

 教室のなかは、どこか、気もそぞろな空気に満ちていて、私の他にもいくらかの生徒がそのなかに座っていてる。そのなかの何人かが、講義を聞きながらノートにそれを書き写していた。

 木造の机が並ぶなか、教室に、先生の話をする声と、ノートに手を走らせる音がしている。

 講義の内容は "夢の話し合い"。

 前方、大学の壁に何年も前から設置されている黒板には、いま、幾何学じみた図形のようなもの、抽象的な画、そのとなりにその図を元にした主な三名の研究者の学説がかかれている最中で、先ほどからその話を続けている先生は、こちらに背を向けている。黒板にかかれた図やその文のは、たとえていうならまだわたしが高校の生だったころ、◯◯大学の大学生が持っている本の中って、こういうものなんだろうなー という曖昧な、幼い意識から想像した、大学生が持つ、白い冊子のなかの図形と文章のように見えた。

 実際はもっと複雑で、その図形や文章は一目見ただけで読み解くことはできない。読めば、表面的に理解はできるが、その概論が本当に伝えようとしていることは現実的でなく、それを理解するには、自分の感覚で、それを通して考えを持たなければ、とてもその内容には触れられないものだ。

 それが、わたしがこの学問にたいして、一見して持った感想だった。

 とても、一度聞いただけで、その内容をのみこむことはできない。

 黒板の、文、図...盤上のまるで躍りながらかかれたチョークの線は軽く、簡潔に描かれ、一見無価値としたなかには 思想がふくらむような、意識を誘発する、線がある。

それは、まるで細かな細胞にかたりかけるような、化学の生物の透視画のように、羽を持った生命の図だった。  

 先生はその内容の話をさっきから、チョークをすりへらしながら、話しているものの、教室のわたしたちは、うすいガラス越しの、どこか靄がかった場所にある事柄のように感じられてならない。向こうのことにように、思えた。おそらく、大体の生徒が、話を聞きながら、声には出さないもののそのように感じていただろう。

 先生は教壇の内に立っていて、こちらからは背中しか見えない。先生はそのまましゃべり続けている。教壇の向こうで、チョークを握った先生の手が動き、その下で着ているシャツが揺れている。




ーー...夢は古代から、神や悪魔のお告げであると思われていたらしい。

   昔の人々にとって夢は、未来のこと、先の事を教えてくれたり、人生の指針にもなったりするものだった。この時代、人々と夢の距離は近く、人々の暮らしと、夢は、うすからず繋がっていた。

   その頃の人々にとって夢は授かりもので、奇異に思われもしたが、その一方で、病気を治してくれたりと、ただ日々が過ぎていくだけのなか、見れば何かを与えてくれるものと捉える向きもあった。

   昔は、一人が夢を見れば、それはその場だけでは終わらず、周囲の人々がその人が見た夢のことで話し合い、それが村の祭事などを左右したりもし、それが日常だった。その時代の人々の感覚だ。


ーー 現代の日常の中でも、その感覚を残して生活している人々はいるが、昔と比べ、夢への信仰のあるなしに関わらず、誰もが持っていた、夢の触感は、いまではきっと、空をつかむようなものだろう。

   古代、ひかりも 満足に足元も見られない暗がりで人々が夢にたいして懐いていた触感というものは、ひとことに言い表せるものではなく、昔と比べ、夢にたいして抱いていた触感のような濃密なものは、現代の人々のなかではいずれにしろ、うすまっていくものと間では思われている。なかでなにか発現すれば別だが。


 言葉が話されていく。

  

ーー 古代ギリシャでは、夢はゼウスや夢の神オネイロス、夢の分析の神とされるアスクレピオスによって、神から人々に眠りを通じて送られてくるものだと考えられており、アスクレピオスの神殿に籠って眠り、夢を授かると病気が治るという旨のことが文献に記されている。


ーー これが近代になると、人々が口に出し、話し合うなかで、姿を変えていく。人々の中に深層心理というものが生まれてくる。この間、人々の間で、夢は、神からもたらされるもの、外から来るものではなく、人間の内面、無意識というもののなかから生まれてくるものだと考えが変わりつつあり、夢の中には無意識のうちにもう一人の自分が存在していて、そのもう一人が何かを伝えようとしている  という風に解釈されることが多くなってくる。

 人びとが話し合っていくにつれ、夢はこの頃から、人々の意識を内側に向かわせ、 自分のうちに眠るもの、というものを掘り下げていく枝分かれのような学びが起こり始め、 自分の内に向かっていく、夢というと自分の内面の世界を知る、という主旨が、その面の多くを占めるようになる。それらの多くの文献が、書棚に現れてくる。そのなかでも、ひとの意識に深く潜り込んでいくのではなく、そういった姿勢でー、夢は必ずしも内なる自分というものだけでなく、もっとなにか... といった人びともいたが、人のなかだけに留まらないもの、そういったものとして扱っている集団は、紙面の上でいずれもその内容はぼかしたようなものになっている。そうされている。

ーー一方、精神面、人間の内面を調べる方法は多様にあり、人間の無意識、リビドー、広く、これといったもののないイド...。睡眠、脳の活動(この辺りから先生の説明は、散文的な、吐き出されるような口調になる。例をいえば、夢把握、専門の学術用語...。

                     人間の無意識かのーー


   先生の声が耳元を流れていく。


    

   先日から、先生の講義はこんな感じだった。

 数日前までは普通の歴史学の講義だったのだが、ここ何日かは、ずっとこの、"夢の話し合い"の講義のはなしだ。

 大学の学部での学術、人々の夢のとらえ方、とらわれ方、夢を見ている時に足元に伸びている、しみのような影、等々...


 先生はまるで頭の中に、その"夢の話し合い"の資料の書束が、そっくりそのまま入っているように、その見えている何かを表すような手振り、身振りをしながら、淀みなくしゃべっている。


 そんな、数日で急に変わりだした先生にたいして、生徒のなかには、先生から距離を取るように講義を辞めてしまったり、それまで出していたノートや筆記具をしまって、家の内職等を机の上でやりだしてしまう人もいたが、わたしはとりあえず、その、先生がしゃべる講義を聞いていた。机の上に広げたノートと、シャーペンを手に。


 だが、

 先生の話は、

 教壇の下でその話を聞き、ノートをとっている身としては、いささか早口で、あまり中身が頭に入りにくく、空をかくような状態の時もあった。それでもわたしは聞きながら手を動かしていた。

 先生はまるで、一つの絵が、この教室の後方、自分の目線の先にあるようにしゃべっていた。

 その、人間が夢を見ることによって起こる、あらゆる現象の一つとして話されたそれは、地方の信仰や民話にまつわる夢の話で、なかには子供の噂話のような、小さい頃にどこかで聞いたような、耳に残る話もあった。

 なんでも、現代でも先生の話すそういったことについてー、研究、修正している人たちがおり、地方、都会にも、その人達が務めるその研究室は、昔から途切れることなくその場所に残っているらしい。

 古来から、夢にたいして幻想を抱く者は多くいて、その為かは知らないが、夢に関する文献は数多くあるものの、その核心に迫るものは非常に少ない。そんな、現在の夢にたいしての研究者の状況についても先生は話してくれた。いつしか、はなしは研究者達の話から、人々の夢の体験談になっていた。

 

 どこかうすら寒く、古の匂いがした。

 先生はまるで、その情景を見ているように話していた。している。そのときの先生のようすは、どこか目で追ってしまうような所作をしていた。


ーー 眠りにつくと山や川があり、美しい草原や、花畑のある夢を見た。

   夢で見た景色とそっくり同じ風景、場所を現実で見つけた。

   大蛇がとぐろを巻いて部屋にいて、私を中心に抱くように身体に巻きついてきた。

  この三つめの夢を見た人は女性で、彼女は部屋で大蛇に巻きつかれながら、ーこの蛇は、私を一生守ってくれる、という安心感が共にあった、と語っている。

  これらはいづれも人の口から伝え聞かれたものだが、人の見る夢の内容は、この様な話が大半をしめている。二つ目の夢と同じ風景を現実に見つけた人は、寒気がしただけで何も起こらなかったらしいが、蛇の夢を見た女性の方は、後年、巳年生まれの夫と結婚している。

  この様に、多くの夢がある中で、ある話の中の現象と、ある出来事が、一つの線となってぴん、と繋がることも、調べていく上で、そう珍しいことではないーー...


教室では、話を聞きながら 机の上で器用に眠っている人たちがいた。が、彼らももしかしたら、いま夢を見ているのかもしれない。彼らは授業は放棄しているが、眠っていることは、この授業ではその方が、何かをつかむことができるかも知れなかった。


ーーまるで自分達が眠りながら先の世界を手繰り寄せているようで

  それを予知する夢もあり、それを研究している人たちもいる。


 ー私もー このことには深く耳を傾けている。とても、夢がある。 


ーーどうも夢では、相手のことを傷つけてしまうらしい。

  ある人がふしぎかいかいに話す話が、ある人から見れば、多くの人から追いかけ回された、ひどい目にあったという話しに聞いていくとなっていくんだ。

  夢では、お互い手のひらだけで相手のことを感じ合うようなものだ。

  それは、手の先に目がついていても、大丈夫かどうかはわからない。夢では相手がいるかも、相手の姿もわからず、手探りで前を進んでいるうち、いつの間にか、相手の頬、肩、ひざ、ところどころにうすい傷を負わせてしまっている、ということが多々ある。


ーー夢というのは、夢のふしぎ、というより、夢のなかには死んでしまっている人も、生きている人も、知りもしない、これからも会うことはないだろう人も存在している。

 いたりするので、つまり、てんやわんやだ。



 話を聞き続けた結果、わたしの頭の中では、ぐるぐると先生の言葉が回っていた。

 その、まるで、うまく、先生の話したことをうまく飲み込もうとしているような、そんな感じだ。  

 もう ノートには書き込もう、纏めようなんて思っていなかった。わたしなりに、その先生の話す夢の世界を、頭の中でおもったりしていた。


 先生は、その夢の講義を話し続けていた。その声を耳のあたりに聞きながらわたしが目線を落とすと、そこには、机の上にノートや筆記具の他に、いつの間に配られたのだろう、「扉引閉ーー研員集成誌」  という、この講義の本のようなものがあった。それは見た目は白く、厚みは人差し指と親指の間ほどで、 題名の題字の他に、ルビがふられている他は凝った装丁はない、だが作られたばかりの熱をまだ残している、白い表紙の成本だった。

 わたしがそれをめくると、


ーー夢というのは奇妙なリアリティを持っている。ある時には、並はずれて浮き上がるような印象や、目の奥にまで達するほどのくっきりとした鮮やかさ、現実とのよく似た空間を体感する。時としては異質な、なんと表せばよいかとまどう、わからない、そんな気分、気持ちさえ体感することがある。

 恐怖や幸せ、それは空気のように緻密で、お話のなかのようなストーリー、演出も、流れもなく、時によって関連なく、翅が動くように目まぐるしく変わるが、それらはどこか、目前に迫り来る親しみさえ持っているーー。ー


ーー先生。


 わたしは、先生の声が変わらず流れている中、教室で座席から手をあげていた。手が、もう辛抱ならない。というように動いていたのだ。

 部屋にいる誰もがたいした反応を見せない。わたしはその中、席を立ち、足を進めていくと、教室の中を歩いていって教壇に一枚の用紙を置いた。


ーーこれは何ですか。

 先生が質問した。

ーー私が昨夜、この講義を聞いて描いたものです

 それは一晩のうちにわたしがかいた絵だった。

 わたしがそういうと、先生は黒板にチョークでかくのをやめ、教壇上の用紙を手にとって、じっと見た。

 その紙面の上にあるのは、ある  だ。

 これは、わたしがこの先生の話を聞いていて浮かんだもので、聞きながら思っていた。それまで、他の人にはただ過ぎていくだけだったものを、なにかできないかと思ったのだ。それらに、なにか  ばかりでも形をつけられないかと思ってのことだった。

 ...描いたはいいが、それはいま、先生の中に広がり、回っている琴線に、かすめもしなければそれまでのものだった。    

 出してから...、なぜ このようなことをしたのだろうーと、その、視線を紙に落とす、先生を前にして思いながらそこにいた。受け入れられるか、られないかは、膜ひとつの薄さで決まる。わたしの神経だって、機微はそのうすさとたいして違わなかった。

 ーー.........。

  すぐに先生からの応答はなかったが、しばらくすると先生は、教壇の隅にわたしの絵を置いた。

  その様子を見て、

(ああ、大したことなかったんだ)

わたしは、急速にやってきた失望とともに、仕方がない、とも思った。

 仕方がないよ。わたしがいくら時間をかけて、労力をこめてかいたところで、それは相手にとってはなんにもならないのだ。それが実を結ぶとは限らないことは、わかっていたことじゃない。

(せっかく 夜通しかいたのになあ)

わたしはいささか肩を落としながら、その絵をもって後ろの席の方に戻ろうとした。だが先生は教壇の隅に置いた絵を、わたしに返さず、その絵の上に自分の手をのせた。

ーこの絵は、私が持っていきます

 見ると、先生はいつの間にか鞄を用意していて、その中にわたしの絵を詰めていく。わたしはその先生の性急さに、うれしいのか、とまどっているのか、わからなかった。

 とにかく、先生はわたしの絵を鞄につめこんで持ち帰ろうとしていた。

 やがて、先生の鞄のパウチが閉じられた。ああ、わたしの絵は、もう先生の持ち物のなかに入ってしまったんだ。そう、思った。


ーーあなた、就職先は決まっているのですか

ーーいえ、まだですが。

 先生が言う。

 先生は教台の前で立ったままだった。わたしもそこでたったままだ。

ーーあなたは、私が説明していることを、この一枚の絵のように考えるのですね

ーーはい

 先生は教台の上に何か用紙を出して書いていた。

ーーあなたは 人の話を聞いて、それを一枚の絵にまとめられるのですね

ーー...はい

 手が動いており、先生ははその用紙を書き終わり、それをわたしの手に渡すと、

ーーじゃあ、この書いた場所に行きなさい。ここではあなたの能力がある人々の助けになります。

 ーーひとのはなしていたことを、人の話を一枚の絵にまとめられるのならば、それは 多くの所で役立つでしょう。



 そんな風にして、先生はわたしを教室から出してしまった。

 わたしは時折、暮れ時のなか人の声がささやかに聞こえてくる、人気のない大学の廊下に立っていた。

(何コレ)

わたしは廊下に立ったままだった。立ちつくしたまま、これからこのまま家に帰るか、職員室に行くか。先生から渡された用紙に目を落とし、雇ってもらうか...、の選択肢があるということを考えているのだった。

そんなことを廊下で思いつつ、

(結局、あの絵 返してもらえなかったなあ...)

 立ちながら、ただそう思った。

 そこで、目がさめた。


                      ◇


ーーこれは、私がときおり見る夢だ。

  時々、定期的に見る夢。 この夢を見て、私に何があるという訳ではないのだが、見ると、なぜかいつも少し悲しくなる。  いまも、この世界のどこかで、はてしないことを続けている人達がいて、突然、一人の人のなかにその人たちの研究成果、頭のなかがのりうつり、その人はそれを話しはじめるのだ。

 依然として、研究者は霧の向こうの、遠いところにいる。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ