3話 鍵の管理は厳重に
次の日も蓮也は図書室に来たが、鍵はまだ開いていなかった。昨日ここの図書室が空いた時間帯を考えると当たり前だが。暇を持て余し、いつも持ち歩いている栄養補助食品を口にした。味は薄いが、暗殺のため、長期の張り込みが必要になる場合の小腹満たしには最適だ。腹が鳴っては暗殺は出来ぬ…。
栄養補助食品を全て食べきってしまい、まだ開かれていない図書室の扉を見ると、ふと、蓮也は昨日のことを思い出した。灯がこの扉を普通に閉めていた事だ。
考えられる可能性は3つ。
1つめは、閉める時はそんなに苦労せず閉めることが出来るという可能性。
2つ目は、灯は実はめちゃくちゃ怪力なのだが、恥ずかしくてそれを隠しているという可能性。
3つ目は、あれ、なんか扉が直った。…といった感じで、閉めた可能性。
考えたはいいが、どれもあまり現実的ではないような気がした。…やっぱり、何かが引っかかる。そもそもの前提が、おかしいのかもしれない。人間には無理でも、魔法青年になら…?
そんなことが頭に過ってしまい、蓮也はぶんぶんと首を振った。いや、ありえない。魔法青年がこんな所にいるはずがないじゃないか。そんなことをしていると、
「お、蓮也ー!」
と叫ぶ灯の声が階段の方から聞こえたため、とりあえず一旦は可能性達を全て無視した。それにしても声がでかすぎる。思わずビクッと肩を震わせてしまった。
そんな蓮也の様子など気にもとめずに灯は階段の方から一気に蓮也がいる場所までダッシュしてきた。
図書室の前で止まりきらず、突き当たりの壁にぶち当たる寸前で、ギリギリセウト位の勢いで止まった。
そんな灯の表情は爽やかそのもので、蓮也が声をかける前に
「あ、悟もそのうちくるぞ。鍵を取りに行った。」
と言い、体をぐるっと蓮也の方に向けた。綺麗にまとめられた髪が、すごい勢いで揺れた。甘い、シャンプーの香りがふわりと漂う。いい香りがするなあ…と思ってしまった自分が妙に恥ずかしくなり、蓮也は何となく自分の手を口に当てた。
そんな様子には全く気づいていないのか、灯は「悟が来るまでここで座って待つことにしよう。」と蓮也が立っている横に座った。チャリン、という音がした。その音は、カーディガンのポケットの中から聞こえた。
「あ」
「どうしたんですか?」
蓮也が覗き込むと、灯はカーディガンのポケットを漁りはじめた。ハンカチとか、ぐしゃぐしゃのメモとかを取り出した後に出てきたのは、[図書室]と書かれた鍵だった。2人して目を合わせた。お互いにしばし無言の状態が続き、
「ああ…」
と2人して声にならない声を出した。
銀色に反射する鍵はチャリチャリと音をたてるだけで、何も言ってくれない。何か言ったら怖いが。
「まあ、1日くらいなら…ここ開ける奴いないし…大丈夫だろ…多分。」
よっこいせ、と立ち上がり、灯は鍵を鍵穴に差した。ガチャッ、と鍵の開く音が鳴った。
「…それは大丈夫かもしれませんけれど…悟さんが怒りませんかね…」
灯はその言葉には答えず、う、と声を漏らした。
渋い顔をし、苦笑いを浮かべている。
その時蓮也はまた、扉の立て付けが悪かったことを思い出した。開けましょうか?と昨日のように声をかけようとしたが、灯は扉を普通に開け、普通に図書室の中へと入っていった。立て付けの悪い扉特有の、ガタガタガタという音もしなかった。
「あれ、扉…」
「昨日ググったら、立て付けの悪い扉にはシリコンスプレーをかけると直ると書いてあってな、ちょっと試してみたんだ。」
「なるほど…」
それで昨日灯は普通に扉を閉められていたのかと、蓮也は納得した。心にまだひっかかりはあるが、今は考えるときではないと見た。蓮也もそのまま、図書室へと入って行った。
悟はその5分後にやって来た。相当な距離を走ってきたのか、右手で顔をあおいでいる。
そんな彼にとって、扉が開けられている今の状況は奇異そのものだろう。一瞬扉の前で全ての動作をやめ、大きなため息をついた。
「鍵開いてるじゃん…?」
顔こそ笑顔だが、声はいつもよりも低い。蓮也と灯はお互いにひきつった笑顔になり、目を見合わせた。
「あの、これはその…」
悟が何か言う前に、先に口を開いたのは蓮也だった。言葉を思いつく前に口を開いてしまったため、何を言うべきかわからずもごもごと口を動かしている。
悟はしばし訝しげな表情だったが、突如何かを閃いたような顔になり、ああ、と小さく声を漏らした。
「なるほど、蓮也くんが取って来てくれてたの?」
「えーっと…」
「それなら良かった。てっきり灯が昨日鍵返し忘れてそのまま持って帰ったせいで、鍵がなかったのかと思ったよ?」
言っていることはこうだが、声のトーンは低い。
バレてる。絶対バレてる。
灯と蓮也は同じタイミングでさっと目を逸らした。怒られるのでは?と蓮也は少し心配したが、悟はそんなふたりの様子を見て、ふふ、と小さく笑っていた。少なくとも怒っているようには見えない。
「まあ…とにかく鍵があってよかったよ。」
「あはは…そうですね…」
「ほんと、ほんと、良かったな!!」
灯は笑顔で悟の肩を軽く数回叩いている。蓮也は内心ヒヤヒヤしていたが、灯は気づいていない。
「全くもう…」
そう悟が呟いた瞬間、外でどん、と大きな音が1度鳴った。蓮也がさっと窓に駆け寄ると、この学校の近くの建物から、白く煙が立ち上っているのが見えた。煙の近くにはオレンジ色の光の粉が浮き、きらきらと輝いている。その輝きを見て、蓮也はすぐさま叫んだ。
「光の粉!?って事は…魔法青年!?」
「ああー、またか。1ヵ月ぶりじゃないか?」
灯と悟は別段慌てる様子もなく、寛いでいる。それどころか、新しく本を取り出して読み始めていた。
「2週間ぶりくらいだよ。聞いたところだいぶ音が近かったし、騒動が収まったら今日は昼帰りかな。そろそろ校内放送が入ると思うよ。」
「残念だな。今日の6時間目は美術だったのに。」
そんな会話に反して、蓮也の心情は穏やかなものではなかった。この人たちは何故こんなに呑気で居られるんだ?と焦り焦り、窓の外と灯達を交互に見た。
「見たところ、蓮也くんは…あんまり被害のない場所から越してきたっぽいね。」
「だろうな。この位、ちょっとした街に住んでれば普通だもんな。」
あまりにも普通に物騒な会話が繰り広げられている。暗殺者養成施設では、全く聞かなかった会話だ。背中を指でなぞられるような不気味さを感じ、何となく窓から離れた。
しばらくして、アラートが鳴った。ここは旧校舎なので、グラウンドに流れているのを漏れ聞く形だ。
ーー校内の皆様にご連絡します。魔法青年の姿が確認されましたので、細心の注意を払い、速やかに下校してください。ーー
「教室に戻らないとな。」
「しおり挟んどこ。」
灯も悟も既に本を片付けるなどし始めていたので、蓮也もそれを手伝った。アラートは、相変わらずグラウンドの方から聞こえていた。
「あ、そうだ。灯も、蓮也くんも、明日ここ来るよね?」
悟は少し声を張り、蓮也と灯を交互に見た。蓮也は1度頷くだけだったが、灯ははっと驚いた表情をし、片付けの手を一瞬とめた。
「いや、明日は生徒会の会議があるから来れそうにない。」
「あー。そっか。ほんと毎度毎度お疲れ…」
「お疲れ様です…。」
そう言ったあと、悟と二人だけで話したことは無かった、と蓮也は思い出した。気まずいことになるとは思わなかったが、なんだか新鮮な感じだ。
「あ、そうだ。なら、明日の鍵は僕が行くね。」
「いいんですか?」
「うん、灯が生徒会の日は毎回やってるし。」
「すみません、お願いします…」
そんなやり取りをして、蓮也達はまた、それぞれの教室へと戻った。そのあとは驚くほどいつも通りに、終礼をして下校をし、蓮也はアパートへと帰った。1人で暮らしているため、出迎えてくれる人はいない。ただいま…と小さく言い、靴を脱いだ。外はだいぶ明るい。 しかし、色々考えたせいか何だか無性に眠い。おかしい、昨日はしっかり寝たはずなのに。蓮也はそのまま、ベッドに倒れ込んだ。
頭に浮かんだのは、先程の事だ。魔法青年が暴れていた…という所よりも、灯と悟の言動が気になった。
「魔法青年は頻繁に暴れていて、しかもそれが普通、か…」
少なくとも、養成施設に魔法青年の魔の手が迫ったことは無かった。 それ故に、世界はもう少し平和なものだと思い込んでいたのに。
瞼が重くなる。頭が、布団に沈む。
このまま眠ってしまおうか、と思い蓮也はそのまま瞼を閉じた。それから数時間が経った、その時だった。
けたたましい音量で、メールの着信音が鳴った。
さすがの蓮也も飛び起き、速攻でスマホのロックを解除した。外はもう暗かった。月が出ていてもいい頃だが、今日は新月だった。
ところで、蓮也は灯や悟とは連絡先を交換していない。悲しいことに、蓮也にはほかの友人はいない。しかも、家族とは長年連絡をとっておらず、連絡先は登録していなかった。要するに。
暗殺者のスマホに送られるメールの要件など、ひとつしかない。そう、
「魔法青年関連の依頼」
それだけだ。あの光を見た時から、何となく来る予感はしていたが、早すぎる。ため息をつきたくなるのを我慢し、メールボックスを開けた。新着メールはひとつ。匿名の依頼だった。
「魔法青年らしき生物を目撃した。殺害、もしくは姿の確認を求む。場所は三徳高校付近。」
おそらく今日蓮也が学校で見た、オレンジ色の光の粉を持つ、魔法青年の可能性が高い。
蓮也は何も言わず、表情すら変えずに制服を脱ぎ、そしていかにも「深夜にコンビニに向かうだけの人」に見えるような格好に着替えた。
もちろん、ウエストポーチに弾丸、暗視ゴーグル、拳銃1丁、散弾銃1丁。伊達眼鏡とマスクをし、服の下には気休めの防弾チョッキ。そして先程届いたメールに「今から直ぐに向かう。」と返信をした。扉を開けたが、「行ってきます」は無し。
家の外に出てしばらく進んだが、電灯、家の光などがほぼ全くついていない。皆、部屋の電気で自分の存在がバレるのが怖いのだ。まあ、暗殺者にとっては、好都合だ。どうせ人間があまり出歩かず、自分の姿が見えないのなら、もう少し武装をしてこればよかったかも、と蓮也は後悔したが、今更帰って武装し直す時間はない。
目の前に、光の粉が見えたからだ。
ただ、色は違う。金色だ。昼に、自分が見たやつと違う奴だ。この街には最低でも2"人"居る、のか。と蓮也は悟り、気を引きしめ、それにこっそりとついて行った。
光の粉は、学校の隣の、民家の上へ続いて行った。
その先は更に眩く輝いていた。それはただ単純に、「光」だった。街から消えた電気を、一斉にそこに集めたと言われてもおかしくない程に、輝いていた。
その輝きの真ん中には、"人"がいた。いや、厳密には人ではない。魔法青年だ。恐らく、光魔法使いだろう。
金色の粉のような光が舞い、魔法青年全体を照らしている。身に纏った美しいドレスがひらりと、風で揺れた。つややかな長い金髪も、同時に揺れる。そして、金色の眼で、民家の下を見つめていた。その表情はこの世の全てを憂う、といった悲しげなものにも見えるが、ただこの状況を楽しむ密かな狂気のようにも見えた。
彼女が見ていたのは落下死体だった。ただ落下した、という雰囲気ではなく、何かしら攻撃を受けたのだと容易に分かった。死体は、彼女が発する光で、照らされていた。
それだけなら、まだ分かる。
世間から離れていた蓮也も、魔法青年が人を襲う姿は、映像で何度も見てきたため慣れていた。
しかし、蓮也の手足は恐怖で震え、膝からがくりと崩れ落ちそうになっていた。
蓮也がどう見ても、何度見ても、目を擦っても、
彼女…あの魔法青年が、一ノ瀬灯に見えたからだ。蓮也はかなり目がいい。遠くであろうと、人の顔を見間違える筈がない。わざわざ光って下さってるのだから、尚更。蓮也は自分の視力の良さを才能だと思っていたが、今回ばかりはそれを呪った。
蓮也は心臓を握りつぶされる心地だった。首筋に、汗がだらりと流れた。
声が聞こえた。
「私を殺すとでかい口を叩いていた割には、随分呆気なく死んだじゃないか。」
魔法青年はそう言いながら、右手をくるくると回している。鍵をくるくると回していた、灯の姿と重なった。いや、声と、顔と、髪の長さと、口調と、仕草がたまたまただ似ているだけかもしれない。灯だと決まった訳では無い。そう信じ、蓮也は足と手をつねり、ウエストポーチに入った拳銃を取り出した。その拍子に何かを足で蹴り、カラン、と音が鳴った。
魔法青年が、音の鳴った方を見た。
蓮也は息を呑んだ。叫び出したかった。けれどそれよりも先に…一刻も早くここから離れたかった。しかし、仕事を忘れるわけには行かない。また、手が震えだした。手が震えだしたが、拳銃をしっかりと手に握り、1発撃った。無防備だった彼女の左脚…ふくらはぎの辺りに命中した。
しかし、蓮也の動揺は計り知れないものだった。心臓を狙ったはずなのに、あんなところに命中していた。
息が上がったが、口を塞いで無理やり耐えた。物陰に隠れ、右手でズボンを握りしめた。とにかく、怖かった。魔法青年が怖い、死が怖い、というのもあるが、なにより。
「明日、明日…灯さんが左脚を怪我していたら…」
どうやって接すればいいんだ…?
蓮也にとって、明日の図書室に灯が居ないのだけが救いだった。どうか、明日学校で会いませんように…と、蓮也は普段信仰している訳でも無い、神へと祈りを捧げた。
いつのまにか魔法青年はどこかに行っており、あたりはまた暗闇となった。蓮也はそれを確認し、そして、ゆっくりとその場を離れ、家へと戻った。