1話 睡眠不足は命取り
※脱文があったため編集しました。
『これが学校の教室…写真で見てたのと同じだ。』
こんなことを思いながら、高校の廊下で右往左往しているのは、不審者…ではなく、転校生だ。彼…志崎蓮也は、王からの任命制である暗殺者養成機関で9年…と不本意ながら取ってしまった1ヶ月の補習期間を経て、この学校に転入して来た。
この時期の転入は大分怪しい。家庭の事情か、もしくは暗殺者だと疑われてしまう。しかし、蓮也はあまり気にしていない。彼が気にしていた事は友人の事だ。 暗殺者はあまり友人を作ってはならない、という先人の教えはあったが、せっかく学校に通うのだから友人が欲しかった。
おかげで…昨日は寝られなかった。
はやる心を落ち着かせ、伊達眼鏡の位置を直し、蓮也は教室に入り、自己紹介をした。
しかし寝不足で頭が働かないまま口を動かすと、本当にろくなことが起きない。
「志崎蓮也です。皆さんが迷惑をかけなければいいなと思います。よろしくお願いします。」
たった2文字、皆さん「に」を皆さん「が」と間違えるだけでこうも印象が変わるのだから、本当に日本語は難しい。これじゃあクソ最低のイキリ人間にしか見えない。しかもこれを仕事明けのクソ暗い顔で言った。
休み時間になっても、暗殺者養成機関で培った隠密術が役に立ったのか、そもそも近寄りたくなかったのか、話しかけられず、話しかけても無反応。
暗殺者はあまり友人を作ってはならない…という、先人の教えを守るという点では大成功だが、友人が出来ないどころかこれでは石を投げられてしまう。
どうすればいいのか考えていたら、いつの間にか4時間目の授業が終わっていた。昼休みの開始を意味する。それは、趣味のないぼっちには地獄の時間だ。石を投げられた方がずっといい。
仕方ない、寝て過ごすか…。そう考えていた時、担任の佐藤から救いの手がさしのべられた。
「志崎、転校手続きについてまだ話したいことがあるから職員室まで来てくれ」
普通ならできれば回避したいイベントだが、今回ばかりは神イベントだ。担任の佐藤から後光が見えた。蓮也は食い気味に答えた。ガッツポーズをしたい気分だったが、心の中に留めた。
職員室は別の棟の同じ階にあり、長めの廊下を通る必要があった。その際に担任に、「前の学校では何をしていたんだ?」と聞かれたが、当たり障りのないことを言って誤魔化した。
『任命制の暗殺者養育機関で教育受けてました!しかも補習まで取っちゃったんですよ、あっはは!』なんて口が裂けても言えない。あっはは!なんてキャラでもない。
もし自分の正体がバレてしまったら、間違いなく退学一直線だ。断罪ルートへ直行である。
暗殺者だとバレると不味い理由は2つ。
まず、魔法青年がどこに潜んでいるかわからないから。だが、これは大した理由ではない。重要なのは、もうひとつの方だ。
もう一つの理由は、先程よりももっとシンプルだ。
人間よりも遥かに強い力を持ち、1つとはいえ魔法を使う、「魔法青年」という生き物を殺せる彼らは…当然人間も殺せると認識されているからだ。
実際、魔法青年殺しの難易度を1000とするなら、人間殺しの難易度など1にも満たない。元々魔法青年殺しをやっていた暗殺者が手軽な人間殺しにシフトした…なんてよく聞く話だ。
1度の暗殺で100万以上貰える魔法青年殺しと違い、報酬は割安だが。
要するに暗殺者は、ほどほどに煙たがられている存在なのである。あまり自分の学校に置いておきたい人間では無いだろう。蓮也は心の中でため息をついた。そしていつの間にか、職員室に着いていた。
担任の手際の良さもあり、転校手続きの書類の整理は思いのほか早く終わった。普段なら喜ぶべきところだが、蓮也は残りの時間をどうやって過ごそうかと途方に暮れていた。教室に戻ると地獄だし、まだ学校の中に何があるのかも把握していない。そんな時、遠くから明るい声が聞こえた。
「先生ー!図書室の鍵…下さい!」
「はいはい。旧校舎のでいいかしら?」
その声を聞き、蓮也ははっとした。図書室は大量に本がある場所だと、蓮也は前から聞いていた。
図書室の存在を忘れていた蓮也は、思わずちょっと身を乗り出し担任に聞いた。
「あの、先生。図書室ってどこにあるんですか?」
担任はそれなら…と小さく呟き、
「一ノ瀬、こいつ図書室まで案内してやってくれないか?今日転校したてで場所が分からないんだ。」
と、図書室の鍵を取りに来た女生徒を呼んだ。女生徒は敬礼をし、ドヤ顔でこちらに向かって来る。
学年バッジの色からして、3年生だ。綺麗な茶色の髪をひとつにまとめ、黄色のカーディガンを羽織っている。そしてありえない程美人だった。女優やアイドルをやっていてもおかしくないほどだ。蓮也はちょっと見とれてしまったが、その後、我に返りちょっと視線をそらした。
蓮也が目線を逸らした先に、また女生徒は目線をあわせた。にこにこと楽しそうに笑っている。ひとつにまとめられた髪が、ゆらりと揺れた。女性に近づいたのは幼稚園以来だったこともあり、可愛いなこの人…と蓮也は内心ドギマギしていた。女生徒はそんな蓮也の心情など全く気づかず、じっと蓮也の学年バッジを見つめていた。
「1年か。なるほど…あんまり1年には見えないな。2年くらいに見えるぞ。」
「そんなに変わらないんじゃ…」
「いや?高校1年と2年じゃ結構変わるもんだぞ。…まあ、それは置いといて。とりあえず道案内をしよう。ちょっと入り組んだところにあるから、ちゃんと着いてきてくれ。」
しかしなにかに気づいたように、女生徒は立ち止まり、蓮也の顔をじっ…と大きな眼で見つめた。
「あの、何か…?」
「そういえば、名前を名乗っていないし、聞いていなかったと思ってな。ちなみに、私は一ノ瀬灯だ。」
自己紹介と聞き、蓮也の頭に朝のトラウマがフラッシュバックしてきた。うっ、と少し怯んだが、落ち着いて深呼吸をし、そのまま続けた。
「志崎蓮也です。よろしく…お願いします。」
とりあえず変な事を言わないよう、名前だけで終わらせた。気を悪くしていないかと思い灯の顔を伺うと、灯は太陽に例えられる程、眩しい笑顔でこちらを見ていた。駆け寄ってきたかと思うと左手を差し出し、握手を求めてきた。
「そうか、いい名前じゃないか。よろしくな!」
異性といきなり手を握るなんて中々にハードルが高い。しかも相手はめちゃくちゃ美人だ。自己紹介と同じくらい緊張してしまう。蓮也は5秒ほど動きが止まり、しばらくその手を見つめたままだった。
「もしかして潔癖症か?」
「いえ、そういう訳じゃ…」
思えば握手を求められているのに握り返さないのはだいぶ失礼だ。蓮也はようやく覚悟を決め、手を握り返した。灯は相変わらず笑顔だ。
「よし、とりあえず道案内再開だ!行くぞ蓮也。」
「あの、手…このままじゃ歩けなくないですか?」
「確かにそうだな、すまん。」
灯は手を離したかと思うと、今度は蓮也の右手に繋ぎ直した。…え?
「えっと、そういう事を言いたかった訳じゃ…」
「はぐれたら大変だろ?」
灯はそのまま、ぎゅっともう一度手を握ってきた。そしてそのまま、右手で鍵をくるくると回し、ずんずんと大股で歩いていく。これが異様に早い。競歩でもやってるのかと思うレベルだ。蓮也は小走りでついて行くのがやっとだった。そしてその様子を、廊下の人にめちゃくちゃ見られた。
違うんです、ほぼ初対面で、道案内をしてもらっているだけです!なんて弁明ができるはずもなく。舌打ちまで聞こえた気がするが、蓮也は聞こえないふりをした。
職員室の廊下を通り、旧校舎と校舎を繋ぐ渡り廊下を抜け、階段を登った突き当りに図書室はあった。
こんな時間まで鍵を開けないでおいて、人がめちゃくちゃ待っていたりしないかと蓮也は思ったが、実際待っていたのは1人だった。
灰黒の短い髪で、顔の整った男子生徒だ。気だるそうに壁に寄りかかる姿がとても絵になっている。学年バッジの色からして、2年だ。こちらに小さく手を振っている。灯はそれに大きく手を振り返している。
「すまん、ちょっと遅れた!」
「それはいつもじゃん。もう慣れたよ。…ところで、その子は?」
「こいつは志崎蓮也。今日転校してきたばかりらしいぞ。図書室に行きたがってたから、連れてきたんだ。」
繋いでいた手を上にあげる形で紹介された。その直後に手は離されたが、すごく気まずい。彼氏とかだったら修羅場だ。おそるおそる、男子生徒の方をちらりと見ると、男子生徒はさほど気にしている様子もなく、細い目でにこりと微笑んでいた。
それに対して蓮也が軽く会釈をすると、男子生徒から一瞬だけ笑顔が消えた。しかしそれは本当に一瞬で、すぐに笑顔に戻った。少しゾッとしたが、悪意は無さそうに見える。
「そんな萎縮しなくてもいいのに…。あ、僕は古宮悟。学年違うけど、灯の幼馴染だよ。よろしくね。」
「なるほど、幼馴染なんですね…」
「そうそう。だから心配しなくても大丈夫だよ?」
心配なネタはあらゆる所にあるため、何を心配しなくてもいいのかは正直よく分からない。かといって無理やり解釈すると墓穴を掘ってしまい、そのままそこに埋められかねない。
蓮也は「それは良かったです」と当たり障りのない返事をした。悟はそんな適当な返事に笑顔で返し、そのまま灯の方に顔を向けた。
「あと灯、ドア開けるから鍵頂戴。」
「了解。」
悟は灯が投げた鍵を片手でキャッチし、鍵を開けた。が、扉はすぐには開かない。どうやら扉の立て付けがかなり悪いらしく、ガタガタガタ、キーキー、と扉から鳴ってはいけないような音がずっと鳴っている。
「あー無理!」とか「よいしょっと!」等、悟が奇声を上げながら扉と格闘しているのが見えた。今までのミステリアスな雰囲気が嘘のようだ。
「手伝いましょうか?」
と蓮也が声をかけると、悪いね…と肩をぽんと叩かれた。さっそく扉の取っ手に軽く手をかけたが、全然動かない。これはもう、早急に直してもらわなければならないレベルだ。
とりあえず…奇声を上げないように扉を横に引いた。
思いっきり力を入れると、扉はバァン!という音を立て、なんとか開いた。灯と悟はびくりと肩を震わせた。
「ほお…すごいな。助かった。」
「ごめんねほんと。ありがとね。」
「いえ、そんな…」
あの立て付けの悪さじゃ、女性の力では開けることは難しい。いつもはこんなふうに、悟が悪戦苦闘しながら開けていたのだろう。
「もしかして、結構鍛えてたりするのか?」
「多少は…」
深く追求されると困るため、蓮也はそっと目線を逸らした。しかし多少ってどのくらいなんだ?どうやって鍛えているんだ?とどんどん質問をされる。
その間に悟は図書室の中へと入っていった。
「あ!ずるいぞ!鍵持ってきたのは私なのに!…仕方ない。蓮也、私達も行くぞ。」
「あっ、はい!」
「きっと、驚くと思うぞ。」
灯はウインクをし、髪を揺らしながら扉の中へと入っていった。電気がついていないため、中は伺えない。できればいきなりクラッカーがぶち鳴らされるようなような事が無ければいい…まあそれは無いか。
蓮也はそんなことを考えながら、灯に続いた。