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ー6ー

 家まで送るとの言葉を執拗に固辞して彼と駅で別れ、逆方向の地下鉄に乗り、回り道をして部屋へ戻った。帰り着いた時には、十一時を回っていた。きっと、一時間以上かかったのだろうが、動揺している今の自分には時間の概念すらなかった。


「そういえば、小夜は自分の部屋へ帰るって言ってたんだっけ」


 独り言を呟きながら、電気も点けずにソファに腰を下ろして、クッションを膝に乗せた。暗闇の中に一人でいると、どうしようもなく不安で、小さな部屋がとてつもなく広く感じられた。心が、ざわざわする。


「俺たち、賭けをしよう」


 混乱した頭の中で、あの男の言葉が何度となく繰り返されていた。


 賭けの方法は簡単だ。彼と私はそのまま付き合いを続ける。私が彼を好きになってしまったら、彼の勝ち。好きにならなければ私の勝ち。彼が負けたら、私の望みを一つ叶える、と、そこまではまだいい。私が負けたら、彼との関係と私の本当の顔を公開する、と、彼は言った。


「私たちの関係って、私が認めなければそれまでじゃないですか! それに私の顔を公開すると仰いますが、どうやるんですか? 化粧を落とせということですか? もし私が嫌だと言ったら?」


 私との関係を暴露したければすればいい。そんなことははっきり言って私にはどうでもいいことだ。ただ、この素顔だけは公表されたくない。せっかく今、平穏な生活ができているというのに、もしそんなことになったら、以前と同様、苦痛を強いられることになるのだ。だから、それだけは絶対に阻止しなければならない。


「もし君が嫌だと言うなら、これを公開しようか?」


 あの男が手にしていた携帯の画面には、裸の肩を露出し眠る私の写真があった。


「こんなのいつ撮ったんですか?」

「寝てる時」

「そんなこと見ればわかります!」

「だったら、聞くなよ」

「その写真が私だって証拠あるんですか? 私が認めなければ誰も信じませんよ?」

「信じるさ。親御さんやご兄弟、友人……君の素顔を知る人は当然いるだろう? それに、君のこの姿。これで俺との関係まで否定できるかな?」


 悔しくて下唇をきつく噛んだ。冷静にならなくてはと頭ではわかっているのだが、気持ちが焦る。


「酷い……」

「実は……もっと過激なのもあるんだが。さすがにそれは見せられないかな」

「ちょっと! それって脅し? 目的は何?」


 ついに声を荒げてしまった。


「あはは、悪い悪い。冗談が過ぎたね。落ち着いて。俺の話を聞いてくれる?」


 本当のところ、もし仕事の関係がなければ、あんな話になど乗る必要もないし、あの男が仕事先の上司でなければ、そのままお酒を頭から浴びせかけ、席を立つところだった。


 あの店は、言うなればあの男のテリトリー、私にとってはまったくのアウェーだ。思い返して見れば、あのスキンヘッドのあれは先制攻撃だろう。もしかしたら、二人で共謀して私の心をかき乱す作戦だったのかもしれない。あの男との話も終始向こうのペース、焦るばかりで何も言うことができなかった。


 賭けを拒否したら、それは負けを認めたことになる。お互い大人なのだと言うのなら、自分の行動に責任を持つべきだと、暗に仕事の関係を匂わすようなことも言われ、逃げ道もすべて塞がれた。


 あの男は、終わらせるつもりはまったくない。結局のところ私は、都合のいいように丸め込まれてしまっただけということだ。


「陰険……」


 これほど狡猾な男とは、思いもよらなかった。悔しいが、到底太刀打ちができない。神に見捨てられたのか、それとも、前世でよほど悪いことをしたのだろうかと、絶望的な気持ちになる。でも、決まったことをいつまでもぐずぐずと考えていても、今更何ができるわけでもないのだ。その上、仕事のことも考えると、ことを荒立てることもできない。


「そう、負けなければいいだけよね……」


 そもそも自分は、簡単に人に心を許すような甘い人間ではないのだから、最初から負ける心配をしている方がおかしい。負けさえしなければ、写真を公開されることもないし、この関係だって終わりにできるのだ。あの男と暫くの間付き合う、ただそれだけのことを、そこまで深刻に考える必要は、ないといえばない。その上、結論を先延ばしにできるのは、仕事の上でも都合がいい。男友達が一人増えた程度に思えば、それも悪くはないだろう。ただの慰めかもしれないが、そう考えると少し心が軽くなった。


 それにしても、やはり疑問が残る。「勝敗は君の気持ちひとつだから、これは君にとって有利な賭けだろう?」と彼は言った。そのくせ、私に対する気持ちは本当だとも言うのだ。それであるならば、なぜ、自分にとって不利だと思う賭けを提案してきたのだろう。負けた時、どうするつもりなのか。それとも、よほどの自信があって、負けることなどまったく考えていないのか。


「変なやつ」


 ふっと自嘲した。いったい何を考えているのか。あの男の心配までしているなんてバカバカしい、思考が飛び過ぎだ。


 次に考えなければいけないことがあるとすれば、それはただ一つ。


「小夜に、何て言う?」


 好奇心でワクワクしている笑顔の彼女を思い浮かべながら、クッションにボスっと音を立てて顔を埋め、身悶えした。

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