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ー4ー

 ノーメイクに見せかけるためベースのファンデーションと口紅は塗らない。目の下は薄くシャドーで色付けし、顔の中央、両頬から鼻筋にかけてはそばかすを、右のこめかみから頬にかけて薄っすらと青みを帯びた紅い痣を描く。地味な黒縁眼鏡をかけて痣を少し隠すように右の前髪を下ろし、あとは飾り気のない黒いゴムを使い後ろの低い位置で髪を束ねる。


 服装は、シンプルで地味、もったりとした体のラインが出ないデザインの白またはアイボリーのブラウスと、膝下丈の黒いセミタイトスカートまたはパンツ。秋から冬にかけては、これにやはり地味なカーディガンとコートが加わる。黒い靴下とローヒールの黒い靴。これが、外出時の基本スタイルだ。


 一通りの支度を整え、小夜が入れてくれたコーヒーを飲みながらメールをチェックしていると、小夜が私の顔をまじまじと見つめながら言った。


「また変装して……いい加減やめればいいのに。瑞稀って素は超絶美人なのにさ、ほんともったいない」

「だって、めんどくさいんだもん」


「あんた、顔がコンプレックスだもんねー、信じられないけど。美人ってお得なのに。例えばさ、スーパー行くじゃない? 店員の顔見てにっこり笑うだけで三百グラムのお肉が三百五十グラムに増えちゃうのよ。その方がよっぽどいいのに」


「私があんたと同じことしても、せいぜい料理くらいしなさいって説教されるのがオチだわ」


 そう、美人と呼ばれる女は、得をする美人と損をする美人という二つのカテゴリーに分類される。私はまさに後者だ。背が高く派手な顔立ちは、男に媚びを売るだけの中身のないバカだと決めつけられるだけ。実力ありと判断されたら最後、お高くとまって生意気だとのいじめがさらに追加される。近寄ってくる男は後を絶たないが、奴らの興味は所詮、この顔と身体。下心が透けて見えるだけだ。この容姿のおかげで、今までどれだけ酷い目にあってきたことか。


「そうね……確かにあんたは美人は美人でも、人間離れしてるわよね」


「ちょっと! 人間離れは酷くない? でもさ、人って結局のところ、見た目がすべてなのよね。だからこの顔の方が楽なのよ。批判されるのは見た目だけで済むし。ああ、ほんと、小夜が羨ましい。どこから見ても守ってあげたいって思っちゃう貞淑な可愛いお嫁さんだもん。もっとも、中身は別物だけどさ」

「当たり前でしょ? 貞淑な可愛いお嫁さんなんて、ただの幻想よ。中身までそんな女、この世に存在するはずないじゃない」


 小夜は私を横目で見ながら、世の中すべての男を軽蔑するようにフフンと鼻で笑い、コーヒーを啜り言葉を続けた。

「でも、あんたの話聞いてたら同情するし、私がもしその顔だったら、やっぱり似たような変装するかもね。身を守るためにはあしらうより寄り付かせない方が手っ取り早いもん。あ、でも、プライベートで私と一緒の時は変装禁止よ。私がめんどくさいもん」


「うん、わかってるって」


 二人顔を見合わせて、ニヤリと笑った。この策士め。


 タイプが違う美人が二人でいると、相互作用で男は声をかけづらいらしい。小夜は変な男に付き纏われなくて済むし、私が一人の時に浴びせられていた批判や嫌味も、小夜の前では鳴りを潜める。これは、小夜に提案され二人連れだって出歩くようになってから、初めて知ったことだった。


「くだらない話してる場合じゃないわ。遅刻しちゃう。瑞稀は今日から客先だっけ?」

「うん、新しいプロジェクト始まるし、社長命令だから断れないもん。時々は戻れると思うけど、最悪年末までは客先かな? 面倒だけど仕方ないわ」


 今日から小夜と会える日は少なくなるだろう。


「一緒にお昼ご飯食べられないの、つまんなーい」

「あんたがつまんないのは、大好きな社長さんとご飯が食べられないからでしょうが! ったく! 自分で誘えばいいじゃない」


 えへへと笑い、小夜は小走りに駅に向かって走って行った。


 小夜の好きな社長さんは林啓司(はやしけいじ)と言って、私の留学時代の親友。私は四年前、彼が起業した時に誘われて今の会社に入った。私たちはよく一緒にランチをする。その時、私と一緒を口実に小夜がついてくるのだ。今日からはその口実がなくなる。気の毒だが小夜には暫く我慢してもらわねば。


 小夜を見送り、いつもと反対方向の駅に向かって歩き出したところで、突然、あの男と同じ路線を使わなければならないことに気づき立ち止まった。もし同じ時間に同じ道を歩いて同じ方向の電車に乗ったら……。このメイクだ、気付かれることはまずないだろうが、ばったり会ってしまうのは私が嫌だ。しかし、遠回りをしたくても時間が押している。今日だけだ、と、諦めてそのまま駅へ向かった。






 今回のプロジェクトは、うちで請け負っている実作業が多く、私自身の作業はもとより、客先への同行や作業の指示出しなど、ディレクターの補佐のような役割をも必要とされるため、常駐する必要がある。本音を言えば常駐はやりたくないのだが、他に人もいないため、仕方なく私が担当することとなった。また、うち以外にももう一社関わっていて、そちらからも数名出向いて来ているらしい。


 オフィスビルに入ると、ロビーで啓が待っていた。啓は私を見つけるとすぐ、お得意の甘い笑顔を見せ近寄ってきた。


「おっ、今日はまた一段と……」

「なに?」

「いや……」

「言わなくていいから。どうせくだらないことでしょ? 会議の前にさっさと打ち合わせ済ませよう」


 無駄話を冷たく遮られた啓の不満そうな顔を横目で見ながら、隅のソファーに座った。資料に目を通し、幾つかの曖昧事項の確認を済ませた後、客先のフロアに移動し会議室へ入った。


 プロジェクトチームは外部作業者を除くと総勢十名超といったところか。会議開始にはまだ少し早いが、ほぼ全員集まっているようだ。


 この業界は圧倒的に男性優位で女性は少なく、毎度のことながら今回もほぼ男性ばかりのチームだ。あの二人並んでチラチラとこちらを見ながら話し込んでいる私と同年代らしい彼女たちはここの社員だろう。隅の方にはもう一人、眼鏡をかけた女性が黙々と資料を捲っている。今回、一緒に仕事をする女性は私を含め、四人ということか。その他は、いかにも新人らしい様子の可愛い男の子からおじさんまで年代はバラバラだ。それぞれ小さなグループに分かれて、ヒソヒソと話をしている。その様子を眺めながら、ちょっと面倒くさそうなメンツかもしれないと、啓と顔を見合わせ目で合図を交わした。


 ドアが開き、バタバタと数人が入室してきた。彼らが着席する様子を何気なく目で追っていると、そのうちの一人の顔に目が釘付けになった。


 中央の席に座っているのは、紛れもなくあの日のあの男、松本亮だ。


 会議が始まり、プロデューサーの長い話の後、松本亮が立ち上がった。その目がぐるりと全員を見渡した時、私を見て一瞬視線が止まったように感じた。気づくはずはない。自分にそう言い聞かせ、動揺を押し隠すのが精一杯で、会議の内容は全く頭に入らなかった。


「瑞稀」


 呼ばれて我に返った。


「どうした? 顔色悪いぞ」


 啓が心配そうに見つめている。


「そう?」


 平静を装い、にっこりと笑った。


 啓は、心配しながらも、ちゃんと昼飯食えよと私の肩をポンと叩き、会社へ戻って行った。






 広く見通しの良いオフィス内には、作業グループ毎にデスクのシマが配置されている。私のデスクからほど近い場所にディレクターであるあの男のデスクがあり、その位置からは私が丸見えだ。


 私のシマは、女の子二人と新人の男の子の四人、私たちは簡単に挨拶を交わした。


 男の子は佐藤貴明、今年入社したばかりの新人だ。細身でショートボブの女の子が木村ゆかり、レイヤーの入った長い髪は白石美香、二人とも二十五歳、私より二つ年下だった。


 昼になると、女の子二人はいつも一緒のランチグループがあるのだろう。そそくさと外へ出て行った。残った若い坊やを社交辞令で誘ってみたが、予想通りあっさりと断られた。当然だ。初対面のこの顔と外を歩こうと思う若い男の子なんて、よほどのお人好しか頭がおかしいかのどちらかに決まっている。食欲はなかったが、オフィスに一人残るのもアレなので、コーヒーでも飲んで休憩しようと、近くの適当な喫茶店に入った。


 オフィス街のレストランは昼時にはどこも混んでいる。喫茶店といってもランチも提供しているその店は、やはりほぼ満席で、見渡したところ窓際に一つ、二人がけの小さなテーブル席を残すのみだった。隣のテーブルではサラリーマン風の中年四人がガツガツと食事をしている。その奥の席には見覚えのある女の子を含む五人が話に花を咲かせていた。木村ゆかりと白石美香だ。今更店を変えようにも時間は限られている。仕方なく彼女たちに背を向けて座り、コーヒーを注文し本を読み始めた。


「木村さんと白石さんは、憧れの松本さんと同じチームになったんでしょ? いいなぁ、羨ましい」

「もう松本さんとお話した?」

「松本さんって、クールで格好良くて、なんか別世界の人って感じよね?」

「松本さん、独身だって聞いたことあるけど、彼女いるのかな?」

「木村さん、この際だから、お近づきになっちゃえば?」

「ヤダ?できないよそんな……」


 松本さん、松本さん、松本さん。頭の中で松本さんの四文字を連呼する彼女たちの甲高い声が響いている。あの男は確かに綺麗な顔をしているし、背も高く、少し細身だけれど引き締まった体もまあまあ良い。でも、あの遊び人がクールで格好良いだなんて、あの子たちの価値観はおかしいと思う。これから数ヶ月、毎日あいつの顔を見てバレないように気を使うだけでも苦痛だというのに、『松本さん贔屓』のこの子たちとも付き合わなければならないのかと思うと、先が思いやられた。


 突然「あっ!」と、小さな叫び声が聞こえた。


 そいつは、向かいの椅子に腰を下ろし、店員に当たり前の顔をしてコーヒーを注文した。いくら混んでいるとはいえ、勝手に相席されるのは不愉快だ。本から目を離しチラと目線を向けると、そこにいたのは松本亮だった。


「偶然だね」

「……そうですね」


 機械的に返事をした。


「瑞稀」

「え?」


 こいつは気づいている。鋭く見つめられ、背筋に冷たいものが走った。


「なぜ電話に出ない?」


 見つめ合ったまま、視線を逸らすことができない。怖い、と、思った。


 やはり怒っているのだろう。表情からこの男の感情を読み取ることはできなかったが、その瞳には怒りが含まれているような気がした。


 何か言わなければ。しかし、うまい言い訳がみつからない。


「あの……時間がなくて……その……」


 声が震える。


 私は馬鹿か。適当にさらりと流してしまえばいいものを、こんな言い訳にもならない言葉を発するなんて。情けない自分に苛立ってきた。


「心配したんだよ」

「え?」

「君は電話に出ないし、メッセージの返事もくれないから、何かあったのかと思ってね」


 低く、優しい声が耳に心地良い。よかった、怒っているわけではないのだ。ホッと胸をなでおろす自分に気づき、ゾッとしたと同時に背中に視線を感じた。


 松本亮のあまりの自然な態度にすっかり忘れていたが、ここはオフィス近くの喫茶店。奥の席には、白石美香と木村ゆかりがいる。このまま話を続けてはまずいと、慌てて言葉を返した。


「申し訳ありませんが、そのお話は今はちょっと……」


 その様子を見て、彼はさりげなく奥の方に目をやり、ちょっと困ったように笑った。


「わかった。あとで話そう」

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