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おまけ

瑞稀の親友、小夜のお話です。

 どうしてこの店に来てしまったんだろう。


 私は今、自分の意味不明な行動を激しく後悔している。


 頬づえをつき、箸を握りしめ、憎い相手でも攻撃するかのように唐揚げを突き回していると、スタスタとサンダルを引きずる足音が近づいて来るのが聞こえた。


「さーよちゃん!」


 頬づえをついたまま斜めに顔を向けると、そこにはあいも変わらずヘラヘラと笑うハゲがいる。


「なんか用?」


 自らこいつの店に出向いておいて言うセリフじゃないのはわかっている。わかっているが、こいつを前にすると、ついこんな言い方になってしまう。


「そんな冷たい言い方しなくてもいいじゃないの。一緒に飲もうよー」


 人の了解も得ず、ハゲは強引に私の隣に座り込んで来た。おいおい、普通は向かい側に座るだろうが。


「あんたと一緒なんて、御免被りたいわね」


 口とは裏腹に、座るならあっちだろうと、空いている向かい側を指差したが、動く気配すらない。


 ハゲはすまし顔で私の空いたグラスに手を伸ばし、自分のグラスと並べ、焼酎のお湯わりを作っている。私はハゲを放置して、唐揚げをグサグサと攻撃していた。


「どうしたの? なんかあった?」

「ん? 何にもないわよ」


 唐揚げが刺さったままの箸を皿に置いてハゲからグラスを受け取り、焼酎のお湯わりに口をつけた。適度な温度、適度な濃さ。味わいながら飲み込むと、その温かさが五臓六腑に染み渡る。


「失恋でもしちゃった?」


 人の顔を覗き込みながら、目が優しく笑っている。それは、いつものふざけた顔じゃなくて、少し真面目で、落ち着いた感じ。


 いや、私の目はどうかしている。こいつが真面目だの落ち着いただのって、そんなわけないじゃないか。


「してないわよー失恋なんて」


 精一杯虚勢を張ってみるが、虚しい。こいつにまで気付かれるほど、落ち込んで見えるんだろうか。


「じゃあ、どうしたの? なんかいつもと違うじゃない?」

「そうかな?」

「何かあるんだったらさ、俺に話してみなよ? 俺でも話聞くくらいはできるからさ」


 今日のこいつはいったいどうしたんだろう。やけにやさしくて気味が悪い。


「んー、ちょっとね、モヤモヤしてるだけ」

「へー、小夜ちゃんでもモヤモヤすることなんてあるんだ?」


 やっぱり人をからかって楽しむ気だ。このヘラヘラふざけた顔を見ていると、ムカついてくる。


「真面目に聞かないんだったら、あっち行ってよ!」


 近寄ってくるハゲの顔を払いのけたくて振り回した手を掴まれた。


「ごめん。ちゃんと聞く! 聞くから怒らないで」


 中途半端な位置で私の手を掴んだままのハゲが、今度はやさしく微笑んでいるように見える。


 まずい。かなり酔っているのかもしれない。




「私さ、いいなって思ってた人いたんだ」


 何でこいつにこんなことを話しているんだろう。こいつに話すようなことじゃないのに。


「へえ、小夜ちゃん、好きな人いたんだ?」

「好きって……まあ、そんな深刻なやつじゃないけどね。ちょっといいなってだけだから。でも……」

「でも?」

「でも、その人のこと……殴っちゃった」

「殴ったの?」

「そう。ぶん殴っちゃった。頭にカーッと血が上って、気がついたら殴ってた」


 半分ほどになった焼酎のグラスを掌で玩びながら、揺らめく液体をじっと見つめていた。


「なんかさ、こんなこと初めてで……」

「殴ったのが?」

「ううん。ちがう」


 グラスの中に啓司さんの苦しそうな顔が浮かぶ。ふーっと大きくため息をついた。


「じゃあ、殴って、後悔してるとか?」

「後悔? あーそれはないわね。あれは殴られて当たり前! 殴んなきゃおかしい。絶対殴るべきでしょう」

「だったら、何でそんなに落ち込んでるの?」

「落ち込んでやしないわよ。ただね、何だろう……共鳴しちゃったのかな? その人の気持ちに」

「共鳴?」

「うん。そう。どんなに追い求めても絶対に手に入れられない物に対する諦め? 絶望? 渇望? 焦燥感? よくわかんないけど。あの時は、私、興奮してたし、何にも考えられなかったけど、後になって思い返してみるとね、何だか辛くなっちゃってさ」

「やっぱり殴らなきゃよかった?」

「だから言ったでしょ? 後悔してないって! それに、私が殴らなくたって松本さんが殴ってたわよ」

「松本? 何があったの?」


 ハゲの顔色が変わったのを見てハッと我に返った。


 まずい。口が滑った。こいつにこんな話するつもりなかったのに。グラスを両手で握りしめて、俯いた。


「それは……言えない」

「……わかった。じゃあ、訊かない」


 それきり、ハゲは何も言わなくなった。


 言いかけて止めるなんて気を悪くして当たり前。ましてや、こいつは松本さんの親友だ。彼の名前を出してしまった以上、こいつだって気になるに決まってる。でも、本人たちのいないところで、彼らのプライベートを他人に話すなんて、たとえ相手がハゲでも、やっぱりしちゃダメだ。


 でも、このままじゃ、気まずい。俯いたまま、小さく呟くように言った。


「……ごめん」


 頭をぽんぽんと撫でられた。ハゲの手は意外と温かい。


「何があったか知らないけどさ、小夜ちゃんが、自分は間違えたことはしてないって思ってんなら、それでいいんじゃないの? それに、そいつの気持ちはそいつのもんなんだから、小夜ちゃんが考えることじゃないよ」


 顔を上げると、ハゲが私の顔を覗き込んで微笑んでいた。


「……ハゲ」

「飲もう!」


 ハゲは一瞬体を寄せて私の肩をぎゅっと抱いたかと思うと、手からグラスをひったくり、新たに焼酎のお湯わりを作りだす。私は、皿に置いていた箸を手に持ち、刺さったままになっていた唐揚げを齧った。

 


 何だよこいつ。ハゲのくせに。



 瑞稀を愛してる、と、あの時、啓司さんは言った。瑞稀が他の人と付き合ってるのを見ても、奪うでも諦めるでもなく、心に秘め続けていた愛。それって、やっぱり辛いだけじゃないだろうか。


 あの二人の間には何か特別な空気があって、私が入る隙なんてないことは、はじめから分かってた。だからといって、啓司さんの愛が成就するのを応援するほど、私は人間ができてるわけじゃない。それに、私は、どちらかといえば瑞稀の方が大事。もし、どちらか一人を選べと言われたら、間違いなく瑞稀との友情を選ぶだろう。


 誰かを好きになったら、その人との未来を想像するもんだって聞いたことがあるけれど、私は啓司さんとの未来を想像したことはなかった。正直を言えば、想像できないんだ。


 じゃあ、私の啓司さんへの好きは、いったいどんな好きだったんだろうな。


「………………? 小夜ちゃん?」

「ん?」


 どうやら私は、こいつの話を聞きながら、ぼーっと考え事をしていたらしい。


「大丈夫? 酔った?」

「ううん。全然! まだ酔ってないよー!」


 私は今、頬づえをついてヘラヘラと笑っている。そう、本当は、かなり酔ってるんだ。


「だから、ねえ、小夜ちゃん。俺と付き合おうよ」

「やだ。ハゲ嫌い」

「だからー、俺の頭はハゲじゃないって言ってるのにー」

「うるさい。ハゲはハゲでしょ!」

「じゃあさ、髪伸びたら、ケッコンしてくれる?」

「はあ? ばっかじゃないの?」


 この酔っ払いハゲは、いったい何を言ってるんだ。


「だから、髪伸ばしたらって言ってるでしょ」

「伸ばすって、ホントに伸びるの?」

「伸びるに決まってるでしょ。ハゲじゃないんだから」

「伸びたら、バーコードだったりして」


 ハゲがバーコードになったのを想像して、ハゲの頭を叩きながら爆笑した。


「ったく。俺は真面目に言ってるのに」

「はいはいはいはい。真面目なのね? で、伸ばすってどんだけ伸ばすの?」

「うーん、肩くらい? たまにいるでしょ? サイド剃り入れて長い髪引っ詰めてるの。あれって、俺、似合いそうじゃない?」

「ねえ、知ってる?」

「ん?」

「私ねえ、ハゲも嫌いだけど、男のロン毛は大っ嫌いなの」


 ハゲの鼻先に指差しながら、勝ち誇ったようにニタニタと笑ってやった。その指を掴まれて手を握られたかと思うと、突然真顔になったハゲの顔が近づいてくる。


 ハゲの唇が、私の唇にちょこんと触れた。へえ、柔らかい。マシュマロみたいにふわふわだ。


「俺、真面目だから」


 ちょっとだけ唇を離して呟いた言葉と一緒に、また唇を合わせてくる。しっとりとやさしい口づけは、ちょっと梅干しの味がする。こいつ、自分の焼酎にだけ梅干し入れてたっけ。


 酔ってるからなのか、酔いを口実にしているだけなのか。うっかり瞼まで閉じてしまった。



 でも、嫌いじゃないかも。こういうの。



 苦しい。

 闇の中で、私は全身を縛られていた。

 もがいても、もがいても、この拘束を解くことができない。

 もしかして、これが俗に言う金縛りというやつだろうか。

 助けて。誰か……。

 叫びたい。でも、声が出ない。

 怖い。

 あ。

 左手が動く。


 唯一自由になるその手を闇雲に振り回した。


 ハッとした瞬間、場面が変わり、見知らぬ天井が見えた。


 よかった。夢だった。


 一瞬、ホッとはしたものの、まだ身体は拘束されたまま。これもまだ夢の中なんだろうか。夢にしてはあまりにリアルな感触。


「ぐぇ」


 苦しい。首を押さえつけられ、息ができない。


 違う。目を覚ませ小夜。これは、現実だ。


 左手で掴んでみると、それは人の腕だった。質感もちゃんとある。体温を感じるから、どうやら死体ではなさそうだ。重い。必死で少し持ち上げ首からそれをずらし、やっとの思いで頭だけを右に傾けるとそこには、気持ちよさそうに眠るハゲがいた。


 ばっかやろう。私を殺す気か。


 もがくと、さらにぎゅっと抱きついてくる。絡みつく手と足に力を入れられ拘束が増し、ますます身動きが取れなくなった。


 ぐ、苦しいっ。


 おい、私はあんたの抱き枕じゃないぞ。


 頭をペシッと叩いてみたが、うん。と小さく一声呻いただけで、目を覚ます気配すらない。


 これは、殺しても起きないやつだ。いや、殺したら起きるわけないか。


 まったくもう……。


 こいつが起きるまでは、このままでいるしかないだろう、と、無駄な抵抗を諦めた。


 それにしても、どうしてこうなったんだっけ。


 そうだ。酔い潰れたこいつを部屋に運んで、そのまま一緒に寝ちゃったんだった。


 規則正しい寝息を立てて無防備に眠るその顔は、三十五歳のハゲ親父のくせに、可愛い顔をしている。


 へえ、睫毛、長いんだ。


 体の自由がきいたら、悪戯してやるのになって、そんなことをしてどうするつもりだ自分。ハゲの寝顔を眺めながら、自嘲気味にクスッと笑った。



 こいつの髪が伸びたら、名前くらい呼んでやるか。



お読みくださり、ありがとうございました。

もうひとつ、続きます。

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