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三十分くらいで出られるから待っててと言われ、亮の後に続いてオフィスへ入った。見慣れた光景。静かなオフィスでは、チーム内の半数ほどの人が黙々と叩くキーボードの音だけが響いている。
プロジェクトはリリースを終えたが、まだ細かいバグの修正等の作業を残している。このチームも数人のサポート担当を残してもうすぐ解散し、皆、また新たなプロジェクトに振り分けられていく。私も、今日の挨拶を終えたら、次の仕事でもない限り、もうここに来ることはないだろう。
人の気配を感じ、何気なくこちらを一瞥した数人は、一瞬動きを止めて何か異様なものを見たような顔をするが、すぐにまたモニターに向かって各自作業を再開している。木村さんも佐藤くんも同様に作業に没頭している。そんな中、白石さんだけが、私をじっと見つめていた。
「おはようございます」
にっこりと白石さんに笑いかけると、少し引きつった笑みを返してくれた。
「やっぱり……河原さん……よね?」
白石さんの声に、木村さんと佐藤くんがハッと顔を上げ私を見た。それと同時に、背後で響いていたキーボードの音が一斉に止んだ。
「はい。ご迷惑をおかけしたお詫びと終了のご挨拶に伺いまし……」
「そんなのどうでもいいから、ちょっと来て!」
言い終わるや否や、つかつかと歩み寄って来た白石さんに腕を取られ、強引に外へ連れ出された。後ろから木村さんが「待ってよー」と言いながら追いかけて来る。連れ込まれた先は、内緒話の定番、休憩室だ。
「怪我は? もう大丈夫なの?」
「うん。ありがとう。もうすっかり。ごめんなさい、心配かけて」
「心配って、そんなの当たり前じゃない。友達だもん」
「ありがとう。あの、それでさ、病院での話なんだけど……」
「ちょっと! 白石さん! 何なの? 河原さんって誰が? 何がどうなってるの?」
木村さんは白石さんに食ってかかりそうな勢いだ。もしかして、白石さんは、何も話ししていないのだろうか。
「だからー! さっきから言ってるでしょ? この人、河原さんなんだってば!」
「えっ?」
白石さんに腕を組まれたまま隣に立つ私を、木村さんが頭のてっぺんからつま先まで何度も確認するように、まじまじと眺めている。
「うそ? だってこの人……」
「ごめんなさい! 騙すつもりはなかったの。これには深いわけがあって」
申しわけなくて、顔の前で手を合わせた。
「本当に、河原さんなの?」
「ごめんなさい。本当に私なんです」
「本当に本当? でも、顔違う……痣もそばかすもないし、眼鏡はかけてないし、髪はフワフワウェーブだし、服はお洒落だし。どこからどう見ても本人……じゃなくて、まるで別人? すごい……。どうなってるの? これじゃあ、誰もわからないわ。で、どっちが本物?」
木村さんが至近距離から、じーっと見つめてくる。あまりの近さに、少し仰け反ってしまった。
「ごめんなさい。あれは、特殊メイクで。こっちが本物なの」
「やっぱりそうよね? そっかー、こっちがねえ……っていうか、白石さん! あなた知ってたの? ひどい! 知ってたら何で教えてくれなかったのよ?」
「ごめん。なんか、言っちゃいけない気がして……」
私の後ろに体を半分隠して、へへへと笑った。
白石さんは病院に付き添ってくれ、亮と私の会話を聞いていた。それで私たちの関係を知り、あの写真の私と結びつけたのだろう。噂好きな彼女たちにとってはこれこそビッグニュース。仲間内で話題にしない方がおかしいくらいなのに、木村さんにまでも黙っていてくれたのだ。
「でも、どうして? どうして白石さんだけが知ってるわけ?」
「それは……何となくそうじゃないかな? って。私も確信したのはさっきよ? 本当の顔見たのも今日が初めてだもん」
「何となくって、変じゃない? 何で何となくそう思ったわけ?」
「何でって言われても……」
「何赤くなってんの?」
その言葉に振り返り白石さんの顔を見ると、確かに真っ赤になっている。思い出した。あの時の亮との会話は、私にとっても赤面ものだ。
「白石さん、ありがとう。でも、大丈夫。二人にはもう隠し事したくないし、ちゃんと話さなきゃ申しわけないから、私から話す」
「いいの?」
私はにっこり微笑んで、大丈夫だからと小さく頷いた。
「木村さん、今まで隠しててごめんなさい。痣の話は、ちょっと長くなっちゃうから、また今度ゆっくり話すことにして、白石さんが私のことに気がついたのは、この間、私が病院に運ばれた時に、付き添ってくれたからなの」
「ああ、この間の?」
「うん。病院で私が気がついた後、白石さんがいるところで、松本さんと話してたのね。私、あの時、まだ朦朧としてて隠さなきゃなんて考えられなかったし、彼もお構いなしに私のこと叱りつけてたから。それで、私と彼の関係が白石さんにバレちゃったのね。で、ほら、前に見せてもらった、松本さんのデート写真があったでしょう? もしかしたら、私があの写真の彼女かな? って気がついたんだと思う。そうよね? 白石さん」
「うん。そうそう」
「だから、白石さんにだけ本当のこと話ししてたとか、そういうのじゃないの」
「え? ちょ、ちょっと待って? 松本さんのデート写真? って、あーーーーーーーーーっ!!!」
「そうなの。ごめんなさい」
「うそっ? 松本さんの彼女って、河原さんが? えー? じゃあ何であの時、言ってくれなかったのー?」
「それもやっぱり、あの時は言えない事情があって……今度全部ゆっくり話すから許して」
「でも、でも、白石さんも知ってたんだったら、教えてくれればいいのに! 何で?」
「……それは」
白石さんの顔が、みるみる赤くなっていく。
「多分、言いにくかったんだと思う。松本さんがらみだし……病院で私と松本さんが喋ってたことって、自分の口から言うのも恥ずかしい内容だったからそれで……」
コクコクと真っ赤になったまま頷く白石さんを見ながら、私は言葉を濁し、照れ笑いした。
「うん。わかった。松本さんのことだったら、そりゃあ大事だもん。ちゃんと説明してくれるんだったら許してあげる。でも……そっかあ、河原さんかあー」
木村さんが手を胸の前で組み、なぜか遠い目をして薄笑いを浮かべている。
「木村さん……どうしたの?」
「うーん、あれね。どこかの知らない女に取られるよりはずっといいなあって。そっかー、河原さんがねえー」
「でしょう? 私も思うー、河原さんでよかったあって」
「うんうん」
「そうだ、知らない女って言えば、本田さんが結婚した時、大変だったもんねえ」
「そうそう。あの時は、社内の女の子全員すごいショック受けたもん」
「うんうん。木村さんも本気で泣いてたもんね」
「ちょっと白石さん! 変なことバラさないでよ」
「あはは、ごめーん」
「でもさ、ってことは、これ、他に知ってる人いないのよね? 私たちだけの秘密ってこと?」
「うん。このこと知ってるのは、あなたたち二人以外、この会社では、本田さんと関根さんだけよ」
「きゃー! そーなんだ? なんかすごーい」
二人共、どうしたことだろう。手まで握り合って、すごく嬉しそうだ。
「ね、ね、今度、ゆっくり聞かせてよね! 馴れ初めとか、松本さんのこととか詳しく。白石さんも聞きたいでしょ?」
「うん。聞きたーい」
その時、突然休憩室のすりガラスの扉が開いた。
「何だ、瑞稀。こんなところにいたのか? 探したぞ」
亮にジロリと睨まれ、私たち三人は悪事を見つけられ叱られる前の子供のようにビクンと身を固くして黙り込んだ。私は仕方なく大きく息を吸い、口を開く。
「亮、もういいの?」
「ああ。お前たち、また三人でコソコソと。いったい何をやってるんだ?」
「何って、別に……ただお話ししてただけだけど」
「……まあいい。白石、木村、おまえたちは仕事に戻りなさい」
「はあい」と二人が蚊の鳴くような声で返事をする。私は「行くぞ」と一声だけ発し、さっと身を翻して歩き出した亮の後を追った。
「河原さん!」
木村さんに大声で呼び止められ振り返った。
「何?」
「あの、例の件、忘れないでね!」
「例の件? あ! うん。わかった。後で連絡するね」
にっこりと笑うと、二人がまた手を取り合って「きゃーやったー」と叫んだ。私はきゃあきゃあと嬉しそうに話す彼女たちの声を背中で聞きながら亮を追った。
数歩先で立ち止まった亮が、振り返る。
「例の件って何だ?」
追いついた私は、彼のジャケットの袖を掴む。
「ん? ああ、後で話す。亮も協力してね」
私は微笑んで、肩を窄めて見せた。




