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ー31ー

 イライラするほど暇だ。眠れもしないのにベッドの中でただじっと横になっているのは、拷問に等しい。一人だったら今頃は鍋でも磨いているのだろうに、亮と一緒の今はそれも叶わないのか。


 もうきっと日付も変わっているだろう。何をしているのか知らないが、彼はまだ来ない。ソファーで寝る気なのだろうか。もしかしたら、一つのベッドで一緒に寝るのすら、嫌になってしまったのかもしれない。


 悪い方、悪い方へと思考を進めていく自分に嫌気がさした頃、ドアが開く音が聞こえ慌てて目を閉じた。足音を忍ばせ亮がベッドに近づいてくる。寝たふりをして様子を伺っていると、ベッドの端が沈み込みそのまま布団の中へ入ってきた。肩すら触れない微妙な距離が、拒絶を実感させる。


「起きてるんだろう?」


 抑揚のない声が暗闇に響いた。返事をするべきか、迷う。


 沈黙の時が流れていく。


「ごめん」


 突然の謝罪に驚き、彼に顔を向けた。暗闇に慣れた目に仰向けに寝ている彼の顔のシルエットが映る。


「俺は、急ぎ過ぎたのかもしれない」


 亮は、私の返事を待つでもなく、一人で語り始めた。


「会社で偶然再会した日、おまえが初めて会ったあの夜のことを忘れていることを知った。あの日の朝も、変だなとは思ったんだ。でも、まさか、二人で語り合ったことも、約束も、俺を受け入れたこともすべて、きれいさっぱり何の記憶もなしとは、さすがに驚いた。かなり酔ってはいたけど、おまえは顔色も変わらないし普通にしてたからね」

「……ごめんなさい」

「何としてでもおまえを手放したくなくて、賭けをしようと言ったんだ。もっとも、賭けになんてならない内容で、騙したのと同じだけどな。甘やかして、とにかく甘やかして、俺の腕の中から逃げられなくなるように仕向けた。でも、林さんのあのことがあった日、俺は思ったんだ。俺は他の連中と同じように、おまえを俺の檻に閉じ込めようとしてるだけなんじゃないかって。焦ってたんだよな。おまえの気持ちなんて、まったく考えてなかった」

「違う。あれは……あれは啓が……」


 やはりあれが原因なのだ。目の前で他の男との情事を見せつけられて傷つかない人はいない。


「本当は、もっと時間がかかると思ってた。でも、少しずつ俺に慣れて、楽しそうにしてるおまえを見て、これでいいんだと思った。あの温泉で俺を再び受け入れてくれた時、どれだけ嬉しかったか。俺たちはもう大丈夫だ、そう思った。でも、違ったんだな。おまえの心の傷は、俺が考えるよりもずっと深かった。林さんは関係ない。俺がそう思うきっかけになったのは、おまえに避けられたからだ。あの時、おまえ、帰り際に俺がキスしようとしたら顔背けただろう? 今まで一度も避けられたことなんてなかったのに……。あの時、思ったんだ。俺はまだおまえの内側にはいないんだなって」

「違う。あれは亮を避けたんじゃなくて……」


 体の向きを変え、手を伸ばし彼の袖をぎゅっと掴んだ。


「俺に気を使わなくていいよ」

「違うの。あれは、あの時は、私が汚れてたから。だから、汚れた体で亮に触れたくなかったの」

「瑞稀?」

「あの後、何度も洗ったのに……どんなに洗っても汚いままなの。だから、ずっと我慢して、何も感じなくなるように我慢したの」


 堪えきれず涙が溢れた。掴んでいた袖を強く引くのと同時に、彼も体の向きを変えて腕を伸ばし、私を抱き寄せた。


「ごめん……」

「亮のは檻じゃない。ううん、檻でもいい。だから、お願い。放り出さないで。私を一人にしないで……」


 彼はしがみついて子供のように泣きじゃくる私を強く抱きしめ、髪に何度も何度もその唇を押し当てた。


 しばらくそのまま泣き続け、疲れてきた頃、彼の声がした。


「瑞稀、知ってるか? 人がなぜおまえを檻に閉じ込めようとするのか。おまえを蔑み侮辱し、劣等感を植え付けてコントロールする。そうされるのは、劣っているからでも弱いからでもない。おまえが強いからだ。何も持ってない奴をコントロールしても何の役にも立たないだろう? おまえは強く、才能豊かで、美しい。だから人はおまえを欲しがる。おまえの優しさや責任感の強さに付け込み、本来そいつが果たすべき義務を押し付け利用し罵倒する。他人の重荷を背負い、傷つけられても癒す術もなく、つけられた傷ごと自分の手で自分の心を抉り取って、その傷を見ないようにして耐えてきたんだよな。俺も同じだ。そうやって育ってきた。ただ、俺は男だから、誰にも文句を言わせないだけの力をつけて攻撃することで、自分を守れるようになった。でも、おまえは女だから、そんなことしたら余計叩かれる。だから、逃げるしか方法がなかったんだ。きっと俺なんかよりよっぽど辛い思いをしてきたんだと思う」

「ん……」


 頭上で静かに語る彼の言葉に、止まりかけた涙がまた溢れてくる。


「おまえ、林さんとのことがあってから、俺を捨てようか迷っただろう?」

「え?」

「正直、俺も、迷った。おまえを離さないのは俺のエゴかもしれない。俺がいない方が、おまえは幸せなのかもしれないって。いや、それは違うな。幸せなわけはない。ただ、俺ごと切り捨てれば、おまえの苦しみは今よりも少なくて済むのかもしれない、そう思った。だけど、やっぱり俺にはできなかった。たとえこれが俺一人の欲だったとしても、手放したら、俺にはもう何も残らないのがわかってるから。瑞稀、おまえもそうだろう?」


 私と同じ……。言葉が出てこなくて、彼の胸に顔を埋めたまま小さく頷いた。


「だから、俺にいっぱい甘えて、いっぱいわがままを言って欲しい。俺も、おまえに甘えたい」


 泣くのはもうやめたいのに、涙が止まらない。彼の服を握り締め、また泣き声を漏らした。


「瑞稀、顔見せて」


 彼の優しい囁きに「イヤ」と首を振った。


「どうして?」

「だって、いっぱい泣いたから、顔、汚い」

「汚くないよ。涙も鼻水もどうせ俺のスエットで拭いただろう?」

「う……ごめ……」


 上目遣いにちらっと彼を見ようとした時、大きな手で頬を包まれ強引に顔を上に向けられた。柔らかい唇が私の唇を包み込む。熱っぽい深いキスに息が苦しくて、彼の胸を叩いた。


「はぁーダメ、苦しい。泣き過ぎで鼻が詰まって息できない」


 目に涙を溜めたまま大きく息をする私の顔を見て、彼がクスクスと笑った。


「おまえは……」

「……鼻かむからティッシュ取って」


 涙を流す美女にキスする王子様なんてフィクションでしかありえない。所詮、現実なんてこんなものだ。



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